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3/27/2017

大東文化大で先生になりませんか!

私も兼担教員として加わっている教職課程センターのパンフレットができました。



裏には教職課程センターで学び、教壇に立とうとしている卒業生の声も。



将来の進路として教職、とくに英語教員を考えている方に是非、大東をオススメください!同僚の淡路先生と二人がかりでばっちりシゴキ、また「おもしろい」教員に育てます(たぶんこれは他大学では真似できないでしょう。。)。


出前授業の感想から:我ながらとても良い影響をあたえているではないか。。。

昨年の10月に共愛学園に呼んでいただいて、約90名相手に「歌で上達!英語の発音」というタイトルの模擬授業をさせていただきましたが、今回、そのときの参加生徒さんの感想を送っていただきました。


ご覧の通り、みな細かい字でびっしり書いてくれていて、同校の普段のご指導の徹底ぶりが想像できます。それと同時に、あの日は非常に盛り上がってくれたなぁ、という私の側の印象が決してひとり相撲ではなかったことがよくわかるポジティブなもので、なかには高揚した様子が伝わってくるものさえありました。特に印象に残るものをふたつ、紹介させていただきます。

◆今回、留学の関係上、靜先生の授業は私にとって二回目となりましたが、一回目の時と同様、非常に楽しかったです。発音を意識し始めたのは、初回の靜先生の授業からでした。私自身それまでは、ネイティブの発音を音でただまねて話すことしか考えず、発音記号、音節などはあまり気にもとめませんでした。しかし靜先生の授業を受けて、音節と洋楽の歌詞の関連性に気づけたことで、より音節や発音記号に注意するにようになりました。また積極的にカラオケで洋楽を歌うなどしていました。正直それまでは海外で英語を話すとなかなか伝わらず、そうこうしているうちに英語の自信をなくし、話せなくなっていました。しかし今では以前より自信をもって会話ができるようになりました。それは聞き返されなくなったことにあると思います。留学前に靜先生の授業を受けられたからだと思います。私は靜先生の授業をきっかけに、留学先でもコーラスクラスを取り、音楽を通して英語の発音を学びました。もし私があのとき靜先生の授業を受けていないで留学に行っていたら、私はきっと留学先で英語を話す自信をなくしていたと思います。学校では文法、単語をたくさんやっていますが、正直、海外で一番求められるのは、発している英語が言葉通り伝わっているか、ということです。そのことをすごく海外にいる間感じました。今での前回のとき歌った You belong with me は覚えています。今回の What makes you beautiful も私の好きな One Direction の曲で、とても楽しく学ぶことができました。靜先生の授業の2回めも受けることができ、ほんとうによかったです。靜先生、ありがとうございました。

◆私は英語が大好きです。自分が学んだことが実際に使えるのが本当に楽しいからです。使うと言う事は書くだけでなく話すことも必要なので、発音はすごく練習しました。でも思うように上達しなくて辛い時期がありました。そんな時にアナと雪の女王のFrozenにはまりまくりましたエルサの歌うLet it go がかっこよくて初めて英語の歌を歌いました。本当に難しくて歌えるようになるのに1ヵ月以上かかりました。でもそれから発音が上達し始めて実際に英語のスピーチコンテストで1位をとることができました。だから今日の靜先生の講演は本当に楽しかったです。私の1番大好きなことがさらに大好きになりました。今回の講演で学んで驚いた事は、歌で一つの音には1音節と言うことです。私はLet it goを歌い始めてから毎日のように洋楽を歌っています。その中で日本語は1つの音に1つの文字しか入らないのに英語は1単語入る時もあって、どうしてかとずっと疑問に思っていました。でもそれが音節の数によって決まっていると知ってとても驚きました。音節の事は1度も考えたことがありませんでした。でもその音節が重要だと知ってこれからは意識したいと思います。また英語を使う人は英語を理解するのに本節で判断しているとは知りませんでした。私が発音が上達する前、英語があまり通じなかったのは、音節を意識しないでいたのと、すべての子音に母音を入れていたためかもしれません。今回静先生の講演を聞く機会があってよかったです。One Directionの What makes you beautifulは歌える曲だったけれど今回改めて静先生と練習してさらに自信を持って歌える曲になりました。またみんなと歌って大好きになりました。普段は私は友達とカラオケに行って洋楽を歌っても、みんな聞いたことがあると言う反応するだけで一緒には歌えないけど、これからはみんなで歌いたいと思います。靜先生との楽しい時間をありがとうございました。皆の前で歌うのに指名してくれてうれしかったです。これからはより自信を持って英語を使っていきたいです。

どちらも一期一会ならぬ、二回出会う機会があった生徒さんということですが、ここまで吸収してくれて良い影響を受けてくれるのなら、出かけていく甲斐があるというものです。彼女らの今後の英語学習人生のさらなる充実を期待したいと思います。

3/26/2017

毎朝パンを食べる私は愛国心がない

ことになりますかね。おまけに日本酒よりワインが好きだからますますまずいか。和菓子というかアンコの味はどちらかというと苦手なんだよね。選択肢があるならば、酸味の強いコーヒーに洋菓子。郷土を愛する心が欠けているのでしょう。

3/23/2017

学生が好んだ曲はこれだった

今年度の曲でどれが良かったか、複数回答可で調査した結果がこれ。学生には、スローでよい曲は受けないようである。それも困ったもんだが。


君たちに幸あれ!

祝!2015年度 靜ゼミ生卒業

それぞれの道にしっかりと一歩を踏み出す君たちに幸あれ!




3/19/2017

教員免許の種類なんて意味あるのか?

英語の免許とか、数学の免許とか、国語の免許とか、なんの免許かなんて、どれだけ意味があるのか?なんの免許だろうが、どの教科を教えても関係ないだろう。どうせ大した専門性なんかないんだし。

と言われたらどうだろうか。何を馬鹿な、ふざけるなよ、ということになるはずである。〇〇の免許を取得したということは、所定の科目群を履修して修得し、〇〇に関して専門的に教える知識・技能がある、と認定されたということである。その〇〇が関係ないなどと言われたら、教職課程の根底が崩れてしまう。

そう。しかし、ではなぜ免許と関係ない部活動を顧問として指導することが許されるのだろう。許されるというよりも、強制されるのだろう。その種目の知識も技能もまったくないのに、顧問になったその日から、その種目を指導する、すくなくとも練習の監督をすることが要求される。それがOKなら、英語の教員が、数学を見よう見まねで担当することもOKなのではないか?

4月から部活動の顧問も指導者として正式にみとめられ、大会の付き添いなどが教員なしでもできることになるという。大変によい改革である。ゆくゆくは、課内活動たる授業や担任業務と課外活動たる部活動を分業制にするのがあるべき姿であろう。部活動の指導にはそのための資格や免許を設定し、そのような有資格者があたるべきだ。授業の担当は有資格者がするのと同じように。

教科指導も担任も部活もすべてがセットで、週休1日もしくは週休なし、というのがノームだ、という職種では、それを受け入れるという人材しか集まらない。

学割っturu?から学ぶこと

しばらく前から流れているSoftbank のCMに出ているジャスティンビーバー。(手首や首から入れ墨が見えて不快極まりないようなタレントをよくCMに使うな、というのはともかく)英語教員としてこれは使えるな、という材料が。

「学割ってる」(Gakuwatteru?)  というセリフを言ってくださいと言われて撮影したのだろうが、周りの日本人出演者の「ガクワッテル」と明らかに異なって彼だけ、「ガクワットゥル」と言っている。

これはつまり、GAkuWATteru というストレスパタンだと英語話者は、unstressed syllable の母音はあいまい母音のシュワになる、というか、かreduced vowel でなくfull vowelとして発音するのができない、ことの表れである。

「君たちは、ガクワッテルとすべての母音をはっきりと発音できるが、ジャスティンはガクワッテルとは発音できない。それは英語では、単語のなかのすべての母音をはっきりとは発音せず、ストレスのあるなしで、まったく母音が変わってしまうからだ。君たちが、そこから学ぶべきは、英単語ではストレスのない音節は、思い切り、あいまいな母音で発音するのが英語らしくきこえるコツだ、ということだよ」

3/16/2017

歌を教材とする場合の歌詞に関する考察:満たすべき3条件と訴求力の折り合い

最近、歌を教材にするさいの選曲について改めて考える機会がありましたのでポストします。

中学の学年行事として、20人ほどの10数チームが、それぞれが選んだ英語の歌を歌い踊るというコンテストを見せていただきました。パフォーマンス自体は、発音の指導がきっちりなされたうえで、そのうえにプラスアルファとして振付やフォーメーションの演出があり、チームの団結や学年の雰囲気の良さを感じさせる、微笑ましく、すばらしいものでした。

文化祭などで行事として英語の歌を歌う取り組みはあると思いますが、私が直接見た限りにおいては、今回ほどきちんと発音指導がなされたうえで行われているものはないと思います。司会者の生徒の英語も徹底的に指導されており、巷の英語教育研究大会や弁論大会で司会をする多くの英語教員よりもきちんとした発音でした。指導にあたった先生の努力がしのばれます。

そのうえで、なのですが、パフォーマンス以前の問題として、いくつかの曲に違和感をもったのです。それは歌詞の内容が、中学生の男女が集団で公式行事として歌うのにそぐわないように思われたからです。いわば子役が演歌を歌っている時に感じるような違和感です。

「あなたのジーンズがびりびりに破れていて、そこから覗く肌を見たとき、ああ! 出会ったばかりでクレージーだけど、電話して!」 (ある曲の歌詞の一部の内容を私の解釈でデフォルメしてまとめたもの)

は、まあ、ジーンズびりびりの肌露出がちょっと下品だな、という程度ですが、

「なあ彼女!会ったばかりだけど、恋してるってことにして、今夜は朝まで、クレージーなことしようぜ、考えすぎないで、さあ、本能のままに、止まらず最後まで!」(ある曲の歌詞の一部の内容を私の解釈でデフォルメしてまとめたもの)

は明らかに10代くらいの「性衝動ホルモン」ソングだと思いますし、

「今夜は最後までいきましょうよ、私のピチピチジーンズであなたのハートをバクバクさせるわよ、ピチピチジーンズの私に触って、あなたが10代のころに見た夢になってあげるわ、肌にふれてみたら、ああこれは本物よ、いちかばちかやってみて、後悔しないで、後ろをふりかえらないで!」(ある曲の歌詞の一部の内容を私の解釈でデフォルメしてまとめたもの)

に至っては、たぶん20代から30代の刹那的セックス万歳ソングで、実際、プロモーションビデオのなかではKaty Perry がどっかのモーテルで男性と激しくからみあってます。

さらに 別の曲 は、f**kingやら、s**tやらのbad language や俗語のオンパレードで、全体として「パーティしようぜ、ガンガン飲もうぜ、はちゃめちゃ騒ごうぜ!」と言っているのは分かりますが、1行1行を見ると、もはや私を含め、普通のEFL話者には意味をとるのもむつかしい感じです。

誤解しないで欲しいのですが、セックスや飲酒をテーマにしている歌だから即、不適切だといっているのでは、必ずしもありません。もし中学生たちが、本当に歌詞の意味を理解したうえで、「私は燃えてるの、セックスしたいの、出会ったばかりだけど今夜は朝までやりたいの!」「がんがん酒を飲んで、朝まで騒ぎたいの!」と実感として歌いたくて歌っているのなら、それはそれで自己表現ですからよしとする、という立場もあるでしょう。15歳といえば人によっては性ホルモンは十分ですから。

でも、日本で育った日本人である彼ら、彼女らのまだまだあどけない顔や、表情、様子をみていると、セックスをしようよ、酒を飲もうよ、という歌の歌詞を理解して歌い上げているというようには思えません。そうではなくて誰かが歌っている映像を見て、メロディやリズムやノリに惹かれて選曲し、あとは単なる音として歌っている、というほうが近いのではないでしょうか。

もしそうだとすると、それは、英語学習として英語教育として英語の歌を歌う・歌わせる場合には、よろしくない状況のように思えます。意味を考えずに音読する「空読み」にも似た、「空歌い」になってしまいます。

音楽の力は偉大です。メロディとリズムは、それだけで聞く人の気分を左右する力を持っています。iPhoneの「写真」アプリには、同じ日にとった写真のグループを勝手に?まとめて、勝手にBGMつきのスライドショーにしてくれる機能があります。

ちょっと前、私がネコのケージを分解する際に、いつかまた組み立てるときの参考にと、分解過程を撮影しておいた10枚程度の写真が、知らないうちにBGMつきのスライドショーになっており、それを見たときの驚き。。。 なんだか感傷と感動をさそうような作品に仕上がっている!ただの即物的なネコのケージの部品が写っているだけなのに!まったく感動のない写真でさえ、感動をさそう錯覚を創り出す。音楽恐るべし!

なんじゃこりゃ~の歌詞が、メロディとリズムと重なった時、総体として「いい歌」になる、いや、なってしまう、時が十分あるのが、歌というもののすばらしさであり、また同時に難しさ、落とし穴ではないでしょうか。

個人の趣味として歌うぶんには、どんな歌でも自分で「いい歌」だと思う歌を歌えばよいのだと思います。

しかし、英語教材として扱う歌は、その学習者にとって、(1)英語として明示的な意味が明らかで、筋が通っていて、(2)学習・記憶するに値する表現、単語(のみ、でなくとも、多く)が使われており、(3)歌詞の内容が広い意味でその歌い手にとって適切(educational だったり、inspirational だったり、instructional だったりと、romanticだったり、encouraging だったり、と適切さの方向はいろいろだと思いますが)である、という条件を満たしているべきだと思います。

今回のコンテストでも、これらを満たした歌がほとんででした。ただ中にごく少数だけ、むむ、という歌が混じっていた、ということです。

単に雰囲気作りだけのために音楽を流すのはもったいないのと同じくらい、覚えた歌詞がその後の自己表現や発信のためにあまり使えない歌を、時間をかけて練習するのは、別の意味でもったいないのではないか、と思います。

今回のコンテストとは無関係ですが、たとえば、Queen の We will rock you は、(1)(2)(3)のどの条件も、どちらかと言えば満たさないように思います。私自身も今年、学生(大学生です)からのリクエストで使ってみたのですが、たしかにあの「ズンズンチャ!ズンズンチャ!」で気分アゲアゲにはなるものの、歌詞の小テストに使える(テストとして取り上げるに値する)単語、表現の少なさに改めてあとから気づきました。来年度使うかどうかは思案のしどころだと思っています。

これらの3つの条件を満たすということと、歌う当事者である生徒・学生に対する訴求力がある、という条件の両方の折り合いをつけるのが、選曲時における moderator, mediator としての教員の役割・腕のみせどころかと思います。




3/09/2017

授業に命を賭ける地上最強の英語教師からのメッセージを聞け!

『高校英語のアクティブ・ラーニング: 成功する指導技術&4技能統合型活動アイデア50』(明治図書)の著者でもある、教え子のセバスこと小林翔君からメールをもらった。

彼は東京都教育委員会が主催する「教師道場」の研修リーダーとして後進を引っ張ってきたが、このたび研修を終了するにあたり、全体の代表として挨拶したので、それを読んで欲しい、と。

本人の希望もあり、彼の熱い思いをこのブログで紹介する。現場に行くと「教師って授業だけじゃないんですよ(ね)」という方向で知ったような顔で話す教師が多いなか、セバスのような授業ファーストを超えて「授業命」の哲学をもった人間は大変に珍しく、かつ頼もしい。

これからも若手のトップあるいは中堅のミドル?として、東京都の英語教員を引っ張っていってもらいたい。


<東京都授業研修修了式でのスピーチ文(抜粋)>

Back to the basics (初心に戻れ)

東京都立白鷗高等学校 小林翔

本日は私が教師として授業に臨むうえで一番大切にしている点についてお話しをさせていただきます。それは、よい授業というのは準備の段階でその大半が決まるということです。

ここで外科医のテレビドラマでの一つの台詞を引用します。「オペというのは準備で全てが決まる。だから何度も検証する。オペの手順、考えられるリスク、それを回避する方法、それらを全部何度も何度も何度も恐れや不安がなくなるまで検証する。怖いってことは準備が足りていないことだから、オペしてはいけない。」

このオペという部分を授業に当てはめてみるとこうなります。「授業というのは準備で全てが決まる。だから何度も検証する。授業の手順、考えられるリスク、それを回避する方法、それらを全部何度も何度も何度も恐れや不安がなくなるまで検証する。怖いってことは準備が足りていないことだから、その状態で授業をしてはいけない。」

外科医にとってのオペというのは患者の命に関わりますが、教師にとっての授業というのは生徒の人生に関わると考えます。たった一回だけの授業と考えるのではなく、その一回の授業にも最大限の準備をして授業に臨み、思いを尽くして授業を行うならば、生徒の未来は変わると思います

(中略)

学校生活の中心は授業です。教師の授業が変われば、生徒も変わる。この研修を通して、教師として授業で生徒を伸ばすことが第一であることを、再確認できたのではないかと思います。また、私も授業力の向上に向けて、更に、努力を積み重ねていく決意です。

皆さんは、この研修を終えるに当たり、一息ついていることと思います。ですが、ここからが大切です。この研修を通して身に付けたことを生かして、更に授業力の向上を目指してほしいと願っております。授業研究に終わりはありません。永遠の課題です。しかし、授業に対する情熱と生徒に対する熱い思いをもって実践を積み重ねていけば、必ずや授業力は向上していきます。自分の殻を破り、更なる目標を設定していきましょう。

Back to the basics.






しょうがいがある学生

世の中にはいろいろな人がいるのである。

LもGもBもTもストレートもいるのである。

(No matter gay straight or bi lesbian transgendered life, I'm on the right track baby I was born this way. ...)

頭のいい人もいれば、そうでない人もいるのである。

足の速い人もいれば、そうでない人もいるのである。

ルックスの良い人もいれば、そうでもない人もいるのである。

太った人もいれば、痩せた人もいるのである。

物覚えのいい人もいれば、そうでない人もいるのである。

しょうがいをかなりもっているひとも、多少もっているひとも、あまりもっていないひとも、いろいろいるのである。

身体的にしょうがいのあるひともいれば、知的にしょうがいのあるひともいれば、情緒的にしょうがいのあるひともいるのである。

しょうがいをもった子がうまれてくれば、その家庭は、その子が存在する以前とはいろいろな意味で異なる状況で進んでゆくことになるとおもう。

しかし異なってしまうからといって、しょうがいという個性をもったその子を排除しよう、という家庭はないはず。それも含めて自分の子なのだから。その子もふくめた全体が、自分たちという家族なのだから。自分の子は自分たちで生んだ、自分の一部だ。

学校も同じである。しょうがいという個性をもった生徒や学生を排除しよう、という学校はないはず。自分たちの生徒は、自分たちの一部だ。

頭が最高に良くて、視力は裸眼で2.0で、背が高くて、イケメンで、美女で、プロポーション抜群で、運動能力抜群で、思いやりがあって、品行方正な生徒や学生だけしか入学させない学校は、教師から見て手はかからないが、つまらないのではないだろうか。というかそんな学校に教師はいらんだろう。

また、そんな学校、わたしもあなたも含めて、世の中の99.9%の人は、入学試験に通らないだろうし。

2月25日の東京新聞に、自身も重度障害者である海老原宏美さんという方が、「障害者の自立を考える」という文章の中で、次のように書いている。

「貢献率の低い重度障害者を切り捨てれば、次は高齢者が貢献していない存在になる。高齢者を切り捨てれば次は病弱者...。どんなに切り捨てても、また新たな社会的弱者が生まれる。」

「価値を創り出すという能力は、唯一、人間にのみ与えられている。そう考えるとき、ただそこに静かに存在するだけの人間にその尊厳を見いだすことも、人間だからこそできるはずだ。それができなくなった時、相模原であったような悲惨な事件が起こってしまうのではないだろうか。」

「存在するだけで社会に『価値とは何か』を問い続ける。そんな重度障害者は、存在しているだけで社会に大きく貢献しているとは言えないだろうか。」












3/07/2017

英語は英語で解説せよ。そしてリズムを重視してトレーニングせよ。

撮影やりました!」から3か月。

3度目の撮影を本日行いました。本当は1月にやった2度目の撮影であとは編集作業に入っていただく予定だったのですが、2度目の撮影の出来に満足できず、ジャパンライムさんに無理をお願いして、予定外の3度目をやらせていただきました。

2度目の撮影がイマイチだったのは、すべて私の力不足です。スクリプトをがちがちに書いてしまったのが裏目にでて、そのスクリプトを覚えてそのままデリバーしようとしたために、表情の硬い、不自然なものになってしまいました。

これでは、教科教育法の学生に胸を張って見せることができない。。。

悩んだ末にお願いしたのが、今回の撮り直しです。

今回のDVDの仮題は、「英語は英語で解説し、かつリズミックに教えよう!」

英語は英語で教えねばならぬ、と文科省が(遅ればせながら)言い出したせいで、各種研究会の公開授業はいまやすべて「オールイングリッシュ」です。しかし、(ほとんどの場合)そこにぽっかりと抜け落ちているものがあると思います。

それは、「本文の精読」です。文法訳読法の授業であれば、1文1文、構文を確認し、意味を確認し、という作業が授業の中核になっていたはずですが、「オールイングリッシュ」になったとたんにその部分がまったくなくなっているのです。

しかしそれこそが、特に高校においては授業の「肝」であるはず。そこを避けて通って表面的な「オールイングリッシュ」を謳ったところで、それ、ごまかしでしょう。

ということで、その「なおざり」にされている部分に真正面から斬りこんだのが、今回のDVDです。

料理した題材は、中学および高校の検定教科書の本文、そしてオバマ前アメリカ大統領のあの広島スピーチです。

今日はその、本文を1文1文英語で解説して精読してゆく、という部分を撮影しました。

実は今回の企画を思い立ったきっかけは、ある教え子の「泣き言」です。彼は高校の中堅教員ですが、自分の学校の生徒たちには難しすぎる教科書を学校が選定するせいで訳読しかできない。。と訴えていました。

言いたいことはわかります。しかしちょっと待てよ。いくら難しそうに思えても、現実の世の中にそういうレベルの英文が存在しているのは紛れもない事実。その事実に背を向けて、訳読しかできないからそういう英文は教材として忌避する、という態度に私は瞬間的に違和感をもちました。そしてその場で彼が「訳読しかできません」と訴えていた本文を、それなりに英語で解説してみました。

本文がむつかしければ、よりやさしい英語で説明すればよい。構文がむつかしければ、それを分解してよりシンプルな文の組み合わせであることを示せばよい。無生物主語が難解ならば、同じことをより明快な生物主語の文にしてやればよい。内容が抽象的であれば、身近な例を挙げてやればよい。どれほど抽象的で難解な内容であっても、そのポイントを簡単に言えないことはないのではないか。

それを彼を教えてやりたい。だから、俗に進学校向けと分類されるCommunication English II や IIIの教科書の本文を使って、それが可能であることを実証してやりたい。

それが今回の企画の源でした。

発売は年度があけてかなり経った頃になると思われますが、ぜひ、ご期待ください。

3/06/2017

責任の先送りと過去戻しという無責任の連鎖

小学校の教員は、●●は中学校でやってもらえばいいや、中学校教員は●●は高校でやってもらえばいいや、高校教員は●●は大学でやってもらえばいいや、大学教員は●●はどこでやってもらえばいい??

あるいは、中1の担当者は、小学校で●●指導されていなかったから今からじゃ遅いし、中2の担当者は、中1で●●指導されてなかったからいまさら無理でしょ、高1の担当者は、中学で指導されてなかったから急にやりかた変えて●●やっても戸惑うし、高2の担当者は、いままで5年間●●されてなかったから、いまさらおそいでしょ。。

こういう発想で、here and now の自分が責任をとらず、責任を未来へ未来へ、あるいは過去へ過去へ転嫁するという人がかなり多いように思われる。

発音にかぎらず、音声指導一般にそうなのでは。

いままで指導されていなかったら、自分に出会ったいまこの瞬間から自分が指導してやろう、この子の英語観を転換させてやろう、英語人生を変えてやろう、高校生で、あるいは大学生で「発音バージン」や「音読バージン」に出会えるなんて(まるで中学生の初学者を教えるようにワクワクするから)なんてラッキーなんだ!!くらい、なぜ思えないのか、不思議。

学期の途中でやり方変えたら戸惑うから云々、という言い訳もよくきくが、根は一緒かと思われる。

発音を直すとやる気をそぐから。。。と言うあなたに私が問いたいこと

発音指導の話をすると、かならず出てくるのが、「発音指導をしてしまうと、こどもの動機づけをそいでしまって英語嫌いにしてしまうのじゃないでしょうか」という問。

そんなことはないですが、百歩譲ってそういうこともあるとして、では、そういう問をするあなたに逆に聞きたいことはこれです。

「まあ、だからその理由であなたは今は発音指導をしないのですね。それでは尋ねますが、いま発音指導をしないにしても、その学習者が、いつかは英語らしいクリアな発音で英語を話す日を迎えさせてやりたい、という気持ちはありますか?ありませんか?もしあるのなら、いつどうやって、どういう段階を踏んでその日を迎えさせてやるロードマップを描いているのか教えてください。」

「私は目の前の学習者に「いつか」英語らしい英語を話させてあげるための、私の知っている唯一の方法は、いま、私が、この手で、この場で、発音を直してやることだと考えて(本当は、「知って」)いるので発音指導をしています。その方法を先送りするあなたは、では、いつ、どのタイミングで、どうやって、その学習者の発音の改善を実現する見通しがあるのですか?」

「たんに今自分が『いい顔』をしていたいから、責任を先送りしているだけではなくて、きちんとした見通しがあるのですか? どういう見通しですか?」

「知っていると思いますが、単に使っているうちに発音がよくなることは100%ありません。英語圏で何十年も暮らしていても、発音レベルがそのままである移民はゴマンといることは周知の事実です。」

「見通しがあるなら教えてください。」

「もし、見通しもなく、そもそも、そういう日を迎えさせてやりたいという基本的な気持ちがないのであれば、あなたとの話はこれで終わりです。そういうあなたという教師を私は心から軽蔑し、あなたに教わっている不幸な学習者を、こころから不憫に思います。」

3/05/2017

言語エキスポWS終了しました

淡路佳昌科研プロジェクトの一環でもある「小学校の先生のための手取り足取り発音講座」無事、終了しました。24名のかたに参加していただきました。ありがとうございます。

全体の感想としては、今回参加してくださった方は、概してもともと発音レベルが高かったということです。中学の先生の集団、高校の先生の集団、と比べてもまったく遜色なかった、いやむしろ平均的な中高の先生に比べるとひょっとすると勝っていました。

これが小学校の先生の平均的な姿だとすれば、かなりバラ色だと思いますが、そうではないでしょう。トップ〇%の方々なのかとも思います。

やはり、こういう大学を会場とした学会的な催しで発音トレーニングに自主的に参加するとなると、ある程度は「腕」に覚えがあるけれども、さらに向上したい、という上位層が多くなるのでしょうか。本当の、まったく英語発音に自信がない、たぶん一番厚い層の方々の興味をいかにかきたて、会場に足をはこんでもらうか、というのが今後の課題かもしれません。潜在的な需要は大きいと思うので。

こんどは自前でこういうWSを企画して、小学校に出前する、なども考えていきたいと思います。

きょうは、全体としてはまずまずできている先生方でしたが、文になるとついthで舌を使わなかったり、bとvが一緒になったりというケースも多かったので、それを矯正して1ランク向上していただくお手伝いもできたと思います。

約30分の全体指導プラス約40分のグルグルを経て、ビフォアとアフターを比べてみると、あきらかに細部のレベルは上がったと思いますので、細かく分析してみるのが楽しみです。

参加者のみなさまありがとうございました。本日、意識すればできるようになった音が、それほど意識しなくともできるようにするのは、ご自分の今後次第です。子どもたちのために、ぜひ、頑張ってください。

また学生アシスタントの4名もお疲れさま。