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8/29/2010

バセバジュウイチ

英語科指導法をとっている学生から、中学生の妹が習ってる英語教師について聞いた話。スペリングをローマ字で覚えるように指導しているという。

は? たとえば?

baseball は バセバ11

なんじゃそれ? 意味わからんね。

確かに、Wednesday を ウェドゥネスデー とか言って覚えたことはある。それは、Wednesday のスペリングと音の関係が不規則だからである。baseball は、100% フォニックスの規則に合っているのだから、バセバ11はいただけない。

以前書いた、bとdの混同を過度に気にする教員と同じように、一般に日本の英語教師は、「発音はどぅであっても、結果としてのスペリングが合っているか間違っているか」ばかりを気にしすぎているように思う。

だから、こういうローマ字語呂合わせ的なスペリング記憶指導が出るのだ。

発想を変えて、まずきちんと発音を押さえ、その発音を表す(あるいは表し得る)英語のスペリングにはどういうものがあるか、をまともに授業で取り上げたらどうか。

Avril Lavigne に、Sk8er Boi というタイトルの曲があるのだが、もちろん

Skater Boy をもじったつづりである。 こういう、

Skate = Sk+eight

ater = eight + er

のような感覚を、正規の授業でもっともっと取り上げればよいと思うのである。

「でも、そうすると本当のスペリングがどれか、混同するから...」

という発想する人は、バイバイ。以降は読まなくていいです。

「混同」してもいいんだよ。たまたま「現実の」スペリングがどれなのかを「くそ暗記」するより、英語のスペリングの規則を「覚える」ほうが、ずっと応用範囲が広いし、価値がある。

ある、音に対してルールに則ったスペリングに得点を与えるテスト、というのもあっていいでしょう。

さらに進めると、日本語の音をもし仮に英語スペリングで表したらどうなるか、という話にもなる。たとえば、桃太郎の出だしあたり、


「どんぶらこ どんぶらこ と 拾われた 桃から生まれた桃太郎」

を、たとえば、

Don't black coat, don't black coat, oh, hero wallet tar

Momma color womb her let her Momma tarot oh!

というスペリングにすれば、英語ネイティブが発音すると原語の日本語音に近くなる、

というような話を正規の授業でやってみるのだ。

たとえば、

http://www2.research.att.com/~ttsweb/tts/demo.php

に、上のテキストを貼り付けて、音を聞いてみてください。

ちなみに、この「桃太郎」は鬼退治するまでのお話全体を、ジャパンライムから発売している、英語発音の達人ワークアウト: English あいうえお (DVD)

http://www.japanlaim.co.jp/fs/jplm/c/486

に ちゃんと収録しているから、興味のある人は是非、みてくださいな。


An English teacher who teaches her students to memorize the spelling of "baseball" by chanting bah-seh-bah-jew-eechie is doing them considerable disservice.  Such a practice is evidence that the teacher is only interested in making students to get the spelling, as a series of orthographical symbols, right, ignoring whether or not they get the pronunciation right.

8/24/2010

英語は「学力」ではない

英語力が、「学力」のくくりで語られるのを聞いて、なにか違和感を覚えた。

「学力」という用語からは、要するにペーパーテストおよびその点数、およびそれを偏差値化したもの、などのイメージしか浮かんで来ない。

英語の運用力、実技、スキル、使える、スピーキング、ライティング、といったイメージは浮かんでこない。

はなせてナンボ、かけてナンボ、というイメージをもたないと。

Using the term "academic achievement" when talking about English sounds at least to me off the mark.  That, I believe, reflects a mindset that considers English as just another school subject, as opposed to a language to be used in the real world.

8/22/2010

英語教師は英語で発表しろ

今日、関東甲信越英語教育学会で発表してきました。

CNNのファイルの書き取りをさせるとき、わからなかったら空欄にするのでなく、

If you do アカリオ エナリ...

のように、カタカナで書かせておいて、あとで、正解の

If you do a cardio and not eat, ...

と照らしあわせると、いろいろ気づくことがあるよ~

という内容です。

それはともかく、自分以外に英語で発表する人がほとんどいないのが気になりました

前から言っているように、日本の英語教育のレベルが低いことの原因であり、かつ結果であるのは、「英語教師が英語が使えない」ことです。そしてそのひとつの現れが、学会や、研修会で、英語教員が英語教員を対象にして英語教育に関して発表したり、討論したりする時に、ほとんど、日本語を使って行う、ということです。

「どうやって、生徒に英語をつかって積極的にコミュニケーションをさせようか」というテーマを、英語教師が日本語でコミュニケーションするのが当たり前、というほとんんど冗談のような状況です。

自分がつかわねえものを、生徒がつかうわけねえだろうが。

話し手も聞き手も日本人なのだから、日本語でもいいのでは、と言う人が多いのですが、問題は、じゃあ聴衆に英語ネイティブがいれば、即、英語に切り替えて、同じように自由に討論や発表できるのか、と問われて、YESと言えない教員がほとんどだ、ということです。

つまり、「英語でやる必然性がないから」というのは、実は言い訳で、本音は、「英語でやる自信がないし、無理にやってみると、お互い話が深まらないから」日本語でやる、のです。

何度も言っているように、教員の英語運用力は、直接、どういう授業テクニックを利用できるか、と決定します。EIYOWはいいな、と思っても、自由にパラフレーズできる自信がなければ、そんな教授法は、使えません。

つまり、まず「体」なのです。

だから、自分の日頃やっている仕事である英語教育についてのことを、リラックスして正しい英語で話せる力がないならば、生徒を惹きつける活動について悠長に日本語で話し合っているヒマがあったら、自分のスピーキングをなんとかする努力をすべきなのです。

その格好の場は、授業であり、英語教員同士での研修や発表なのです。

我々、non-native English teachers は、

日本語より、格段に、英語で話すのがおっくうで、労力がかかって、リラックスできない

からこそ、あらゆる機会をとらえて、英語で話すことによって、自分をimprove する職業的義務があるのです。

英語のほうが苦手だから、その英語を教えてカネをもらうプロとしては、最低限の運用力をつけようするために英語で話す義務があるのです

その意味で、英語教育の学会で、英語での発表が norm になる日がくるまでは、日本の英語のレベルは世界ではもちろん、アジアでも最低のままでしょう。 韓国にももうかなり水をあけられつつあるようです。

私個人は、講演やワークショップで呼ばれると、英語教師がオーディエンスである限りは、主催者の意向は一切無視して、原則として英語で通す、という実践を少なくとも15年以上は続けています。

大きな会場の講演後の質疑応答で、なまりのきついALTに質問されて、わからず、四苦八苦して恥もかいたこともあります。

参照 → https://sites.google.com/site/zukeshomepage/publications/practical-papers/064-gentei

しかし、だから、次からは英語でやるのはやめよう、とは思いませんでした。そう思っては進歩がないからです。

言いたいことが言えない、というフラストレーションを感じるからこそ、やるのです。そのフラストレーションがあるからこそ、辞書をしらべ、次の機会にはすらすらその表現を使おう、と思うのです。フラストレーションを感じたくないから、日本語の世界にとどまって、お互いに、低いレベルで慰め合っていては、進歩はありません。

だから、すくなくとも、私の授業を受けた学生には、将来教師になったら、研修や発表は、相手が英語教師であるかぎり、腕ずくで阻止されない限り、何が何でも英語でやる、自分もそれをメシの種にしているプロだし、相手もそうだから、という強い気持ちを持って欲しい、と願っています。

英語を喋るのに苦手意識があるままで、英語教師をつづけるような人間にはなって欲しくないからです。


I strongly believe that not until Japanese English teachers begin to make presentations in English, not in Japanese, at conferences or meetings where the audience is their colleagues will the average English proficiency of Japanese people stop being the lowest in the world.   The level of your command of English severely limits the range of teaching techniques you can use in your classroom.   When you cannot use English comfortably, how can you put paraphrasing activities at the core of your class?   As someone who is poorer at a language that he or she is being paid to teach, you have a professional obligation to use that second language whenever and wherever possible to improve your proficiency.  





8/20/2010

的外れなワークショップ

ほとんどの教員研修は力点の置き方を間違っている。それは、英語教師として自分たちに何が一番たりないか、を理解していないからだ。

「生徒を惹きつける」言語活動とか、教材とか、「わくわくさせる」導入方法とか、そういう「こじゃれた」「しゃれた」部分を追い求めながら、自分の英語はトンデモ発音、トンデモ文法(←即興でしゃべらせると、スピーキングでトンデモ文法の人は、たくさんいる)で、生徒ももちろんトンデモ英語。

生徒を惹きつける小道具とかマルチメディアとか探すヒマがあったら、まず自分の英語をプロとして聞くに堪えるものにしろ。

心・技・体、というが、本当の順番は、

体>心>技

@確かな運用力があってこそ持てる、厳しい心

@確かな運用力があってこそ、はじめて意味をもつ 技

小手先のテクニックなんか最後の最後でいい。

目標を示して、そのレベルに到達するまで、叱咤激励する。

英語の授業はそれだけでいい。

小学生も中学生も高校生も大学生も大学院生も、すべて同じ。



Most seminars and workshops for Japanese EFL teachers are misguided in that they try mainly to seek after teaching materials, teaching techniques, classroom activities that they believe will attract even unmotivated learners.  I say misguided because they do so when they, teachers, cannot use the language properly themselves; they speak with terrible pronunciation and lousy grammar.  Teaching techniques are effective only when the teacher can speak and write good English.  If you are a good speaker of English, teaching techniques will take care of themselves in time.

8/19/2010

小学生にもグルグルが一番

今月、小学5~6年生に英語を教えた。3時間×6日間連続。

When I grow up, I want to be a doctor.
  O    o    o   O o   O   o   O  o  O o

A doctor is a person who cures sick people.
 o   O o  o o   O  o    o     O      O     O o


What is an animals that has brown fur?
  O    o  o   O o o   o     O      O     O

A wombat is an animal that has brown fur.
 o   O  o   o  o   O o o   o    O    O       O

A rugby is a ball game played with a rugby ball.
 o   O o  o o O   O      O         o   o  O o   O

などを、踊りながら、グルグルグルグル。

小学生はすばらしい。

まねしてごらんと言わなくても、先生の口を凝視して、口のかたちまで真似しようと必死にくらいついてくる。

夢のような、至福の、六日間だった。

中学の先取りはダメだとか、スキルを教えてはダメだとか、発音を訓練してはダメだとか、英語を嫌いにしないように文字は教えるな、とか.....

愚にもつかないことばかり言い続ける「お上」の言うことは、鼻で笑って、まともに英語を教えると、小学生はいいよ! 伸びる! 楽しい! 最高!

Teaching English to young learners is simply an ecstatic experience, if you are a good teacher.  Otherwise, forget it.  They are too good at copying you.   If you are not good enough to be copied,  do not expose them to garbage.

8/01/2010

残念な質問 その2 「生徒はズルしませんか?」

(小)テストの採点は生徒・学生にさせる、とか、グルグルは私が「マル!」と言ったのを生徒に記入させる、という話をすると、決まって出てくるのが...

「生徒はインチキしませんか?」

という質問。

悪気はないとは思うが、この質問をされるたびに嫌な気持ちになる。

そんなこと私のほうは考えもしないから。

私が考えもしないのだから、私の生徒も考えもしないと思います。

だいたい、そういうことを心配すること自体がさもしいでしょ。

つうか、

「この先生の授業は真面目に全力投球しよう。ズルなんか自分としてしたくない」

という気持ちにさせるのが教師の役目だろうが!

One of the questions that dishearten me after I give a workshop on how I give quizzes or GG activities is, "If you let your students mark their own quiz papers, do they not cheat?"   They don't.   That's because--and why--I never even think about that.    They never think about cheating me because they know I am serious about getting them better.