今回の実習生の訪問指導は、タイトルのような結果となった。100点満点で、甘くつけて30点、というところである。
そしてその30点は、我々指導教員二人の2年半にわたる指導効果に対してつけられた点数でもあるのだ。
「俺たちは英語教育概論で、教科教育法で、何を教えてきたのだ。あれだけ濃密に教えてきてこの結果ということであれば、これから何をどう教えてゆけばよいのだ。」
そのような重い問いを突き付けられる結果となった。
<生徒:中1、19名>
(1) 冒頭のあいさつ
How's the weather? と言っているつもりが、theを気にするあまり直前の歯擦音zが言えず、How the weather?になる、というよくある発音ミスでスタート。
(2)スペリング想起ゲーム
※ちなみに、綴りのことを「スペル」と書く人が多いが、spell は動詞、spelling が名詞である。「綴り」か「スペリング」のどちらかにせよ。
生徒を3つの班に分ける。生徒は手元の教科書を見て、既習の単語の意味と綴りを一生懸命確認している。各藩からひとりずつ教卓に行くと、3つのカードに3つの和訳が書いてある。たとえばA班用は「私は」B班用は「友だち」C班用は「みんな」。その和訳に対応する英単語を黒板に書く、というゲーム。つまり、既習の単語に関して、和訳から綴りを思い出して正しく書ける数を、班で競う、というものだ。
生徒は結構苦戦し、frend とか、goob(あとでgoodに訂正)、「私は」に対してMiとかがでる。注目すべき誤答は、
ともだち frend
私は Mi
彼女は she's
みんな evriyone
である。
5分経過して、教師が答えをひとつひとつ、確認していく。「これ合ってる?教科書で確認してごらん」生徒:「合ってる/合ってない 。。が足りない」 教師が赤で訂正し、班ごとの得点を集計し、「きょうはA班が優勝!イェ~い!」
■問題点:
教師の姿勢も、生徒の姿勢も、「つづりを目でよく見て覚える」というもので、〇〇という音の単語だからこういう綴りになっている、という「音を覚えて、それを表している綴りがかけるようになる」という姿勢がない。
いちがいに「綴り間違い」として切り捨てられがちな、生徒のスペリングをどう処理するか、でその教員の力量はおおむねわかってしまう。
frend という綴りは、friendの音を的確にあらわしているという点で、ある意味正しいのである。この生徒はフレンドという音は覚えているのかもしれない。そのことを認めて、褒めてやらねばならなかった。
Miも単に切り捨てるのではなく、「これ何ていう発音だと思って書いたの?」と聞き、もし「マイ」だと思っていたら、褒めなければならなかった。ただし、「マイ」は「私の」で、「アイ」が「私は」だよ、惜しかったね、と言う必要があった。
evriyone も切り捨ててはいけなかった。evriの部分は、あるいみ、everiよりも、本当の発音に近い。eを入れなかったのは、発音に対する鋭敏さの証かもしれなかった。
そして、最終的に答え合わせがおわったあと、せめて教師が、綴りの該当箇所を指し示しながら、ゆっくりはっきり発音し、生徒にも、綴りと音の対応を意識しながらリピートさせる、という仕上げを絶対にやるべきだった。
そういう音声はいっさいなく、空虚な「だからA班が〇点で優勝!」という仕上げ。
「スペリングは目でよく見てそのまま覚える」という最悪の学習ストラテジーを中1に刷り込んでしまっている。オーマイガー(涙)!!
なおここまでで25分経過。
(3)一般動詞の導入としての自己紹介
パワポをつかって教師が Hi! My name is XXXX XXXX. I like English. I study it every day. I like music, too. I play the piano every morning. という自己紹介をする。視線はほとんど手元に落ちている。パワポのスクリーンもみず、生徒の顔もほとんど見ていない。それを2回だけ、繰り返した(だけ)。文ストレスもマズイ点があり、I study IT every day. と it を強めるというあり得ないモデルの提示。
2回聞かせただけで、「何を言ってた?グループで話し合ってみて」と生徒に投げる。
「英語が好き」「音楽がどうの」「ピアノをやる」などの断片的な答えを引き出したところで、スクリーンでスクリプトを出す。そのスクリプトは何を思ったか、
Hi! My name is XXXX XXXX.
I like English.
I study it every day.
I like music, too.
I play the piano every morning.
と、センターぞろえになっている。馬鹿者。英語はセンター揃えで書く、と教えたいのか?左端から書くのではないのか?
これを提示したらあとは日本語による説明をえんえんと始めた。every は「毎」です。dayは「日」です。だから、every day は、「毎日」です。的なもの。
■問題点
説明しすぎ。訳しすぎ。英語を言わなすぎ。
「意味がわかった?」じゃなく、意味がいやでもわかるように、わかるまで英語で演じろ。表情を使え。ジェスチャー使え。パワポの絵だってあんだろ。気合で意味を、全身をつかって伝えろ。
あのせっかくの自己紹介をなぜたった2回、しかも通しで聞かせただけで終えるのか、意味が分からない。生徒に音声を聞かせるというつもりがないのか。私の英語を聞きなさい、私の音を聞きなさい、私の口を見なさい、意味がわかるでしょ、ほら私の表情を見てごらん、とばかりに、なぜ生徒に迫らない?なぜ生徒にアピールしない?
また、スクリプトを見せたあとで、スクリプトをなぞりながらもういちど音声を聞かせることもやらなかった。スクリプトなしでなんとなく聞いていた英語を、もういちど文字と音を対応させながら聞く、という貴重な機会をなぜ作らなかった?
生徒になかに音と意味とスペリングを一致させてやろう、という気持ちが根本的にないのではないか?
パワポの提示も工夫せよ。たとえば、
第1段階では、
Hi! My name is XXXX XXXX.
I like English.
I like music, too.
という提示をして、名前、好きなもの1、好きなもの2、という最低限の骨組みを見せ、第2段階で、
Hi! My name is XXXX XXXX.
I like English. I study it every day.
I like music, too. I play the piano every morning.
という、好きなもの1+補足説明 好きなもの2+補足説明
とすれば、談話の構造が明確に意識させられたし、その後あるいはその前に、
といったような、非言語的要素を使った視覚補助を見せながら、英語を提示することもできた。
(4)プリントを使った説明と穴埋め
動詞がbe動詞と一般動詞に分かれ、それには何があるか、などのの説明のプリントを実物投影し、教師が日本語でえんえんと解説しながら赤で空欄を埋めてゆき、それをひたすら生徒が書く写す。例文が書いてあって、日本語訳もあるのだが、その音読はゼロ。教師も音読しない。生徒も音読しない。
■問題点
まるで塾の授業だ。文法用語を覚えるのが文法であるような雰囲気と、適切な日本語訳をあてることが英語学習も目的である、ような雰囲気がぷんぷんする。
「be動詞」とか「一般動詞」とかの用語、ラベルはどっちかっていえばどうでもいいことのなのである。知っておいたほうがゆくゆく便利だが、いま大切なのは基本的な I like ... とか I play ... の文を何度も聞かせ、何度も言わせ、意味の理解をともなって耳にしみこませることなのだ。
(5)自分のことを書く
最後に、「では自分のことを書いてみましょう」といって、各自、プリントに My name is ... I like ... などと書かせる。
■問題点
ここまでくると言語道断である。生徒はただの一度も自分の口から音声を発したことのない、文字の羅列を、書き写すという作業をさせられている。案の定
I ilke .... などと書いている子もいた(という淡路先生の観察あり)
まずは聞かせる。つぎに言わせる。何度も言わせる。言えるようになったら、その音を文字に書きつけてみよう。という手順を踏まない限り、もはや言語としての英語ではなく、音のない記号の暗記大会だ。
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もちろん上で書いたようなことは私も淡路先生もこの2年半、手を変え品を変え、教えてきた(つもりである)。それが。。。
英語での説明に果敢にチャレンジしてうまくいかなかった学生は過去にもいた。リズム音読にチャレンジして自滅する学生は過去にもいた。それらは心意気やよし、としたい。しかし今回の授業は、音声言語として英語を口にさせるという試みさえしようとせず終わった、という、逆に、超レアな授業である。しかも中1!
往復500キロ超の長旅は、東京駅で別れる際の、
「まあ、あまり気を落とさずに(また頑張っていきましょう。。。)」
というおじさん同士の、ほろ苦い慰めあいで終わったのだった。
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くぉら~!お前は反省文出せ、反省文!(怒) 改善した授業をビデオに撮って帰ってこい!