高1の授業。
テーマは、動名詞。to不定詞と ing型の使い分けに関する例文を主体にした文法メインの授業。
答え合わせを、例えば10題の問題に対して10人の生徒を指名して、解答の文を黒板に書かせ、それを確認、添削してゆく、というオーソドックスな方法で進む。
まず不定詞と動名詞の使い分けの正誤を確認してから、その生徒にその文の訳を言わせて確認する。
うむむ~
それはいいのだが、問題の正解が分かって、訳がわかった時点での、生徒の間にひろがる、「できた、きょうの目標が達成できた」感がハンパない。生徒はひたすらノートに正解を書き写す。
つまり、授業の到達目標が、教師にとっても、生徒にとっても、「動名詞に関する文法問題の答えが正しく選べて、例文の意味がわかる(正しい訳が言える)」になっているのである。
そこで終わらず、それはむしろ出発点にしようよ。
授業の到達目標を、その例文のどれでも、ランダムに、日本語を聞いた瞬間、クリアな発音と適切なプロソディで一気に言える、というものにすれば、そこまで行くためにやらねばならないことはおのずと見えてくるはず。
発音メインの授業でも、非文を使うことはありえない。
それと同じくらい、文法メインの授業でも、非音(というのは造語ですが、英語(的)でない音声、という意味)を言わせて済ませることはあってはならないはず。
文法授業だって、音声授業です。
ライティング授業だって、音声授業です。
リーディング授業だって、音声授業です。
逆に、音声授業だって、広い意味の文法授業であり、語彙授業です。
そういう相互乗り入れの感覚をもっておくことが、とても大切です。
次に見に行くときは、期待してるよ。
発音ザムライ、ジャパリッシュ英語教師を斬る! 寄るな触るな、触れなば斬らん! 斬り捨て御免で御意見無用! (Part of the Caption by Courtesy of Madame Satoh)
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10/22/2016
共愛学園 revisited 最後はマイクでみんなの前で堂々と
2年前にお邪魔した共愛学園高等学校に再び呼んでいただき、こんどはWhat Makes You Beautiful を題材にした音節感覚養成/発音トレーニングをさせていただきました。
前回は38名が相手でしたが、今回は1年生、2年生の英語科あわせて90名! お客様が多いとこちらのやる気感も高まります。おまけに新装なったきれいな礼拝堂が会場で、プロジェクターを映す画面も大きいし、言うことなし。
2年前も「ノリノリ高校生」とタイトルづけをしましたが、なぜか共愛の生徒さんとはケミストリーがいいようで、今回も、抜群ににやりやすく、きもちよく進めさせてもらいました。
1時間目は音節の話、2時間はWhat makes..の実技。
一斉指導とグループワークを組み合わせて進め、適宜会場内を歩き回って質問を受けたり、コーチしたり、といつも大学でやっている授業の通りの感じです。
「じゃあ今練習したところまでをグループ内で確認しあってください。あとで、グループから一人ずつでてもらって。。。(ここで悲鳴!) 誰が出ても大丈夫なようにしてください!」
とブラフをかけると、必死になってグループないで collaborative learning を始めてくれる素直さ。いいですね。
で、最後の15分くらいになったので、総仕上げとして、ダメ元で、近くの生徒に、「じゃあ君、1行目を歌ってみて」とマイクをつきつけてみました。
無理なら深追いしないつもりだったのですが、な、なんと、ちゃんと歌うではありませんか!
よしよし。じゃあ、次、2行目を。。。。君!と、つぎつぎとマイクを向けると、全員ちゃんと歌ってくれて、進んで行きます。
ひとり歌えば、会場の雰囲気はもうそういうものだ、ということになって、全員歌いますね。
もちろん、発音面がいまいちだったり、メロディがちょっと違ったり、という場合も多いので、それはきちんとその場で指摘して、それを修正して、はい、全員で!という
個人指名→フィードバック→一斉コーラス
というサイクルを繰り返しながら、1番はすべて歌えました。
最後の5分は、全員でアカペラコーラスをして、かなりの達成感の中で自然と沸き起こった拍手のなかで終わることができました。
初対面の集団で、マイク付きつけテクニックがうまく機能したのは、いろいろな意味ですばらしことだと思います。
楽しいひとときをありがとうございました。
前回は38名が相手でしたが、今回は1年生、2年生の英語科あわせて90名! お客様が多いとこちらのやる気感も高まります。おまけに新装なったきれいな礼拝堂が会場で、プロジェクターを映す画面も大きいし、言うことなし。
2年前も「ノリノリ高校生」とタイトルづけをしましたが、なぜか共愛の生徒さんとはケミストリーがいいようで、今回も、抜群ににやりやすく、きもちよく進めさせてもらいました。
1時間目は音節の話、2時間はWhat makes..の実技。
一斉指導とグループワークを組み合わせて進め、適宜会場内を歩き回って質問を受けたり、コーチしたり、といつも大学でやっている授業の通りの感じです。
「じゃあ今練習したところまでをグループ内で確認しあってください。あとで、グループから一人ずつでてもらって。。。(ここで悲鳴!) 誰が出ても大丈夫なようにしてください!」
とブラフをかけると、必死になってグループないで collaborative learning を始めてくれる素直さ。いいですね。
で、最後の15分くらいになったので、総仕上げとして、ダメ元で、近くの生徒に、「じゃあ君、1行目を歌ってみて」とマイクをつきつけてみました。
無理なら深追いしないつもりだったのですが、な、なんと、ちゃんと歌うではありませんか!
よしよし。じゃあ、次、2行目を。。。。君!と、つぎつぎとマイクを向けると、全員ちゃんと歌ってくれて、進んで行きます。
ひとり歌えば、会場の雰囲気はもうそういうものだ、ということになって、全員歌いますね。
もちろん、発音面がいまいちだったり、メロディがちょっと違ったり、という場合も多いので、それはきちんとその場で指摘して、それを修正して、はい、全員で!という
個人指名→フィードバック→一斉コーラス
というサイクルを繰り返しながら、1番はすべて歌えました。
最後の5分は、全員でアカペラコーラスをして、かなりの達成感の中で自然と沸き起こった拍手のなかで終わることができました。
初対面の集団で、マイク付きつけテクニックがうまく機能したのは、いろいろな意味ですばらしことだと思います。
楽しいひとときをありがとうございました。
10/13/2016
英語スピーチコンテスト:あれから7年
今日は、中学生英語スピーチコンテストの埼玉県大会の審査委員を務めさせていただきました。このお役目は、埼玉大学に赴任してすぐに拝命して以来毎年ですから、今年で8回目です。
7年前のあの日、午前中の予選審査を終え、用意していただいたお弁当を食べていると、ん?え?ああまずい。。
焼き魚の小骨が喉にささったような。。
え゛~ う゛~ お゛~ ぐお゛~ 。。。
(取れない!)
いや、これは気のせいだ、無視しておこう。。。
でもこの感覚は気のせいではない。不都合な現実である。困った。
そうこうしているうちにお昼休みも終わり、午後の審査が始まりました。もちろん審査はきちんといたしましたが、その一方で、やはり取れない。。。
2時間後、大会も無事終わり、同僚のO先生と帰りの電車が一緒でしたが、やはり取れない。なにか喋ると喉が刺激されて吐きそうになるので、なるべく喋らないように、喋らないように。。。しながらなんとかやり過ごそう。。。
そんなこととはツユ知らないO先生がいろいろ話しかけてくださるのですが、私は必要最低限の相槌ばかり。今思えば、正直に状態を告白していればよかっただろう、とは思いますが、魚の小骨が喉にささって困っている?50絡みの大の男が?という自分の思いもあり、言えませんでした。
家に帰って風呂に入りながら感覚を確かめても、やはりある。じっとしていても吐きそうです。これはダメだ。
翌日、午前中に「教職入門」があったのですが、急遽休講の連絡をして自宅近くの耳鼻咽喉科に。
ところが、いくら見ても、「ありません」「見えません」と。
んな馬鹿な。。
とは思いましたが、じゃあ気のせいなんだろうと思い直して、大学に行き、午後の授業だけ済ませました。が、やっぱり吐きそうだ。
ということで、帰りに北浦和駅の関耳鼻咽喉科に駆け込むと、私の口の中を覗き込むなり先生が、
「ああ、あるね~」
と言ったと思うと次の瞬間には、ピンセット?の中に、細~い小骨が。あの時の先生は神に見えました。
ああ。。。良かった。。。
という事件がありました。
で、なぜこんなくだらない話を長々書いているかというと、あのとき小骨のために休講にさせてもらった「教職入門」(1年生科目)にいた学生のうちの二人に、今日の大会で出会ったからです。
ふたりとも今や、教員4年目。片や大会の事務局委員、方や出場生徒の引率教員。
(誤解なきよう申し添えますと、その引率教員の学校名も、引率している生徒名も、審査が終了し、大会が終了するまで私は聞かないよう努め、そして実際に聞いておりません。審査に私情を持ち込む余地があってはなりません。)
あの「魚の小骨事件」から7年。
あの時に休講にさせてもらった大学1年生が、今や埼玉県の中核教員(の候補)として立派に活躍してくれている。
本当に嬉しいです。
7年もたてばこっちも歳をとるわけだ、という思いと、あの時に伝えたことはきっと受け継いでくれている、蒔いた種子、もとい、肥料をあげた種子が元気に育ってくれている、という思いが入り混じって感無量です。
(ふたりとも、しっかり頑張ってな。そのうち授業のビデオ撮りに行くからヨロシク。)
ちなみに、あれ以来、出された弁当に魚があったら絶対に手を付けません。
7年前のあの日、午前中の予選審査を終え、用意していただいたお弁当を食べていると、ん?え?ああまずい。。
焼き魚の小骨が喉にささったような。。
え゛~ う゛~ お゛~ ぐお゛~ 。。。
(取れない!)
いや、これは気のせいだ、無視しておこう。。。
でもこの感覚は気のせいではない。不都合な現実である。困った。
そうこうしているうちにお昼休みも終わり、午後の審査が始まりました。もちろん審査はきちんといたしましたが、その一方で、やはり取れない。。。
2時間後、大会も無事終わり、同僚のO先生と帰りの電車が一緒でしたが、やはり取れない。なにか喋ると喉が刺激されて吐きそうになるので、なるべく喋らないように、喋らないように。。。しながらなんとかやり過ごそう。。。
そんなこととはツユ知らないO先生がいろいろ話しかけてくださるのですが、私は必要最低限の相槌ばかり。今思えば、正直に状態を告白していればよかっただろう、とは思いますが、魚の小骨が喉にささって困っている?50絡みの大の男が?という自分の思いもあり、言えませんでした。
家に帰って風呂に入りながら感覚を確かめても、やはりある。じっとしていても吐きそうです。これはダメだ。
翌日、午前中に「教職入門」があったのですが、急遽休講の連絡をして自宅近くの耳鼻咽喉科に。
ところが、いくら見ても、「ありません」「見えません」と。
んな馬鹿な。。
とは思いましたが、じゃあ気のせいなんだろうと思い直して、大学に行き、午後の授業だけ済ませました。が、やっぱり吐きそうだ。
ということで、帰りに北浦和駅の関耳鼻咽喉科に駆け込むと、私の口の中を覗き込むなり先生が、
「ああ、あるね~」
と言ったと思うと次の瞬間には、ピンセット?の中に、細~い小骨が。あの時の先生は神に見えました。
ああ。。。良かった。。。
という事件がありました。
で、なぜこんなくだらない話を長々書いているかというと、あのとき小骨のために休講にさせてもらった「教職入門」(1年生科目)にいた学生のうちの二人に、今日の大会で出会ったからです。
ふたりとも今や、教員4年目。片や大会の事務局委員、方や出場生徒の引率教員。
(誤解なきよう申し添えますと、その引率教員の学校名も、引率している生徒名も、審査が終了し、大会が終了するまで私は聞かないよう努め、そして実際に聞いておりません。審査に私情を持ち込む余地があってはなりません。)
あの「魚の小骨事件」から7年。
あの時に休講にさせてもらった大学1年生が、今や埼玉県の中核教員(の候補)として立派に活躍してくれている。
本当に嬉しいです。
7年もたてばこっちも歳をとるわけだ、という思いと、あの時に伝えたことはきっと受け継いでくれている、蒔いた種子、もとい、肥料をあげた種子が元気に育ってくれている、という思いが入り混じって感無量です。
(ふたりとも、しっかり頑張ってな。そのうち授業のビデオ撮りに行くからヨロシク。)
ちなみに、あれ以来、出された弁当に魚があったら絶対に手を付けません。
10/07/2016
10/01/2016
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