授業を見に行く、見に来ることを表現するとき、どういう立場の人間が、どういう目的で、どういう立場の人間の授業を見るのかで、日本語表現は変わるはずである。
「見学」というのは見て学ぶわけなので、見る側を、見られる側よりも下においた表現である。
実習生が指導教員の授業を見学する、とか、成果を上げているといわれる学校の授業を、他校の教員が見学する、などである。
「参観」は、単に参加して観る、ということなので、そのような上下関係は含意しない。
父母が授業を参観する、などである。
「観察」、となるとまったくニュートラルな語である。
授業観察 class observation
「視察」というのは、おエライさんが上から目線で inspect する、という含意だろう。あまり詳しく見ないでさっと表面を見る、というニュアンスも感じる。
なぜこんなことを書いているかというと、授業改善のために、ある授業の観察に外部の人間を呼ぶときに、
「授業を見学」
と書く人が結構いるからだ。学生ならまだしも、いい大人にも時々いるのだ。
授業を見て「いただいて」、「ご」指導を「賜る」相手に対して、「見て学べ」とは、無礼千万。