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10/27/2020

コロナ禍のなかでも、きっちり対面グルグルをやってくれました!

今シーズンはじめてとなった教育実習訪問。100キロを少し超えるくらいだが、1時間目が研究授業となるため前泊。下調べが悪く、乗り換えの駅で30分以上も待つことになり、ホテルについたのは9時を回ってしまった。遅い夕食のため唯一の選択肢であったホテル前の居酒屋チェーン店に入ると中は閑古鳥。外食業界の苦境を思う。

翌朝、奇しくも大東外英の卒業生であるという指導教員の先生がわざわざホテルまで迎えに来てくださる。今年還暦の私よりもさらに歳上の方だという情報から勝手に想像していたイメージとは全く異なり、スポーツタイプの車を乗りこなす若々しいバリッとした精悍な風貌にプチびっくり。伺うところによると30代の頃には日本人学校に通算4年ほども勤務されていた国際派であると判明。再任用であるが若い同僚を指導する役割を担っていらっしゃる力のある先生であることが明らかで、うちの実習生にとっての幸運を感謝した。

1時間目にまず授業を見せてもらい、2〜3時間目に講評、それを生かして同じ範囲の授業を別クラスに対して6時間目に再度行うという、1日のなかでビフォア/アフターができる理想的なスケジュールになるように、時間割を調整してくださっていた。この点も感謝である。

■ビフォア授業

そうして肝心の1時間目の授業であるが、期待通り「かなりの」出来であった。おおよその手順は次の通り:

1)パプリカの英語版をさらりと歌う
2)前の授業で提出された生徒の作文をピックアップして紹介&フィードバック
3)単語の導入
4)CDを一度聞かせる(プリント見ながら)
5)チャンク単位で音読練習
6)文単位で音読練習
7)内容理解のQ&A を3つ
8)グルグル

■講評

私がした主なアドバイスは以下の通り(番号は上の手順と対応しない)。

(1)音声CDを一度だけ流しただけで、その後はすべて肉声でやった件:

音声CDと教師の肉声の使い分け・棲み分けを意識すべきである。音声CDはかなり自然で速かったので、それを最終目標として、あれと同じように言えるようになるために、教師が肉声で様々なテクニックによって生徒の音声を鍛え、最終的には音声CDと同じようなリズムとスピードで言えるようになるのを「目指す」のがよい。

(2)音声CDのプロソディの聞き込みが甘い件:

文脈や特定の意味をプロソディに込めているのを聞き取れておらず、したがって生徒にも指導できていなかった。CDでは 'I think .... . → What do 'YOU think? となっているのを、i 'THINK ....., → What do you 'THINK? と指導してしまっていた。聞き込み、読み込みの不足。

(3)カタカナ語になっている単語の日英対比の発音指導が不足している件:

カタカナ語として日本語に入っている語が新出語になっている場合、まさに絶好の発音指導のチャンスなのである。

cup と「カップ」を対比して、cuppuじゃなくて、cup!
pin と 「ピン」を対比して、 piん じゃなくて、ピンヌ みたいに小さなヌを言うといいよ。
yo-yo と「ヨーヨー」を対比して、英語は ヨーじゃなくて「ヨウ」だよ!
adultと 「アダルト」と対比して、tと「ト」に加えて、 lと「ル」の対比にも触れ、「アダウt」みたいだよ!

のような指導が必要だ。

(4)Buzzリーディングに入るのが早すぎる件:

チャンクごとに一斉音読→センテンスごとに一斉音読のあと、Buzzに入ったのだが、一斉音読時の音声面の指導が不足(量的というよりも質的に)していたために、Buzzの質が今ひとつ上がらなかった。より効果的な一斉音読指導が必要。

(5)押さえるべきツボがずれた(あるいは不足だった)件:

典型的なJapanese learners of Englishのツボを押さえた指導が必要だった。キーセンテンスである、I think playing with a kendama is more difficult than playing with a yo-yo.で、thanの THに焦点を当てて発音指導してが、何と言ってもここは日本人にとっての最重要項目でもあり、かつ内容語の playにもある、Lを最重点にすべきであった。thanをzanといってもそういう単語はないが、playには pray, prey というミニマル・ペアがあるのである。

(6)生徒の発音へのフィードバックが、やっぱり足りない点

やろうとはしているがやっぱり足らない。生徒に個人の作文を発表させたときに、「いいね!」と褒めた上で「ワンポイントアドバイスです」といって、RでもTHでも、ひとつだけでもフィードバックして、当該生徒ではなくて全員に一回言わせてみる、といった地道な指導がほしい。生徒だけで一斉に読ませておいて、最初から最後までなにもいわず「結構読めるようになったね!」で終わっては、せっかく読ませてみて絶好の指導の機会を無にしたことになってしまう。やりすぎるとうるさいが、なにか言わせたらかならず1箇所はアドバイスをする、というのを原則にしてみるといいと思う。

(7)内容理解が不十分なまま音読に入った件:

プリントの裏には日本語訳があったが、ほとんど確認せず音読に入ってしまった。またその訳は普通の1文ずつの日本語訳なので、英語と日本語の対応関係が特に下位の生徒には必ずしも明確ではなかったと思われる。日本語訳は、英語の語順に応じたスラッシュ訳がよい。

また、チャンクごとにモデルなしで生徒たちだけで一斉音読させる際、全員のタイミングをあわせるキューとしてカスタネットを使用していたが、その代わりに次の瞬間に言わせたいチャンクの簡潔日本語訳をすばやく言う、のを提案した。つまり、

I think / playing with a kendama / is more difficult / than playing with a yo-yo.

を、

[思うな] I think / [けん玉で遊ぶのは] playing with a kendama / [より難しい] is more difficult / [ヨーヨーより] than playing with a yo-yo.

と言わせてはどうか、と提案したのである。これにより意味を意識させながら音読させることができ、「空読み」を防げるだろう。

(8)教科書の本文をそのまま音読するのみだった件:

実習生なのでしかたないのだが、本文はそのまま、せいぜいチャンクに区切るくらいで、音読させるのみだった。しかし、たとえば、

A kendama, like a yo-yo, is a toy enjoyed by both children and adults.

という文ならば、

A yo-yo is a toy enjoyed by children.
A yo-yo is a toy enjoyed by adults, too.
A yo-yo is a toy enjoyed by children and adults.
A yo-yo is a toy enjoyed by both children and adults.

A kendama is a toy enjoyed by children.
A kendama is a toy enjoyed by adults, too.
A kendama is a toy enjoyed by children and adults.
A kendama is a toy enjoyed by both children and adults.

と言う練習を、適宜日本語で意味をすばやく言いながら言わせ、その総仕上げとしてはじめて

A kendama, like a yo-yo, is a toy enjoyed by both children and adults.

と言わせれば、(1)構文や修飾関係などがよりより理解されやすく、かつ(2)このユニットの文法的なキーである、【名詞+過去分詞での後置修飾】を単純なリピートでなく形を変えながら9回も言わせることに繋がる。

また、

I think playing with a kendama is more difficult than playing with a yo-yo.

ならば、

I think playing with a kendama is difficult.
I think playing with a yo-yo is difficult, too.
But I think playing with a kendama is more difficult than playing with a yo-yo.

というのを、右手にケンダマ、左手にヨーヨーを持ち、右手のケンダマの高さを左手のヨーヨーよりも高く持ち上げて言うことで、 more difficult のイメージを現すことができただろう。

■アフター授業

以上のアドバイスをしたうえで、再チャレンジの6時間目に向けては、(3) 〜(8)についてはなんとか改善することを目指し、(1)と(2)については、いっそのこと音声CDを使用することをやめ、代わりに実習生自身がスクリプトをほぼ覚えて、そのままケンダマとヨーヨーを手に実演することを提案した。つまり、ちょっとしたオーラルイントロダクションからはじめて、教師が教科書本文を act outして、ロールモデルにすることを提案したのである。早すぎる音声CDを1回だけさらりと聞かせるなら、その時間を使って、教師の肉声によるプレゼンをさせるほうがずっとよいだろうと判断したのである。

急遽の変更になったわけなので、空き時間にしていただいた5時間目をつかって十分に練習させ、そして迎えた6時間目... 果たして...?

1時間目が50分授業だったのに対して6時間目は45分だったのだが、1時間目とおなじくなんとかグルグルまでやりきった! 冒頭の実演はまずまず成功である。1時間目と比べて生徒の食いつきが違うし、意味内容についても「うんうん」とうなずいて聞いている生徒が目立った。やっぱり噛み砕いたオーラルイントロダクションや、教師肉声による実演は極めて重要なのだ。(3)〜(8)についても、1点を除いてはすべて十分に改善されていた。

では改善が不十分だった1点とはなにかというと、(6)、つまり生徒へのフィードバックの不足だ。やはりもう一歩踏み込むハードルというのはこちらが考えるよりも高いものなのだろう。指名して作文を発表させた生徒の発音する "read"が思いっきり リーd であっても、そこは「いいね!」でスルーしてしまった。う〜ん。実習生の立場としてはこれが限界か。これ以上の踏み込みは、彼女が来春から実際に教壇にたち、「本物の」自分の生徒を担当するようになってからのお楽しみにとっておこう(か?)。(本音を言えば、あと数日間ある実習中に達成して欲しいけれど(^^)。

いずれにしても、ビフォア授業→講評→アフター授業 という理想的なサンドイッチができるようにご配慮くださった指導教員の先生には感謝してもしきれない。朝早くから放課後まで、本当にいろいろお世話になり、心より御礼申し上げます。あと数日間ですが、引き続きどうぞよろしくご指導のほどお願いいたします!

10/24/2020

4年前のサッカー大好き少年が、いまや子ども大好きパパに

 教育実習生の授業を見に行って95点をつけたのが、2016年6月。あれから4年と4ヶ月。あの時のサッカー大好き少年は、いまや故郷の青森に戻って専任教員をしている。

きょうその彼に、Zoom越しにではあったが再会することができた。大東文化大学の教職課程センター主催「教員養成コロキアム」の卒業生登壇者として迎えたのである。

打ち合わせでは1〜2度話はしていたのだが、いざパブリックな場で彼が話し始めると、声のトーンや態度だけでなく、話の内容があまりにも大人びたものに成長しているのに驚いた。

学生時代のワチャワチャした感じが影を潜め、そこにいるのは自信に満ち、しかし日々試行錯誤しながら子どものために努力する、授業に軸足を据え、自分のアイデンティティ=武器は音声面の指導だと言い切る、愛情に満ちた若きプロ英語教師だった。

オーストラリアでの2年間の「自分探し」の中で様々な経験をし、たとえるならば360度回った末に、やっぱりもともとの出発点であった「子どもたちのスピーキング力をつけたい」という気持ちを実現できる仕事についたのだ、と解釈する。

あれだけさまざまな経験をつんだ教師に教われる生徒は幸せだ。曰く、自分の生徒は自分のこどものように思っています。ごく最近リアルでも父親になったばかりの彼の言葉は説得力がある。

当時のサッカー大好き少年が、サッカー&子どもたち大好き青年教師となったのを確認し、じんわりとした嬉しさをかみしめた秋の一日。