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6/16/2011

犯罪は起こってから取り締まるより、抑止するのが大切

proactive という語があります。問題が起こってからそれに対処するのが reactive
なら、問題が起こるまえに、それを予防するためにするのが、proactive な行動です。

で、proactive 発音指導の一例:

状況: 各自、自分の考えを50語くらいで書いてきています。そこで、全員立たせて、自分の書いた英文の中で、

/r/を含んでいる語

とか、

thを含んでいる語

とか指定して、それを手を上げて発表させます。もちろんきちんと発音して。

ひとり発表するごとに、必要に応じてモデルを示し、みんなでリピートします。

この作業をやったあとに、ペアでその「考え」を相手に言う、という作業に入ります。

歩きまわって耳を澄ましてみると、すくなくとも自分で発表した語については注意して正しい発音で言うようになっています。

これを繰り返すと、徐々に他の語も直っていくでしょう。

6/15/2011

スラッシュ書き取り自己採点テスト、グルグルつき

きょうは「スラッシュ書き取り自己採点テスト」を紹介します。

適当な長さのパッセージ(たとえば50~70語くらい)を選び、あらかじめ、教師が指定した箇所にスラッシュを入れさせます。

チャンクの長さは、学生のレベルによって調整します。read and look up でいっきに言えるようになってほしいな、くらいの長さにします。

で、テストの始まり。

生徒は各自、そのパッセージを紙に書き写すのですが、その際、ひとつのチャンクをじっと見て、working
memoryにいれ、よし、となったらその記憶をたよりに書きます。チャンクの途中で答えを見てはいけません。

ひとつのチャンクが書き終わったら、もしくはもう書ける単語がなくなったら、答えを見て、赤で1語ずつマルをつけます。その際、もちろん書けなかった語は補います。

これを各自のペースで最後まで繰り返し、終わったら自己採点します。

もちろん、スピードがばらばらなので、早く終る生徒もいます。

その生徒は今度は立って教師の周りにあつまり、いま書き取ったチャンクごとの、グルグルを始めます。きちんと言えたら1チャンク一個10点とか5点、とか。これなら遊ぶ学生はいません。個人差にも対応できます。

6/05/2011

「個に応じた指導」なんてイラン

前のポストの彼女の最初の状態もそうだけど、「生徒一人ひとりに合った学習方法があるから..」とかいうフザケタ考えが跋扈(ばっこ)しているのが、非常に良くない。

まあ多少は個人差はあるとおもうけど、そんなことを学校の教師の側が気にすることはまったくない。40人ひとりひとりに合わせることはできないし、必要ない。

教師は自分のプロとしての経験とカンに基づいが「これがベストだ」というものを、自信を持ってクラス全員に有無を言わせずやらせるのが一番よろしい。

全員A定食を食わせる。なぜならそのA定食がほかのアラカルトよりも効果があるから。

というか、それが出せないならプロの資格はないでしょ。

右を向け、と言ったら生徒全員に右を向かせる。

それが一番大事。

「個に応じた指導」は教師の自信のなさの言い訳。

6/04/2011

嫌がられることをする教師は...

私の大学院の集中講義で、苦手意識のある英語の歌を全員の前で歌うことを強制された大学院生にもらった、嬉しい感想:

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最初に一人ずつ歌を選んで歌うという課題を知り、ショックを受けました。リズム感もなく音痴な私は、あの課題を知った時に受講するのをやめようとまで思い詰めました。日本語の歌でも嫌なのに自信のない英語で歌うなんて、それほどまでに私にとっては苦痛だったのです。

集中講義では丁寧に、そして根気強く英語の発音を直していただいて、すごく勉強になりました。初めて私の発音を訂正してくださる先生に出会いました。

しかし刻一刻と近づく私の歌の披露・・・発表の前日はずっと研究室で夜中までアカペラで歌う練習をしていました。辛くて、うまくできない自分が悔しくて涙を拭いながらの練習でした。

こんなにもいろいろな思いを抱えて英語の歌のアカペラに臨んだのに、発表はもう緊張してどうやって歌ったのかはしっかり覚えていません。しかし歌の発表を通して辛いことから逃げないという基本的なことを、身をもって学んだのは確かです。

私は生徒一人一人に合った学習方法があるのだから、生徒が嫌がることをするのはよくないと考えていました。しかし今回の集中講義を通して“「嫌がられる」ことをしてやるのも仕事”“ 生徒に対する迎合は何も生まない”という先生の言葉を痛感しました。人間的にも成長できましたし、リズムに合わせて必死に歌う練習ができました。

まだアカペラで英語の歌を歌う自信はついていませんが、靜先生の授業を受けてから自分でも歌えそうな歌があれば歌詞を見てシャドウイングをするようにしています。私の人生の中で一番インパクトがあり、そして濃い授業でした。ありがとうございました。

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よくガンバりました。私の辞書では、教育の本質は強制矯正だからね。



6/02/2011

教育実習で実感した教師の責任

教育実習生からの嬉しい報告:

実習を通して正しい英語を正しい音声で話す事の大切さを改めて実感しました。生徒(特に1年生)は教員の話す英語をきれいにコピーして、きれいに真似してrepeatしてくれます。だからこそ教員はきれいな英語で話さなければ生徒の英語力も伸びないとかんじました。

また、正しい英語を正しい音声やイントネーションで話す事は生徒からの信頼や尊敬を得る事にもつながると思います。「やはり先生はすごい!」という印象を生徒に持たせる事で生徒の英語に取り組む姿勢も変わってきます。

今までも正しい英語や音声は大切だと思っていましたが、今まで漠然と思っていた大切さが、今回実習を経験させていただいた事で現実味を帯びたものへと変わりました。



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まったくその通り。中学1年でどういう教員に当たるかで、その生徒の英語人生は大げさに言えば決まってしまう。我々の仕事はそういうコワイ仕事だ。だからまた、とてつもなくやり甲斐もある。

「コミュニケーション活動」を暇つぶしにしないためには

『「コミュニケーション活動」という名の暇つぶし』

と書いた。が、誤解してほしくないのは、「いま世間でやっているほとんどの」という意味で「 」をつけてあることである。

communication activities は、ようするに手の込んだペアワーク(もしくはグループワーク)なので、別に特別な活動ではない。

暇つぶしになってしまうのは、教師の「元気よくガヤガヤ声を出していれば成功している」という馬鹿げた姿勢のせいである。

きちんとした音声でここまでのレベルでパフォームできて初めて満足なのだ、という基準を明確に撃ち出して、その基準の達成を厳し求める、という姿勢さえあれば、暇つぶしでなく、英語運用力の向上に大きく役立つ。 当たり前だが。

6/01/2011

虎の目、竜の耳

いい授業を見た。

中学1年。

教師が生徒を睨んでいる。虎の眼だ。生徒全員の口元を観察してVの発音を正しくしているか、見ているのだ。

一斉音読の生徒全員の声に耳を澄ましている。なかにひとりでもおかしな発音をしている子がいないか、聞き分けようとしているのだ。竜の耳だ。

個人指名して読ませる際も一切妥協はしない。きちんといえるようになるまで、3回、4回、5回、「もっかい、最初から!」

それで諦める生徒はいない。教師が諦めないからだ。そして、6回目、7回目には、きちんとした音が出せるようになってゆく。Japan が言えるようになる。college が言えるようになる。college と courage の違いが言えない英語教師も決してめずらしくないのに。

教師が生徒の心をがっちりつかんでいる。生徒は教師に憧れている。

教師が高く上げた右手の指先に全生徒の注意が集まる。オーケストラの指揮者だな。

生徒はみるみるうまくなっていく。

きちんとした英語らしい発音ができるようになっていく。生徒は嬉しそうだ。楽しそうだ。楽しくないわけがない。自分が上達するのがわかるのだ。そしてまた先生が満足そうにOKと言ってくれるのが嬉しいのだ。

簡単にOKがでないからこそ、OKが出たときに歓びが大きいのだ。誰でももらえるOKじゃないからだ。

教師はリズムをとって身体を揺らす。生徒もそれを真似して腕をたたく。

机と椅子をすべて教室の中央に寄せて、グルグルが始まる。何周も何周もする。自分の番を待つ生徒は男子も女子も、大きな声で、友だちと話しながらも真面目に練習している。そしてOKをもらうと大喜びでガッツポーズだ。時折、教師は、全体に必要なフィードバックを大きな声で与える。

みるみるうまくなっている。

生徒はみんな必死で努力する。そして楽しそうだ。

準備に時間ばかりかかって益の少ない、例の「コミュニケーション活動」という名の暇つぶしなどはない。おなじ「うるさい盛り上がり」でも、なんという英語の質の違いだろう。

こういう教師に教えてもらえる生徒は幸せである。