発音ザムライ、ジャパリッシュ英語教師を斬る! 寄るな触るな、触れなば斬らん! 斬り捨て御免で御意見無用! (Part of the Caption by Courtesy of Madame Satoh)
Total Pageviews
4/29/2019
スマホ持ち込み各自リピーティングやってみた
教室全体に教師が教科書の録音音声を流し、適宜ポーズを入れ、学生に一斉に、あるいは指名して個別にリピーティングをする、というのはよくやっている。統制はとれるがやはり一斉形式の特徴でずっと緊張しているし教師も学生もある意味疲れる。
そこで今回新しいことをやってみた。教科書の音声をダウンロードしたものを各自のスマホに入れそれを教室に持ってくるよう指示した。そして授業中のひとつのフェイズとして、各自がスマホを再生しながら適宜ポーズをいれリピーティングの練習をする、というのを設定した。5分位はやっただろうか。その間中こちらは教室を歩き回り(その教室はコの字型なのでひとりひとりの前まで行くのが非常にたやすい)学生たちの声を聞きながら適宜フィードバック。
適当な時間が過ぎたところで「練習の成果を見てみよう」ということで、私のスマホから再生する音声に適宜ポーズを入れ、そのポーズが入ったときに目の前にいる学生がリピートする、という一斉練習を。「ポーズが入ったときに目の前にいる」が味噌なので、歩く速度や方向を自在にランダムに変え、誰の前に停まるかワカラナイ状況を作り出してドキドキ感を演出。
始めてやってみましたがなかなかいいような感じでした。
そこで今回新しいことをやってみた。教科書の音声をダウンロードしたものを各自のスマホに入れそれを教室に持ってくるよう指示した。そして授業中のひとつのフェイズとして、各自がスマホを再生しながら適宜ポーズをいれリピーティングの練習をする、というのを設定した。5分位はやっただろうか。その間中こちらは教室を歩き回り(その教室はコの字型なのでひとりひとりの前まで行くのが非常にたやすい)学生たちの声を聞きながら適宜フィードバック。
適当な時間が過ぎたところで「練習の成果を見てみよう」ということで、私のスマホから再生する音声に適宜ポーズを入れ、そのポーズが入ったときに目の前にいる学生がリピートする、という一斉練習を。「ポーズが入ったときに目の前にいる」が味噌なので、歩く速度や方向を自在にランダムに変え、誰の前に停まるかワカラナイ状況を作り出してドキドキ感を演出。
始めてやってみましたがなかなかいいような感じでした。
4/28/2019
思ったようなハードな方ではないんですね。。。
昨日、TALK研究会で講演をさせていただきました。呼んでくださったTALKの先生方、ありがとうございました。
終了後、会長の松坂ヒロシ先生から「発音を大切にする英語教師は絶滅危惧種と言われていますが、絶滅しないよう頑張りましょう!」とのお言葉をいただき恐縮いたしました。微力ながら発音を大切にする英語教師の個体数を増やす努力をしてまいりたいと思います。
懇親会では複数の方から、「本やブログを読んで思っていたような厳しい/ハードな方ではないんですね。」というコメントをいただきました。そういう冷徹なイメージが先行しているのだな、と改めて痛感した次第です。
終了後、会長の松坂ヒロシ先生から「発音を大切にする英語教師は絶滅危惧種と言われていますが、絶滅しないよう頑張りましょう!」とのお言葉をいただき恐縮いたしました。微力ながら発音を大切にする英語教師の個体数を増やす努力をしてまいりたいと思います。
懇親会では複数の方から、「本やブログを読んで思っていたような厳しい/ハードな方ではないんですね。」というコメントをいただきました。そういう冷徹なイメージが先行しているのだな、と改めて痛感した次第です。
4/26/2019
プロソディの指導の実例(ミニ動画):ポンポンメソッド改めハハハーメソッド
このとき使っていたのは、
Consonants involve a narrowing in the mouth.
OoooOoOooooO
ハッハハハハーハハッハハハハー
です。
このように、ハでもポンでもタでもいいですが、ノンバーバルな手段でストレスパタン、イントネーションパタンだけを取り出すと、セグメンタルに注意を割かれることなくプロソディのみを実感することができるはずです。そのイメージを実感したところですかさずそれにセグメンタルを載せる、という指導方法です。
英語ではストレスのある音節が長〜くなる、というのもポイントなので、その点もすこし大げさにやっています。日本語との対比としてそういう部分をデフォルメして大げさにやることもとても大切です。教師が12やって始めて生徒が10くらいになってくれるのです。教師が8なら生徒は6くらいにしかなりません。
なお、最後の mouthを mouseと発音している学生がいたのに対してすかさず訂正させているところにも留意してください。
なおこの英文の出典は、Avery, P. & Ehrlich, S. (1992). Teaching American English pronunciation. OUP. p. 12. です。
Consonants involve a narrowing in the mouth.
OoooOoOooooO
ハッハハハハーハハッハハハハー
です。
このように、ハでもポンでもタでもいいですが、ノンバーバルな手段でストレスパタン、イントネーションパタンだけを取り出すと、セグメンタルに注意を割かれることなくプロソディのみを実感することができるはずです。そのイメージを実感したところですかさずそれにセグメンタルを載せる、という指導方法です。
英語ではストレスのある音節が長〜くなる、というのもポイントなので、その点もすこし大げさにやっています。日本語との対比としてそういう部分をデフォルメして大げさにやることもとても大切です。教師が12やって始めて生徒が10くらいになってくれるのです。教師が8なら生徒は6くらいにしかなりません。
なお、最後の mouthを mouseと発音している学生がいたのに対してすかさず訂正させているところにも留意してください。
なおこの英文の出典は、Avery, P. & Ehrlich, S. (1992). Teaching American English pronunciation. OUP. p. 12. です。
4/21/2019
中国からの留学生より深夜のメール
昨日「英語授業の心・技・体」が手に入りました。少し読み始めたら、びっくり、興奮、同感、尊敬、感謝など私の言葉では言い表せないほどの気持ちが一杯いっぱいです。
靜先生が的確にズバリと日本の英語教育の現状を指摘された文言を読んで本を手放すに忍びないです。行間から覗かせていただいた先生の高い学術レベルと高尚たる人格にも深く敬服しております。
中国のことわざで「早く会わなかったことを恨む」という気持ちが強くて我慢できずにこんな深夜にこのメールを送らせて頂きました。
そんなふうに思ってもらえると書いた甲斐があります。出版からちょうど10年経ちました。
驚くべき提案!
5月に某県の高校英語教育研究会総会に呼んでいただいて150人ほどの先生方に対して講演を行うことになっています。
発音指導の心・技・体
〜聞き手の努力を前提としない円滑なコミュニケーションを目指して〜
これについてやりとりをさせていただいているのは、その研究会の会長である校長先生ですが、本日、驚くべきご提案をいただきました。それはなんと。。。ご自分(その校長先生)が講師である私(靜)を英語で紹介するので、その自分の英語の発音の良い点、悪い点を指摘することから講演を始めてもらえないだろうか、というものです。そして「自分の発音を正すに際しては自分の会長としての面子を気にしてもらう必要はまったくありません」とまでおっしゃるのです。
ん〜。これは結構すごいことです。
「英語を教えるプロである英語教師の集まりで、お互いに英語の足らないところに気づいたら、面子などきにせず、お互いに指摘しあって、お互いが次の日から教える生徒たちにとってよりよい英語教育につながるような切磋琢磨するのがプロとしての責務である。生徒にとって何が一番いいのか、こを真っ先に考えるべきこと。同僚としてのお互いの面子などはそれに比べればどうでもいいのだ。」というのは、私が以前から言ってきたことです。
しかし現実は全然そうはなっていません。英語教員の研究会というと教え方がどうしたこうしたという話ばかりで、お互いの英語の質はまったく問題ない、という建前で進行するものであり、そこで相手の発音ミスやら文法の勘違いやらを指摘するのはタブーです。
2011年度の全英連奈良大会で、私の基調講演の司会を担当していた若い教師が、Please raise your hand. のつもりで Please laise your hand. と言ったのをその場で私が指摘した、などは例外中の例外です。その後挙手して質問してきた北海道の高校の先生(じつはもともと知り合いだったのですが)が質問のなかで、usually を usuarry と言ったのを私が即座に usually と訂正したときは、2000人収容の大ホールが凍りついたものでした。
たぶんそういう「大人げない」ことをするのは日本中の英語教師のなかで私だけなのでしょう。ですから、上述の校長先生からのお申し出には驚かされました。英語教師たるもの自分の商売道具をつねにより良くせねばならない、という確固たる姿勢を、管理職になっても県の研究会の会長になっても変わらず持ち続けていらっしゃる、稀有な方なのだと思います。そういう姿勢を持つ管理職を戴く学校、会長を戴く研究会は幸せです。
なお、もちろん、ご提案については、もしなにか気づいたことがあればコメントさせていただきます、とお返事しました。楽しみです。
先生になっていく人たちの発音の良し悪しで、未来の生徒の発音も変わっていくかも。。。「かも」じゃないでしょ〜!
教職をとっていない某3年生とのやりとり。本人の了解を得て紹介します:
(ここに至る文脈は割愛)
英語圏滞在どのくらいだっけ?
通算で12ヶ月くらいですよ。
それにしては発音が上手いな。もともと音感があったか。
靜先生は上手ですよね。どうやって上手になったんですか?
む。。。 これは自分では不明。中学生のころにカセットテープをよく聞いて真似したから、とでも言うしかない。あるいは最初の塾の先生の発音が良かったからか。
塾の先生の発音でも少しは影響するんですね
僕の場合は少しではなくてほとんどその先生のおかげかもしれない。その先生はものすごく発音が良くて、その塾は音読しかしなかった.
へーそうなんだ。これから先生になっていく人たちの発音が良いか悪いかで学生の発音の良さも変わっていくかもしれないですね
おいおい。そりゃ「かも」じゃなくて当たり前だよ。だから一所懸命にまともな発音の教員を育てようとしてるんだ!
教職をとっていない一般学生はすなわち一般人の感覚に近いと思われますが、そういう感覚だと、学校の(日本人の)先生の発音で生徒の発音が(いい方向に)影響されるなんてことは考えていなかった、ということが推察されるようなやりとりでちょっとおもしろかったので紹介しました。 ということで、教職学生は責任を再認識して奮起せよ!
Subscribe to:
Posts (Atom)