英語は4技能を高校の授業でしっかり鍛えよう。大学の授業でも4技能をしっかり鍛えよう。その間の入試では公正に確実に信頼性を持って採点できる2技能を評価しよう。で良いと思います(勿論しっかり採点できる所は4技能でも良いですが)。入試に出ないものは大切じゃないわけじゃないので。
(昨日、twitterに投稿)
発音ザムライ、ジャパリッシュ英語教師を斬る! 寄るな触るな、触れなば斬らん! 斬り捨て御免で御意見無用! (Part of the Caption by Courtesy of Madame Satoh)
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12/31/2019
「脱ネイティブ信仰」?
よく脱ネイティブ英語信仰と言いますが、ネイティブの英語をモデルにする場合と通じる英語をモデルにする場合で努力のベクトルの方向が違いますか?方向は同じでベクトルの長さが違うだけですよね。だからネイティブの英語をモデルにして、結果的に通じるレベルを達成する、に過ぎないのだと思います。(昨日、twitterに投稿)
12/29/2019
なぜ私は「発音問題」がないほうがよいと考えるか
いわゆるセンター試験の英語から「発音問題」がなくなったことの是非が議論になっています。そのようになった経緯や理由づけはどうであれ、私個人は英語の試験から「発音問題」がなくなったことは良いことだと考えています。理由は一言でいうと、紙と鉛筆の「発音問題」は、習得すべき発音技能を矮小化してきており、益よりも害が大きかった(大きい)と考えるからです。
よく知られているように「発音問題」の典型的な形式とは、4つの単語を示して下線部の音が違うものをひとつ選べ、といったものです。この問題は、当然ながら、以下のようなケースをピックアップして出題します。
(1)同じスペリングでも、発音が異なる: hunger vs. range
(2)異なるスペリングでも、発音が同じである: bet vs. sweat
こういう問題には、すくなくとも以下の弊害があります
(1)英語の綴りはデタラメで丸暗記しかないのだ、と学習者をミスリードすること
こういう発音問題では、「同じ文字は、ほぼいつも同じ音で発音する」ようなケースは決して出題されません。問題にしようがないからです。
しかし英語全体でみると、そういうケースのほうが子音を中心に圧倒的に多いわけです。ごく少数の黙字などを除き、bはいつでもbと発音され、kはいつでもkと発音され、fはほぼいつでもfと発音され、vはいつでもvと発音され、rはほぼいつでもrと発音され、thは有声音・無声音の違いはあってもいつでもth音で発音され . .などなど。
子音を中心に、英語は(英語も)、ひとつの文字は、いつも同じ一定の音を表していることが圧倒的に多い言語であるわけです。ところが上で述べたような「発音問題」」は、「英語は、スペリングと音が一致しないことが多く、すべてひとつひとつ覚える必要がある」という誤解、すくなくとも印象を生み出します。これは大きな害毒です。
大学生になっても、「初めて出会った英単語は辞書を引くか、教師に教えてもらわないと発音はわからない」と思い込んでいる学習者は残念ながら珍しくありません。英語に出会った中学生のころに、英語の綴りは発音を表しているのだ、という当たり前の事実を教えてもらわなかった、あるいは意識するよう仕向けられなかったためでしょう。それに加えて、スペリングが違っても同じ音とか、スペリングが同じでも違う音とか、そういう例外部分だけをねらった「発音問題」にこれでもか、と繰り返しさらされてきた影響も無視できないのではないでしょうか。
(2)発音について習得すべき/教えるべき重要ポイントについて、学習者と教師をミスリードすること
発音についてテストに出題されるのがああいう「発音問題」つまり、「スペリングが同じで音が違う、音が同じでスペリングが違う」ことだけであると、教師も生徒も次のような誤解をしかねません。
「英語学習において、発音に関して押さえるべきは、どういう単語でスペリングが同じで音が違うのか、音が同じでスペリング違のか、を覚えることなのだ。」
そして、そういう発音問題に頻出する語の発音を丸暗記し、そういう問題で得点できるようになった生徒、得点させられるようになった教師は次のように思いかねません。
「僕は英語発音の重要な点はマスターした。」「私は教師として英語発音の重要な点は教えることができた。」
いうまでもなく、これはまったく当たっていません。英語の発音に関して学習すべき知識、習得すべき技能とは、少数のどちらかといえば例外的な「スペリングと音の不一致のパターン」など(だけ)ではなく、たとえば以下のような事柄です。
あんな重箱の隅をつつく的はずれな「発音問題」をやる暇があったら、いつでもどこでも適切に、たとえばVの音やRの音が調音できる「技能を」自動化するまで訓練することをやるべきだし、やらせるべきです。
私の印象では、日本の高校を卒業する学生で、自動化どころか、たとえば最高に注意を払っても / r / の音が発音できる学習者、というのはかなり少数派ではありませんか? L/Rのミニマル・ペアはミニマル・ペアのなかでも最も多いと言われている時に、それは優先順位が大きく間違ってはいませんか?「非母語話者だからこれだけでいいよ」必須発音習得項目リストである、ジェンキンズのリンガフランカコアのなかにも、日本人が苦労する音素はほぼすべて残っていますよ。
もちろんああいう「発音問題」で問われていた知識も、発音に関して身につけるべき事項に含まれていたことは間違いはありません。しかしあれだけの貧弱な内容しかないくせにエラそうに「発音問題」などという看板を掲げて、学習者と教師をミスリードするくらいであれば、いっそのことテストから全廃してしまい、「このテストでは英語発音はいっさい測定されていない」ことを明確にするようがまだ害が少ないでしょう。
紙と鉛筆のテストで発音を測る必要はないのです。基本的に測れません。測りたければ普段の授業で教室で対面で測ってください。入学のテストで測る必要はないのです。
しかしテストに出ないことがらは、学習しなくてもよい、わけではもちろんありません。大切なことのすべてをテストで測ろうとするのは土台間違っています。テストに出題させようがされまいが、大切なことは大切なのであり、学習すべきことは学習すべきです。
自分が担当するすべての生徒に適切な英語音声技能を身に付けさせることは、英語教員の務め(の大きな一部)です。
よく知られているように「発音問題」の典型的な形式とは、4つの単語を示して下線部の音が違うものをひとつ選べ、といったものです。この問題は、当然ながら、以下のようなケースをピックアップして出題します。
(1)同じスペリングでも、発音が異なる: hunger vs. range
(2)異なるスペリングでも、発音が同じである: bet vs. sweat
こういう問題には、すくなくとも以下の弊害があります
(1)英語の綴りはデタラメで丸暗記しかないのだ、と学習者をミスリードすること
こういう発音問題では、「同じ文字は、ほぼいつも同じ音で発音する」ようなケースは決して出題されません。問題にしようがないからです。
しかし英語全体でみると、そういうケースのほうが子音を中心に圧倒的に多いわけです。ごく少数の黙字などを除き、bはいつでもbと発音され、kはいつでもkと発音され、fはほぼいつでもfと発音され、vはいつでもvと発音され、rはほぼいつでもrと発音され、thは有声音・無声音の違いはあってもいつでもth音で発音され . .などなど。
子音を中心に、英語は(英語も)、ひとつの文字は、いつも同じ一定の音を表していることが圧倒的に多い言語であるわけです。ところが上で述べたような「発音問題」」は、「英語は、スペリングと音が一致しないことが多く、すべてひとつひとつ覚える必要がある」という誤解、すくなくとも印象を生み出します。これは大きな害毒です。
大学生になっても、「初めて出会った英単語は辞書を引くか、教師に教えてもらわないと発音はわからない」と思い込んでいる学習者は残念ながら珍しくありません。英語に出会った中学生のころに、英語の綴りは発音を表しているのだ、という当たり前の事実を教えてもらわなかった、あるいは意識するよう仕向けられなかったためでしょう。それに加えて、スペリングが違っても同じ音とか、スペリングが同じでも違う音とか、そういう例外部分だけをねらった「発音問題」にこれでもか、と繰り返しさらされてきた影響も無視できないのではないでしょうか。
(2)発音について習得すべき/教えるべき重要ポイントについて、学習者と教師をミスリードすること
発音についてテストに出題されるのがああいう「発音問題」つまり、「スペリングが同じで音が違う、音が同じでスペリングが違う」ことだけであると、教師も生徒も次のような誤解をしかねません。
「英語学習において、発音に関して押さえるべきは、どういう単語でスペリングが同じで音が違うのか、音が同じでスペリング違のか、を覚えることなのだ。」
そして、そういう発音問題に頻出する語の発音を丸暗記し、そういう問題で得点できるようになった生徒、得点させられるようになった教師は次のように思いかねません。
「僕は英語発音の重要な点はマスターした。」「私は教師として英語発音の重要な点は教えることができた。」
いうまでもなく、これはまったく当たっていません。英語の発音に関して学習すべき知識、習得すべき技能とは、少数のどちらかといえば例外的な「スペリングと音の不一致のパターン」など(だけ)ではなく、たとえば以下のような事柄です。
- vという文字をみたら、下唇が上前歯に接触し、有声摩擦音を出せる
- thという文字をみたら、舌先が上前歯に接触し、無声もしくは有声摩擦音を出せる
- r という文字をみたら、舌先をどこにも接触させずに、半母音が出せる
(などなど。。。) - 不要な母音を挿入せずに、音節数を適切に、単語が発音できる
- 意味のかたまりであるチャンクのなかでは、語と語をリンキングして発音できる
- 適切なイントネーションで発話できる
- ストレス拍リズムで発話できる
- 情報構造に即して、新情報や聞き手に注目させたい部分に卓立をおいた発話ができる
あんな重箱の隅をつつく的はずれな「発音問題」をやる暇があったら、いつでもどこでも適切に、たとえばVの音やRの音が調音できる「技能を」自動化するまで訓練することをやるべきだし、やらせるべきです。
私の印象では、日本の高校を卒業する学生で、自動化どころか、たとえば最高に注意を払っても / r / の音が発音できる学習者、というのはかなり少数派ではありませんか? L/Rのミニマル・ペアはミニマル・ペアのなかでも最も多いと言われている時に、それは優先順位が大きく間違ってはいませんか?「非母語話者だからこれだけでいいよ」必須発音習得項目リストである、ジェンキンズのリンガフランカコアのなかにも、日本人が苦労する音素はほぼすべて残っていますよ。
もちろんああいう「発音問題」で問われていた知識も、発音に関して身につけるべき事項に含まれていたことは間違いはありません。しかしあれだけの貧弱な内容しかないくせにエラそうに「発音問題」などという看板を掲げて、学習者と教師をミスリードするくらいであれば、いっそのことテストから全廃してしまい、「このテストでは英語発音はいっさい測定されていない」ことを明確にするようがまだ害が少ないでしょう。
紙と鉛筆のテストで発音を測る必要はないのです。基本的に測れません。測りたければ普段の授業で教室で対面で測ってください。入学のテストで測る必要はないのです。
しかしテストに出ないことがらは、学習しなくてもよい、わけではもちろんありません。大切なことのすべてをテストで測ろうとするのは土台間違っています。テストに出題させようがされまいが、大切なことは大切なのであり、学習すべきことは学習すべきです。
自分が担当するすべての生徒に適切な英語音声技能を身に付けさせることは、英語教員の務め(の大きな一部)です。
12/24/2019
ツマラナイ文法問題でもオモシロく扱えるシンプルな方法
文法の教科書を使って授業をしていますか。文法の問題集を使って授業をしていますか。多くの場合、文法の解説は退屈なものになりがちで、文法の問題集の授業は単なる答え合わせになりがちでしょう。(文法の解説を「感じる英文法!」とかでオモシロクする方法はあると思いますが、それは今回は放っておいて、答え合わせをオモシロクする方法を提案します。
それは答えを言わせる生徒・学生に、テキストを見せずに答えさせる。ただそれだけです。
たとえば次のような問題があったとします。
274 The teacher told some students ( ) had made mistakes in their spelling to remain after class.
① which ② who ③ whom ④ whose
ダメな授業は次のように進むでしょう:
教師:次、274番。佐藤。
佐藤くん: ②
教師:そうだな。
もうすこしマシな授業なら次のようでしょう:
教師:次、274番。佐藤、正解を入れて音読してみろ。
佐藤くん:The teacher told some students who had made mistakes in their spelling to remain after class.
教師:そうだな。
しかしこれでもまだ退屈かと思います。そこで次のようにしてみましょう:
教師:次、274番。佐藤、立って向こうを向け。
(佐藤くん、起立して教室の後ろを向く。)
教師:何も見ずに繰り返せよ。The teacher told some students
佐藤くん: The teacher told some students
教師: had made mistakes in their spelling
佐藤くん:had made mistakes in their spelling
教師:to remain after class
佐藤くん: to remain after class
教師:空欄に入るのは?
佐藤くん:who
教師:そうだな。じゃあ全部一気に言ってみろ。The teacher told some students who had made mistakes in their spelling to remain after class.
佐藤くん:The teacher told some students . . .who had made mistakes in their spelling. . . to remain after class.
要は、指名した生徒にやらせることのハードルを上げるということです。単調な文法問題でも、単に見ないでその文を言うことにするだけで、ずいぶんチャレンジングになります。上の最後の、一気に言うステージは現実的でないなら省略しても構いません。目の前の生徒にちょうどいいレベル(=頑張ればクリアできるが、頑張らないとクリアできないレベル)になるようハードルを調整しましょう。
ひとしきり一対多でやったあと、ペアワークで同じことをやらせても教室は活気づきます。
これで文法授業でも寝る生徒はいなくなります。
それは答えを言わせる生徒・学生に、テキストを見せずに答えさせる。ただそれだけです。
たとえば次のような問題があったとします。
274 The teacher told some students ( ) had made mistakes in their spelling to remain after class.
① which ② who ③ whom ④ whose
ダメな授業は次のように進むでしょう:
教師:次、274番。佐藤。
佐藤くん: ②
教師:そうだな。
もうすこしマシな授業なら次のようでしょう:
教師:次、274番。佐藤、正解を入れて音読してみろ。
佐藤くん:The teacher told some students who had made mistakes in their spelling to remain after class.
教師:そうだな。
しかしこれでもまだ退屈かと思います。そこで次のようにしてみましょう:
教師:次、274番。佐藤、立って向こうを向け。
(佐藤くん、起立して教室の後ろを向く。)
教師:何も見ずに繰り返せよ。The teacher told some students
佐藤くん: The teacher told some students
教師: had made mistakes in their spelling
佐藤くん:had made mistakes in their spelling
教師:to remain after class
佐藤くん: to remain after class
教師:空欄に入るのは?
佐藤くん:who
教師:そうだな。じゃあ全部一気に言ってみろ。The teacher told some students who had made mistakes in their spelling to remain after class.
佐藤くん:The teacher told some students . . .who had made mistakes in their spelling. . . to remain after class.
要は、指名した生徒にやらせることのハードルを上げるということです。単調な文法問題でも、単に見ないでその文を言うことにするだけで、ずいぶんチャレンジングになります。上の最後の、一気に言うステージは現実的でないなら省略しても構いません。目の前の生徒にちょうどいいレベル(=頑張ればクリアできるが、頑張らないとクリアできないレベル)になるようハードルを調整しましょう。
ひとしきり一対多でやったあと、ペアワークで同じことをやらせても教室は活気づきます。
これで文法授業でも寝る生徒はいなくなります。
Mとかマ行は両唇閉じて、という意識はないのかな?
先日、フランス語専攻の大学1年生に、赤鼻のトナカイをグルグル形式でひとりずつ歌わせていたときのこと、.... used to laugh and call him names のところを、used to laugh and call hin namesと歌う女子学生に遭遇した。あえて性別を書くのは、そういう現象は女子に多いような印象があるからである。要は、 mの部分できちんと上唇と下唇を合わせないで発音する現象、ということである。
「ほら!m言ってないじゃん!」
「はい、みんな注目! はい、もう一回歌ってごらん。みんな、彼女の口を見てて〜!」
「え〜!!公開処刑!! ♫All of the other reindeer used to laugh and call hiン names .....」
「ほらね!him で唇じてないよ」(周囲からは、なるほど、たしかに閉じてないね、という納得の声が)
(意外そうに)「閉じるんですか?」
「そらそうだよ、マ行なんだから」
こういう やりとりをしながら、 マ行、mとか、バ行、パ行では両唇閉じるんだよ、という意識は普通の学生、生徒たちには希薄なのだろうか。。。と改めて訝った次第。
「ほら!m言ってないじゃん!」
「はい、みんな注目! はい、もう一回歌ってごらん。みんな、彼女の口を見てて〜!」
「え〜!!公開処刑!! ♫All of the other reindeer used to laugh and call hiン names .....」
「ほらね!him で唇じてないよ」(周囲からは、なるほど、たしかに閉じてないね、という納得の声が)
(意外そうに)「閉じるんですか?」
「そらそうだよ、マ行なんだから」
こういう やりとりをしながら、 マ行、mとか、バ行、パ行では両唇閉じるんだよ、という意識は普通の学生、生徒たちには希薄なのだろうか。。。と改めて訝った次第。
12/23/2019
あっち向きリピーティング・トランスレーション・パラフレージング
最近使っている技。名付けて「あっち向きリピーティング・トランスレーション・パラフレージング」。生徒・学生の実力に対して、教材英文のレベルがちょうどよいか、やや易しめくらいのときに使えます。
一人指名して、立たせますが、「あっち向いて」と指示し、教室の後方を向かせます。状況としては私の授業では教室前方のスクリーンに英文が投影されていますので、他の生徒は英文が見えていて、指名された生徒だけは見えていない、ということです。
その状態で、私が1文英語を音読します。1文と言ってもある程度の長さで区切ってですが。たとえば、次は某県の教員採用試験の長文の冒頭です。
What makes people happy? The question, which has been debated by philosophers for centuries, now is being tackled by international bureaucrats and the results are interesting, to say the least.
これを、以下のように私が音読し、それを立っている学生が「あっち向いて」リピートします。つまり音だけでリピート。他の学生は英文が見えているのが味噌。
教師:What makes people happy?
[学生リピート]
教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生リピート]
教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生リピート]
教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生リピート]
でこれができたらその学生に「あっち向いた」まま、日本語で意味を言わせます。
教師:What makes people happy?
[学生:訳]
教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生:訳]
教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生:訳]
教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生:訳]
ひとつの文が終わったら、その学生は座らせ、別の学生を指名して次の文も同様にやります。
これがすらすら行くならオーケーですが、リピート時に明らかに無理があったり、訳にも明らかに無理があったならば、そこでタオルを投げ、「じゃあいいから前を向いて、その上で答えてごらん」と、英文を見ながら答えるのを許可します。
当たり前ですが、目で見てわからない英文を、耳で聞いてわかることはほとんどありません。その学生とその英文のレベル的相性の瞬間的見極めが大切です。
逆に、さらに難易度を上げたいときは、日本語で意味を言わせた後に(あるいは日本語で意味を言わせる代わりに)より「平たいイングリッシュ」で意味を言わせてみます。
教師:What makes people happy?
[学生:When do people feel happy/happiness? ]
教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生:Philosophers have been thinking and talking about this for hundreds of years . . .]
教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生:But today, international officials are trying to find answers to this question]
教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生:and what they have found is very interesting.]
なんどかやっていますが、一斉授業のなかの活動としては、引き出しの一つにあってよいものだと感じます。当たった学生はある程度のドキドキ感がありますし、見ている学生は、当該学生がどういうところでリピーティングできないかから学ぶものがあります。また聞く力と読む力と文法力と単語力(もちろん発音力もですが)のすべてが動員されますので、技能統合的な活動とも言えます。
シンプルですが、やってみてください。
言わずもがなですが、リピーティング時の発音は厳しく指導します。というか、英文を見せた状態で音読させるのと違って、キューは教師の音声だけなので、耳を頼りにその音声を真似することに成るので、変な発音は抑制されるように思いますね。
一人指名して、立たせますが、「あっち向いて」と指示し、教室の後方を向かせます。状況としては私の授業では教室前方のスクリーンに英文が投影されていますので、他の生徒は英文が見えていて、指名された生徒だけは見えていない、ということです。
その状態で、私が1文英語を音読します。1文と言ってもある程度の長さで区切ってですが。たとえば、次は某県の教員採用試験の長文の冒頭です。
What makes people happy? The question, which has been debated by philosophers for centuries, now is being tackled by international bureaucrats and the results are interesting, to say the least.
これを、以下のように私が音読し、それを立っている学生が「あっち向いて」リピートします。つまり音だけでリピート。他の学生は英文が見えているのが味噌。
教師:What makes people happy?
[学生リピート]
教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生リピート]
教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生リピート]
教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生リピート]
でこれができたらその学生に「あっち向いた」まま、日本語で意味を言わせます。
教師:What makes people happy?
[学生:訳]
教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生:訳]
教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生:訳]
教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生:訳]
ひとつの文が終わったら、その学生は座らせ、別の学生を指名して次の文も同様にやります。
これがすらすら行くならオーケーですが、リピート時に明らかに無理があったり、訳にも明らかに無理があったならば、そこでタオルを投げ、「じゃあいいから前を向いて、その上で答えてごらん」と、英文を見ながら答えるのを許可します。
当たり前ですが、目で見てわからない英文を、耳で聞いてわかることはほとんどありません。その学生とその英文のレベル的相性の瞬間的見極めが大切です。
逆に、さらに難易度を上げたいときは、日本語で意味を言わせた後に(あるいは日本語で意味を言わせる代わりに)より「平たいイングリッシュ」で意味を言わせてみます。
教師:What makes people happy?
[学生:When do people feel happy/happiness? ]
教師:The question, which has been debated by philosophers for centuries,
[学生:Philosophers have been thinking and talking about this for hundreds of years . . .]
教師:now is being tackled by international bureaucrats
[学生:But today, international officials are trying to find answers to this question]
教師:and the results are interesting, to say the least.
[学生:and what they have found is very interesting.]
なんどかやっていますが、一斉授業のなかの活動としては、引き出しの一つにあってよいものだと感じます。当たった学生はある程度のドキドキ感がありますし、見ている学生は、当該学生がどういうところでリピーティングできないかから学ぶものがあります。また聞く力と読む力と文法力と単語力(もちろん発音力もですが)のすべてが動員されますので、技能統合的な活動とも言えます。
シンプルですが、やってみてください。
言わずもがなですが、リピーティング時の発音は厳しく指導します。というか、英文を見せた状態で音読させるのと違って、キューは教師の音声だけなので、耳を頼りにその音声を真似することに成るので、変な発音は抑制されるように思いますね。
12/21/2019
リスニングテストで音源を1回流すか、2回流すか、に関する考察
リスニングテストの音源再生回数の影響とは
大学入試センターの試行テストのリスニングの中では、音源を1回だけ流す問題と2回流す問題がある。普通に考えるならば、より平易な問題は一回だけ流し、より難しい問題は2回流すはずである。ところが実際にはこの逆で、最初のほうのより短く易しい問題は2回流し、後ろのほうのより長く難しい問題は1回だけ流すという構成になっている。これはあべこべである。そういう設定の理由としては後半の長いトークを2回流してしまうと試験時間が長くなってしまうからという物理的制約からきているらしい。これはよろしくない。
この件については私個人は少し違う考えを持っていますので、ご紹介したいと思います。
(1)task authenticity(真正性)の問題
テストでのタスクが、実生活でのタスクにどの程度近いか、という点です。実生活では圧倒的に刺激(音源)を1回だけ聞く場合が多いでしょう。よって1回のみ再生のほうが真正性に関しては軍配があがります。(※実生活では場合によっては聞き返すことで繰り返してもらえるが、テストではできない、という点を2回再生で補うのだ、という点はありますが。)そういう意味では、すべて1回のみでやるという立場もありえます。
(2)practicality(実用性)の問題
長いトークを2回流すと規定の時間を超過してしまうから。。。というのは測定にとって最も本質的な問題であるとは言えませんが、非本質的な問題であるとも言いきれません。なぜならばテスト時間が長くなると、生身の人間である受験生には疲労や集中力の欠如が生じ、その結果解答行動のゆれからくる妥当性および信頼性の低下が生じるからです。
これはリスニングにおいて特に顕著です。なぜならばリーディングと違ってリスニングでは自分のペースで聴くことができないからです。その時に聞き逃してしまったら音声は二度と戻ってきません。この点が、場合によっては自由に読む順番や読むスピードを受験者自身がコントロールできるリーディングと決定的に異なる点です。40分、50分とずっと集中力を維持しなければならず、大変に疲れます。
ですから長くなりすぎない時間のなかに収めることを前提としてテスト設計することは、とくにリスニングにおいてはかなり大切なことと言えるでしょう。この点からすると、1回再生と2回再生を混在させるという前提であれば、長いトークは1回、短いトークは2回、というのはリーズナブルな設定であることになります。
(3)fairness(公平性、公正性)の問題
いずれの回数であっても、テスト受験者全員が同一回数聞く機会をもつならば、公平性の点で問題は生じません。
(4)item difficulty(項目難度)の問題
他の条件が同じであれば、おおくの場合1回再生よりも2回再生のほうが難度が下がるでしょう。つまり1回再生ならば平均点が比較的低く、2回再生なら平均点は比較的高いでしょう。しかし(3)と関わりますが、全員にとって等しく易しい/難しいのですから、それ自体は問題ではありません。問題は、実際の難易度の程度です。易しすぎれば上位者が皆正解してしまう天井効果が、難しすぎれば下位者が皆誤答してしまう床効果が生じしてしまいます。その間を狙うことが必要です。ですから1回再生の場合は比較的タスクをやさしく、2回再生の場合は比較的難しくするのが適当でしょう。
もうひとつの視点は、テスト問題は易から難にゆるやかに配列されるのが望ましいということです。とくにリスニングはリーディングとちがって自分で解く順番を決められず、全員が1番から順番に解答することを強制されます。最初のうちはウォームアップ的に比較的易しい問題があり、徐々に難度が上がっていくのが理想です。そういう意味では最初のほうの短い問題が2回読みで難度が低く、後半が1回読みで難度が上がる、のは望ましいことです。逆になってしまっては受験生によっては慌ててしまい、結果的に解答の信頼性が低下するかもしれません。
(5)item discrimination(項目弁別度、識別度)の問題
選抜試験では、上位者から下位者まで得点を「バラけさせる」ことが最も大切となります。比較的難しかろうが、易しかろうが、結果的に個々の受験者の英語力(いまはリスニング力)の差をあぶり出せるのが、良い問題であると言えます。
たとえば2回再生の条件下ではA君もB君も正解する問題を、1回再生の条件に変えたらA君は正解したがB君は正解できなかったとすると、再生回数を2回から1回に変えたことで、2回再生条件下では判明しなかったふたりの実力差があぶり出された、ということになります。再生回数を変えたことで項目弁別力が上がったのです。
もちろん逆に、1回再生だったら(難しすぎて)A君もB君も正解できなかったのが、2回再生にしてみたらA君は正解できたが、B君はやはり正解できなかった、というケースもありえます。この場合は2回再生のほうが弁別力があったわけです。
1回にせよ2回にせよ、大切なのは回数自体ではなく結果としての項目弁別力だ、ということになります。
まとめ
リスニング問題というのは、刺激トークの英語のレベル、刺激トークの話す速度、話し方のナチュラルさ(音声変化の程度など)、再生の回数、問われる設問の認知的難度、正答選択肢の難度、錯乱肢の難度、等々の複数の要因それぞれを調整することによって、適切な項目難度、そしてその結果としての高い項目弁別度を目指すことが求められます。したがって再生の回数のみを取り出して論じるのは難しいように思われます。
最後にもう一度、松井先生のスピーチ全体の主旨、他のスピーカーの方々のそれぞれのご主張、抗議行動全体の主旨に、私は賛同していることを強調しておきます。みなさま、寒い中、長時間にわたり本当にご苦労さまでした。すこしでも「山」に声が届いたこと、これから届くことを願ってやみません。
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