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11/15/2012

「国際関係」と「国際◯◯関係」の大きな違い

今日勉強になったことがありました。

国際関係学部は、Faculty of International Relations であって、決して ... International Relationship ではない、と。

ふうん、なるほどなあ。でも、その場合、relations と relationship って、どう違うの、と尋ねたところ、

I'm majoring in international relationship.

と言うと、いろいろな国の異性とつきあっているように聞こえるよ、アハハ。。。

と、いうことでした。

11/11/2012

音読の悩みとプロソディ

大修館書店『英語教育』の12月号に、2本文章を書かせてもらいました。


音読指導の実践Q&Aの一部として


Q9 音読が上手く行かないときは、どうすればよいでしょうか?

(回答要旨: 音読がうまい教師がきちんどダメだしすれば必ずうまくいきます。)


Q14 音読のなかでどのようにリズム(プロソディ)を指導すればよいでしょうか?

(回答要旨: 先生自身がリズムを体現して歌って踊って下さい。)


他の回答者とはテイストが違った回答だと思いますが、是非書店で手にとって御覧ください。

音読特集

あさましきもの

音読についての記事を、聞くに耐えない音読をする教師が書くこと

11/09/2012

スピーキング指導とライティング指導のパラレル性

ライティングをさせても書かせっぱなしで、「よく出来ました」というハンコウを押すだけとか、Well written.という内容のないコメントをするだけとか、あるいは、英語自体には触れずに、内容に対するフィードバックをするだけ、というのは、スピーキングに直せば、発表やプレゼンをさせても言わせっぱなしで、"Wonderful!"  "Great!" という空疎な褒め言葉を発するだけ、とか、英語の発音や表現や文法にはいっさい触れずに、内容に対してコメントをするだけとか、内容どころか、「積極的に話そうとする態度が良かった」などのコドモダマシのフィードバックをするだけ、というのとちょうどパラレルだ。

また、スピーキングで発音や語法など英語自体にコメントしても、コメントするだけでそれを incorporateして再度言い直させないのは、ライティングに置き換えれば、添削しても添削しっぱなして、その添削を反映した書き直しをさせない、のとパラレルだ。

添削されたらそれをすべて学生が咀嚼して自主的に肝に銘じて書きなおしてパフォーマンスを向上させるなどというのが多くの場合は期待できないのと同様、スピーキングでも、これこれこうしたほうがよかった、と後から言われただけで次からそのようなパフォーマンスができるようになることは期待できない。

スピーキングでもライティングでも、まず、必ず英語自体の添削をしよう。そして添削したらそれを取り入れた望ましい形にして、言い直させよう、書きなおさせよう。

よく出来ましたマル、のハンコウを押し続ければライティング力が伸びると思う人はおとぎの国に生きている。

Wonderful! と言い続ければスピーキング力が伸びると思う人は、どうかしてる。

内容についてコメントしていれば書く英語も向上すると思う方がおかしい。

話す英語についてもまったく同じ。

誤りを指摘しただけで終わってはいけない。かならず言い直させなければ。

そうすると英語が嫌いになるのでは、という発想自体が腐っている。生徒をバカにしてるんじゃないかね。

生徒はうまくなりたいんだよ。

自分の英語が下手なことはわかっているんだよ。下手な英語をほめられても嘘っぽすぎてうれしくないよ。

下手な英語をほめていないで、下手は下手だ、何が下手の原因か、どうすれば上手になるか教えてやり、実際に上手くしてやって、上手くなったらほめようよ。

11/04/2012

圧倒的だった

今日の授業はざっくり言って、素晴らしかった。

バスケットボール、車椅子などの実物を使って生徒を巻き込んだ実演パフォーマンスは圧巻だった。もちろんその実演が確かな英語に裏打ちされていることは言うまでもない。

また新語の導入、新教材の音読練習でも、個々の音素、"basketball" の、tの非開放、can の強形、弱形の区別、文アクセントの中で弱く発音すべきところ、強く発音すべきところ、など、非常に大切なのに、中学高校ではまったくといっていいほど指導されていない、指導されていないどころか、たぶん多くの教師が知識としても知らないようなレベルの事柄にまで、まさに痒い所に手が届くような音声指導がなされていた。

オレのこの口の形を見よ、舌を見よ、ほらこうやって発音するんだよ、というメッセージを発しながら自分の顔に注目させる教師は、自分以外ではほぼ初めて観た。

ペアワークもよかった。Aをペアからもらえたら座って良い、というのを厳しく判定しているパートナーも多かったようだ。

自分ならこうするだろう、と思ったのは read and look up で、生徒のコーラスがまわりにあわせてリズムがゆっくり平板になってしまった時である。私なら「まわりにあわせなくともいいからきちんとリズムをとって」というか、またはきちんとリズムを取ったモデルをもう一度提示してリピートさせるかしたと思う。

いずれにせよ、観ていて幸せな気分になったのは、彼が自分の指導で子どもたちの英語がうまくなっていくのを心から喜んでいるのが伝わってきたからである。

(自分の子どもよりも若い世代というのは、いわば「孫」感覚に近くなってきて、一段とかわいくなる、というのも有るのかもしれない。)

あれだけきめ細やかに中1から指導されればあの子たちはうまくなる。彼に担当されたあの子どもたちは本当にラッキーである。 

They are lucky to have him as their teacher.

11/03/2012

いいところを見つけよう、って?

お友達の発表を聞いて、いいところを見つけてコメントしよう!

というメンタリティが私にはわからない。

いいところを言っても向上はないでしょ。そのままでいいんだから。

ダメだったところ、こうしたほうが良くなるところを言わなければ向上はないでしょ。

その場で止めて、やり直させよ

授業をふたつ観た。

学年は違うが両方とも授業の最後のほうに「発表」があった。3人(3ペア)とか5人(5ペア)とかピックアップして発表させていた。

5つ発表があったならば、一つ目より2つ目、2つ目より3つ目、とパフォーマンスの質が徐々に上がらなければならないと思う。

つまり、一つ目の発表に対して具体的なフィードバックをして、2つ目の発表に生かさせなければならない、という意味である。もし2つ目の発表が一つ目の発表と同じ「誤り」「不十分さ」を伴っていたら、

「さっき言ったのを聞いていなかったのか!?」

という叱責(実際の言い方や厳しさはいろいろであっていいが)があってしかるべきで、またそういうつもりで、一人目に対するフィードバックを全員が受け止める雰囲気、態度を育成する必要がある。

一人目<二人目<3人目<4人目

ならよいが、

一人目=二人目=3人め=4人め

へたすると 3人め>4人め

では、時間の無駄であろう。これでは仮に40人「発表」させてもパフォーマンスが変わらない。あてればあてるだけ、時間の無駄だろう。お手本にすべきレベルでない友達のパフォーマンスを見ているのなら、お手本にすべきパフォーマンスを繰り返し見せるほうがよいであろう。

そして、

一人目=二人目=3人め

であれば、その延長線上にあるのは、

今日のレベル=明日のレベル=明後日のレベル

であろう。

つまり、いくら授業を繰り返してもうまくならない、ということだ。

しかし、すこしであっても、

一人目<二人目<3人め

であれば、あるいはそれを教師も生徒も目指しているならば、

今日のレベル<明日のレベル<明後日のレベル

になるであろう。

世の中の英語教師は、クラス内の「発表」について根本的に考えなおしたほうがよい。

何分かの発表が終わってから、「少し文法もいい加減になっていたから、気をつけようね」と言うだけでは、何も言わないのと同じである。そのコメントを聞いてその生徒はなにも変わりようがないからだ。

やっぱり Freeze Coaching である。その瞬間、その場で笛を吹いてプレーを止めなければ。

あとから言う場合でも、最低限、具体的に指摘して、それを望ましいレベルになるように「やり直させる」のでなければ、「言うだけ、形だけのフィードバック」だ。