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8/07/2014

吹田の暑い夏 2014

今年も良かった。

還暦にして高校の教壇に立とうという「若者」に出会え、語学学校の先生の実力恐るべし、とも認識でき、また教育実習もこれからの若者の大いなる可能性を感じることができた。

歌う中学生集団とも触れあえた。

また、教師になろうか、ペイが格段にいい企業に行こうか、と迷っていた 優秀な prospective teacher の背中を押してあげることもできたようだ。

https://sites.google.com/site/zukeshomepage/class/4-dbu/2014/ku_m_tefl


オーランド・ブルーム と ジャスティン・ビーバー

オーランド・ブルームがジャスティン・ビーバーをレストランで殴った、というどうでもいいニュースを観て考えたこと:

オーランド は、 Orlando なので、3音節。

ジュディ・ガーランド の ガーランドは、Garland なので、2音節。

サンドラ・ブロック のブロックは、Block ではなく、Bullock なので、2音節。

マーロン・ブランド のブランドは、Brand でなく、Brando なので、やはり2音節。

つづりを見れば分かるのだ、というようなことは、もっともっと教えられて良い。

8/02/2014

she's も発音できない

歌を歌わせると、その人の発音技能のレベルがさらされる、ということがある。

she's は、1音節だから、1音符しかないのだが、she's を、 sheezu  のように2拍で発音している人は、she's さえも歌えない(=字余りになって遅れる)。

と、いうようなことがわかる。

そして、

歌えるように努力することで、sheezu でなく、sheez と発音できるようになるのだ。

8/01/2014

結婚したいかも

今回の、自分の中での最大のヒットは、

Bruno Mars

Marry You

ですね。

教えてくれて、ありがとう。

いいね。後期はこれやるよ。



「間違いを恐れずに使わせたい」

Q: 生徒には間違いを恐れずに英語を使わせたい、と思うのは問題でしょうか。。。?



A: 間違いを恐れずに、は問題じゃないです。その通りと思います。


どこかの会話学校のコピーにあったのですが、


うちの学校では、間違いをおそれずに、どんどん話してください。その間違いを全部私たちが直してあげますから、安心して間違ってください。


という、これが大切だと思います。教員の側としてはね。


間違ってもいい、そのままでいい、というふうに考え違いをしているのが問題だと思います。

きょうどう、じゃ通じないよ

文法も、語彙も、発音も、なるべくよいものが使えるようにするよう導くのが授業という営みであって、なんとか意味が通じればよい、というものではないのでは? 通じなければ話しにならないですが、なんとか通じればいい、というのは違うと思います。

日本語をはなす英語ネイティブで、「と思います」をいつも「とは思います」という人がいます。わかってはいますが、いつも頭のなかでニュアンスを変換させられるのは面倒なものです。つまりこれは一瞬通じていない、のです。文脈から「この人の、『とは思います』は、文脈にあわないから単なる『と思います』の意味のはずだ」と、聞き手である私が頭のなかで翻訳して初めて通じているのです。

また「挙動」を「きょうどう」というネイティブもいます。共同では意味が通じない、あ、そうか、共同不信じゃなくて、挙動不審か、といちいち翻訳しているわけです。

そういうのを、きょうどうでも通じますよ、と話し手側(の言語教師)に開き直られるのは、違うと思います。挙動は挙動といってもらったほうが、ずっといいです。挙動といえるように、きちんと教育しろよ、という話です。

会話学校の先生の力

今回、ひとつには、いわゆる会話学校(語学学校)の先生の英語力の高さを実感した。

中学・高校の英語教師の「平均」よりも、間違いなく、格段に高い。教え方もうまいね。

また話してわかったことには、語学学校では厳しい教員研修があり、それはもちろん英語力(発音含む)自体に対するダメ出しが行われて、鍛えられ、品質管理が行われているということである。

それに引き換え、中高の英語教員に対する「研修」では、英語に対するダメ出しは限りなくゼロに近い。「怖い」。

品質管理のされていない教師が野放しなのが日本の公教育における英語教育の実態である。