授業研究後の検討会のあり方、という学会フォーラムを聞いた。
偉い人が最初にコメントすると後から(偉くない人が)それに外れたことは言いづらくなる、とか、みんな来たときよりもハッピー(er)で帰れるのがよい検討会だ、などの意見が開陳されていた。
面白い試みで会場からリアルタイムでGoogle Formに回答を送り、それがスクリーンに表示される、という設定であった。どういう授業検討が理想だと思いますか?という問があったので、私が送信したのが以下:
「血みどろで終わる、真剣による斬り合い」
もちろん傷を負わせ合うのが目的ではなく、お互いの後ろにいる数百人の生徒のためなので、メンツやら忖度やらはなしで、「偉い」人も、偉くないペーペーも、自分の信ずることをぶつけ合って真剣勝負をするべきだ。真剣勝負なので、勝ち負けはあり、血が流れる。
それは仕方ない。本当に死ぬわけではないので。そのくらいの痛みは給料のうち。
発音ザムライ、ジャパリッシュ英語教師を斬る! 寄るな触るな、触れなば斬らん! 斬り捨て御免で御意見無用! (Part of the Caption by Courtesy of Madame Satoh)
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8/17/2019
8/14/2019
ライオンキングのハクナ・マタタ
Lion King 観ました。どうやって撮ったの?と思うくらい見事に動物たちがリアルに動くので、Mufasaが崖から転落するシーンなど、撮影時に本物のライオンに残酷なことをしたのでなければいいけど、とキャット・オーナーとしては思うくらいでした。検索してみるとフルCGということでした。すごい世の中になったものです。
心配ないよ、という意味の Hakuna Matata (スワヒリ語だそうですね)が初めて出るシーンでハッとたのですが、Matataの2音節目のtは帯気音で、3音節目ははじき音で発音されるのですね。
マターラ
って感じ。
音節の強弱パターンで考えてみればそうなるはずですが、そんな(英語母語話者にとっては)無意味語にも北米英語音声のルールが自動的に適用されるのだなぁ、と妙に感心してしまいました。
心配ないよ、という意味の Hakuna Matata (スワヒリ語だそうですね)が初めて出るシーンでハッとたのですが、Matataの2音節目のtは帯気音で、3音節目ははじき音で発音されるのですね。
マターラ
って感じ。
音節の強弱パターンで考えてみればそうなるはずですが、そんな(英語母語話者にとっては)無意味語にも北米英語音声のルールが自動的に適用されるのだなぁ、と妙に感心してしまいました。
8/11/2019
評価の「枠組み」での技能の矮小化を憂える
昨日のシンポジウムで、フロアからの質問
のなかに、「評価のなかで『技能』はどの程度重要ですか?」といった趣旨のものがあり、 私は
と答えた。
が考えてみるとこの件についてはすでに
- 技能だけを教えるのがいいと思います。
- 英語の授業では英語だけを教えるのがいいと思います。
- 文法と発音と語彙だけを教えるのがいいと思います。
- いわゆる grammatial competenceだけを教えるのがいいと思います。文科省の学力観は『技能』を矮小化していて困ったものだと思っています
と答えた。
が考えてみるとこの件についてはすでに
新「学力の3要素」は思考力の低さの証拠か?
で、言いたいことを書いていた。是非、お読みください。
8/10/2019
KATEで小山内滉君と共同で発表
横浜国立大学にて、淡路科研のデータの分析の一部を発表。
あの喧騒のなかで何が起こっているのか?
―図表および数値による「グルグル」発音指導見える化の試み―
靜哲人(大東文化大学)・小山内滉(大東文化大学大学院生)
キーワード:発音指導,グルグル,見える化
グルグル発音指導とは文レベルの個別発音チェックを連続的かつ反復的に行う手法であるが、喧騒を生むため第三者には実態がつかみにくい。そこで今回、「グルグル」の姿を図表や数値で「見える化」ができないかを探った。言語教育EXPO2017でのワークショップとして、24名の小学校教員を2グループに分けて靜を含む二人の講師がグルグルで指導し、それを教師目線のウェアラブルカメラで録画した計72分間の映像をサンプルデータとし、その映像情報を紙上で要約再現する方法を模索した。教師がひとりの学習者の前に立った瞬間から次の学習者に移る瞬間までの一区切りを「グルグル・エンカウンター」とし、その区切り毎に時間、学習者、目標文、教師のフィードバック内容が分かる形で書き起こした。また、教師のフィードバックはカテゴリーを立てて分類した。結果として5種類の図表とひとつの数値指標を創出し、これらがグルグルの描写に役立つであろうという感触を得た。
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セバス小林先生からプレゼント戴きました!
先日、LETの日、セバスこと小林翔先生が、ご著書『生徒のやる気を引き出すモチベーション・マネジメント 50』(明示図書)が重版になった(おめでとうございます!)ということで、わざわざ持ってきてくれました。
私の2冊めの著書『英語授業の大技・小技』(研究社)は恩師の若林俊輔先生に差し上げることができたが、3冊めの『英語テスト作成の達人マニュアル』(大修館)は残念ながら間に合わなかった、というエピソードをを覚えていて、それにからめて私が生きているうちに(笑)渡したかった、ということです。
中野で最近お気に入りの Logicで会食。
プラスアルファで、私そっくりだ、というマグカップをプレゼントしてくれました。確かに似ているな。
研究室でポトスを水栽培するのに使わせていただきます。
私の2冊めの著書『英語授業の大技・小技』(研究社)は恩師の若林俊輔先生に差し上げることができたが、3冊めの『英語テスト作成の達人マニュアル』(大修館)は残念ながら間に合わなかった、というエピソードをを覚えていて、それにからめて私が生きているうちに(笑)渡したかった、ということです。
中野で最近お気に入りの Logicで会食。
プラスアルファで、私そっくりだ、というマグカップをプレゼントしてくれました。確かに似ているな。
研究室でポトスを水栽培するのに使わせていただきます。
8/03/2019
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」を支持します。
あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」に対して、名古屋市長が抗議をし、官房長官は補助金交付の是非に言及するなど、大きな騒ぎになっている。
一番大きな問題になっているのはいわゆる「慰安婦像」によく似た「平和の少女像」の展示だ。
電話やメールでの抗議があまりにもひどいということで、ついに実行委員会・芸術監督の津田大介氏が声明で「展示の変更も含めた何らかの対処を行う」可能性について示唆した。(https://aichitriennale.jp/news/2019/004011.html)
一番大きな問題になっているのはいわゆる「慰安婦像」によく似た「平和の少女像」の展示だ。
電話やメールでの抗議があまりにもひどいということで、ついに実行委員会・芸術監督の津田大介氏が声明で「展示の変更も含めた何らかの対処を行う」可能性について示唆した。(https://aichitriennale.jp/news/2019/004011.html)
●今後について
この企画が報道された7月31日(水)から連日、事務局への電話が殺到しております。その中には、テロ予告や脅迫とも取れるようなものや、また電話に応対しただけの職員個人を攻撃するものも多く含まれています。また、事務局への電話は夜間にもなされ、その数は増え続けています。この状態が続き、来場者及び職員の安全が危ぶまれる状況が改善されないようであれば、展示の変更も含め何らかの対処を行うことを考えています。ただし、日本が、自国の現在または過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっていることをそうやって内外に示すことの意味を、よくお考えいただき、自制的に振る舞っていただくことを期待しております。(津田氏の声明の最後部分)
私の見た批判のなかでは「公的な博物館」で「公的資金」を利用してこのような展示をするのは許されない、という論旨のものが多い。官房長官が補助金交付について言及したのも同じ趣旨である。公金とはつまり税金ということであり、このような展示に国民から徴収した血税を使うのは許されない、という主張である。このことについて異見を述べる。
税金は国民が納めたものであり、国民の希望・要求・必要にそって適正に使われるべきである。
しかし、というべきか、そして、というべきか「国民」の希望とは決して一枚岩ではない。ソウルの日本大使館前の慰安婦像を撤去するべきだと思う日本国民もいれば、戦争犯罪のシンボルとして、女性に対する組織的歴史的犯罪があったことを忘れないためのモニュメントとして永遠に設置しておくべきだと考える日本国民だっている。
一般日本国民が戦争犯罪の「被害者」であったことが明確でわかりやすいヒロシマ・ナガサキはかならず毎年その時期になれば大きくとりあげられるが、日本人が「加害者」であったとされる、たとえば関東大震災時の朝鮮人大虐殺や、いわゆる南京虐殺や、旧日本軍の従軍慰安婦については年々、公的に話題にしたり、公的に展示をするのが難しくなっている傾向を憂える日本国民だっている。
朝鮮学校に対する補助金打切りに快哉を叫ぶ日本人もいるが、同じ日本という国に生まれ育った子どもたちに対する許しがたい差別だと憤る日本人だっている。
朝鮮学校に対する補助金打切りに快哉を叫ぶ日本人もいるが、同じ日本という国に生まれ育った子どもたちに対する許しがたい差別だと憤る日本人だっている。
当たり前だが、決して全国民が現政権の見解を支持しているわけではなく、さまざまな意見があるのである。そしてそのさまざまな意見を持っているのは、きちんと税金を納めているれっきとした日本国民である。
国は、成熟した民主主義国家の誇りを持って、国民の考えの多様性を適切に認識し、受け止め、その多様性にもとづく多様な方向の助成を、税金を原資として、いわば「広い、成熟した、大人の心」で実施してもらいたい。
すくなくとも私個人が納めている税金は、まわりまわって、たとえば「平和の少女像」の展示や、「従軍慰安婦」の写真や資料の展示や、朝鮮学校に対する補助金に充当されるならば、納めた甲斐があった、と思う。
津田氏の言葉にもある「日本が、自国の現在または過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっている」ことを深く危惧するものである。
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