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10/18/2019

3人目、出ました!

教科教育法を担当し始めてすでに約20年、毎年教育実習生の授業を何件も参観に行きビデオに収めてきたなかで、その場で「グォ〜これはいい!」という気持ちが湧き上がったのが2回だけあった。1回目が「虎の目、龍の耳を持つどS女子」、2回めが「サッカー大好き少年」である。そして早く3人め出てこ〜い!と願っていたのだが、ついに本日、3人めが出現した、と思える。

ちなみに今年の前期は10名の授業を見に行った。10名ははそれぞれ皆頑張り、それまでに伝授した技もいくつも取り入れた授業で、さすが!と思わせてくれる部分も多かった。それをまず強調しておきたい。その上で、だが、それぞれ50分のなかでどこかに本質的な部分で「むむ?!」というところが見え、前述のどS女子とサッカー少年のときのような、その場で身体の中から湧き上がる恍惚感を得るには至らなかったのである。こちらの見る目が厳しくなっている?ということもあるのかもしれないが、よし3人め!と認定する気持ちになるまでは至らなかった、というのが正直なところである。

こっちの気持ちが多くを求めすぎているからか。。。もう3人めはでないだろうかな、と半ば諦めていた矢先。それほど普段の接触は多くない教育学科学生ということで、自分のゼミ生の授業を見に行くときのような緊張感・期待感を持たず、比較的肩の力を抜いて参観に行ったのであった。

1時間目が8:15に始まります、というのでずいぶん早いなと思いつつ7:45に学校に着き、校長室に通されて学生本人が現れたと思ったらいきなり平謝り。なんと本当の授業開始は 8:50なのに、なぜかメールでつい8:15(職員の連絡会の時間)と書いてしまった、とのこと。おいおい。そのためにこっちは5時起きしたんだぞ。ずいぶん早いとは確かに思った。しかしまあ遅く間違えるよりはマシである。

というご愛嬌はあったのだが、校長先生の彼に対する評価を聞いてみると、これがもうべた褒め。昨日研究授業をみせてもらったが教育実習生としてはあれだけできれば十分である。即戦力である。(彼は小学校教員になるのが決まっているが)できれば中学校で欲しいくらいである。彼のような若くてはつらつとした男性教員は小学校では喉から手が出るほど欲しいはずだ。子どもたちが彼の周りにまとわりついてくるのが目に浮かぶようである、等々。。

まあ彼のキャラクター的に愛されるだろうなとは思ったが、ここまで絶賛されるとは想定外だったので、こちらとしても嬉しいことである。しかし英語的にはまだまだの部分もあるのは知っているので、時間があるのを幸い、これから授業で使う英語表現、英文をその場で校長先生の前で発音させて、リズムとイントネーションの調整をしばし。

そしてようやく開始になった授業の流れ(対象は中3)は以下のようである。

(1)あいさつ
(2)帯活動のスモールトーク:ドラえもんにお願いするとしたら何?
<ここから主たる題材(地下鉄路線の案内をする対話文)>
(3)オーラルイントロ
(4)CDの聴き取り
(5)音読練習
(6)ロールプレイ(スクリプトあり)
(7)ロールプレイ(ペアでスクリプトなしで、路線図のみ)
(8)ロールプレイのグループ内一斉テスト
(おまけ)仕上げにもう一度 教師対全員のロールプレイ

流れは「普通に」よい。

こういう「普通」がなかなか学生にはできないのである。(3)→(4)→(5)の「音声のみ→文字を見ながらの音声確認」という流れ、(5)→(6)→(7)の、「徐々に負荷を上げて、単なる音読からスピーキングへのステップアップ」、そして(8)の、「ゆるい形で全員が評価される授業内パフォーマンステスト」という「インフォーマルテスト」の仕掛け。

学生にはいつも、その日の授業で生徒にできるようになってほしい最終イメージを決め、そのイメージが達成できるようにすること、と言っている。きょうの授業の最終イメージは明らかで、「路線図のみを見ながら、教科書の対話文をちょっとだけ変えた対話がペアでできるようになること」であった。そしてそれは概ね達成されていた。生徒たちにとっても達成感がある授業だったはずだ。

(2)のスモールトーク(と称する活動)は、ドラえもんが自分の友だちだったら何をお願いする?それはなぜ?というトピックでペアで会話ができるようになる、というベタなものだったが、ドラえもんのもっている秘密の道具を生徒に問いかけて生徒とやりとりをしながら道具を列挙していくときの、彼の声色というか目つきというか表情というかが、普通ではない。身体と目でひとりひとりの生徒と、またクラス全体と「つながっている」感が張り詰める。彼のベースには小学校教員になるための訓練があるためだろうか、教師という役者としての役者ぶりがいい。開始5分のこの時点で、もう私は嬉しくなってしまった。手順がどうのこうの、という話を超えて、教師がひとりひとりの生徒と「つながって」授業を進めている感覚、というのは1対40名のクラスサイズにおいては、ある意味他の何よりも大切なものだろうと思う。

この「生徒とつながりながら」授業をすすめる感覚というのは当然ながら主たる題材である対話文に移ってからもそこに存在し続けた。文の音読をさせながらも生徒の音声を聞き取って、「ん?いやそういう音じゃなくてこういう音」という指導を即座に、しかも英語で加えるテンポの良さ、は私自身の授業のテンポにも引けをとらないものだ。発音指導を始めると本来の活動ができなくなる、などと誤解している教員は世の中に多いのだが、そんなことはまったくない。THやRがどういう調音なのかという宣言的知識をすでに与えてあれば、それをその瞬間手続的知識に変換させるためのフィードバックというのは、一回、ものの数秒でおわるのだから。

ペアにしてのにぎやかな活動も多かったが、ペアワークの間中、かれは教室じゅうを歩き回り、ペアの間に頭を突っ込んで音声を聞き取ってはフィードバックを繰り返す。的確にかつ瞬間的に。おそらくそのせいで、バズで聞こえてくる生徒同士のやり取りの発音もまずまずである。ペアワークの間はフィードバックの時間だ、という私が2年間口を酸っぱくしていっていたことをきちんと実践してくれている。

そして最も良かったのは、音読の最終形として、スクリプトなしで路線図を指し示しながら、お互いの目を見ながら対話を再現してみる、という活動を持ってきており、その発音やリズムのクオリティもまずまず高いレベルでやりきったことである。対話文にしろ説明文にしろ、授業の最後にはノンバーバルなキューをもとに再現するのはルーテイーンにせよ、と教えているが、これもなかなかきちんとした形では取り入れられていた記憶はないので、今日の授業は印象に残るものだった。

彼は英語のうまさ・自然さに関してはうちのゼミ生の平均レベルにはかなわないのだが、表情力、声の表情力、目のちから、生徒との「つながり力」、効率的フィードバック力、はげまし力、親しみやすいキャラクター力、などの点において極めて優れている。

ああいう教員を育てることができたのは私にとっても喜びである。まずは小学校でスタートしても、おそらく中学教員としてデビューする日も遠くないだろう。







10/03/2019

音読、それは体罰。。。

は?小テストする? なんでそんなことするんだよ。そんなことしたら生徒が、授業外に準備のために時間を費やすことになるだろ?貴重な部活とバイトの時間をそんなことに使わせる権利はお前にはないんだよ。

は?音読?そんなことさせたら生徒が疲れんだろうが。声がかれたらどう責任とるんだ?横暴だろ。体罰と同じだよ。

おい、お前、この前授業中に寝ている生徒を起こしたそうだな?何の権利があって生徒の眠る権利を侵害するんだよ。理事長室に来い!生徒からクレーム来てるんだよ。

は?お前なんでそんなにたくさん板書するんだよ。書き写すのが大変だろう。生徒の身にもなれっつーの。

は?お前なんで授業だからっていつもいつも教室に行くんだよ。生徒がリラックスできねぇだろうが。

は?グルグル?なんだそれ。生徒を立たせて、おまけに発音させるだぁ?頭おかしいのかお前。生徒がストレスで病気になったらどうするんだ? 人権侵害だからな。体罰は法律で禁止されてんだよ。

. . . という学校が、本当に、現実に、あるみたいです。


9/27/2019

あいちトリエンナーレの補助金不交付の件

これはここ数年で最も重大で最も暗いニュース(のひとつ)。

愛知県頑張れ、大村知事、頑張れ。

と言っても、どうせ司法もグルかもな、とネガティブな思いが。。。

せめて署名を


9/23/2019

「問題」は「セクシー」でなければならぬ??



(以下、小泉進次郎環境大臣が言ったママ)

On tackling such a big . . . big scale issue like climate change,  it gotta be fun, and it gotta be cool, it gotta be sexy too.

このitが何を指すかイミフなので、まあ強いて意を汲んでわかりやすくしてみると

Tackling a big issue like climate change should be fun, cool, and sexy.

ということだろうか。

どうやればそれが funで coolになるのか、お手並み拝見、と言いたいところだが、拝見するまでもなく、おそらくナニモナイ。

「30年後」発言で、あれだけ揶揄されたのを、まったく反省していない、というか意識していないというか、意に介していない、ということであろう。

恐ろしい。

9/21/2019

電子黒板、愚の骨頂

アナログな黒板、ホワイトボードに比べて、デジタル的なスクリーンの利点があるとすればそれは、

(1)手書きすれば時間がかかる長いセンテンスも一瞬で提示できる
(2)それを一瞬で消せる
(3)また一瞬で提示できる
(4)intact文を一瞬で虫食い文にできる
(5)内容語だけ欠けた虫食いん文を一瞬で機能語だけ欠けた虫食い文に変えられる

などなど、変幻自在の提示能力につきるだろう。

アナログでは、read and look upとして、自分で視線を下げたり上げたりするところを、スクリーンから消せば、バーチャル read and look upというか、視点は動かさずに、文字をみずに音声を再生する、という活動が手軽にできる。

アナログの黒板では、文を書いて、それを一部消して読ませて、さらにもっと消して読ませて、最後は全部消して読ませて、などとやっていた(やっている)ことがデジタルならもっと手軽にできる。

そしてこういうシンプルな提示にはシンプルなパワポなどが最も良いというかシンプルな普通のPCの機能で十分なわけである。電子黒板がいくらするか知らないが、わざわざそんなものを購入する必要はないはず。

それを、電子黒板にシコシコ手書きで生徒に背を向けて何十秒もかけて「板書」するのでは、まったく何のための電子黒板かわからない。単なる電気の無駄。赤チョークを赤ハイライトに代えて、手が汚れないのはいいが、ただそれだけ。

なんだかICTはICTを使うことありきで、それが自目的化しており、電子黒板を売る業者を設けさせるだけで、授業の改善には全く役立っていないケースも結構多いのではないだろうか。。。

冒頭に述べたような本質的な考察をしたことがない人が多いのだろうか。

淡路先生から教えてもらった次の名言が思い出される:


“Any problems the schools cannot solve without computers, they cannot solve with them.”

"In the end, technology can amplify great teaching, but great technology cannot replace poor teaching.”

OECD (2015), Students, Computers and Learning: Making the Connection, OECD Publishing, Paris.
DOI: http://dx.doi.org/10.1787/9789264239555-en

9/07/2019

2つ買ったら 5000円



日本語の語順通りに直訳してますね。

2BUY じゃなくて、Buy 2 ですね。

語順が逆だし、そもそも2とBUYをスペースなしでくっつけちゃアカン。ひとつの単語になっちゃう。

でも2つで5000円だったら、もっと簡潔に

2 for 5,000 yen

がベスト。

9/02/2019

激烈な音痴は . . . いる。

きょうまで、英語教員になるには英語の歌が歌えなくてはならない、別にビブラートとかかけられなくてもいいが、普通に音程をはずさずに歌えなくてはならない、もちろん発音はきちんとしながら、教科書に英語の歌が掲載されているときにスルーするのではなくきちんと取り上げて授業ができなければならない、くわえて帯活動などで授業のルーティーンとして歌の歌唱活動がなければならない、という固い固い信念のもと、教員養成を行ってきた。靜流英語授業道の英語教育事典では、英語の歌がきちんと歌えない英語教員は英語教員失格なのである。

が、英語はまともに話せるが、英語の歌が歌えない人がいるのだ、という厳然たる事実、否定しがたい事実の存在を認めざるを得なくなった。

たった今耳で聞いた音程(音の絶対的な高さというよりも、複数の音の相対的な高さのパターン)が、絶望的に再現できない人がいる、しかも多少はずすというレベルではなく、まったく別のメロディになってしまう、これは人前で歌わないほうがいい、これでは音痴ハラスメントになってしまう、というレベルの人がいるのだ、という事実。

話には聞いていたけど、本当にいるのだ。。。

現象としては、耳からきいた複数音の相対的な高さが知覚できないのか、知覚しても作動記憶に保持できないのか、保持していても、それを自分の口で再現できなのかのどれか、あるいはこれらの全部だとは思うが。。。

う〜ん、こまった。

が、まあ例外中の例外でしょうから、靜流英語授業道の事典を改定するつもりはいまのところ、ありません。