いい授業を見た。
中学1年。
教師が生徒を睨んでいる。虎の眼だ。生徒全員の口元を観察してVの発音を正しくしているか、見ているのだ。
一斉音読の生徒全員の声に耳を澄ましている。なかにひとりでもおかしな発音をしている子がいないか、聞き分けようとしているのだ。竜の耳だ。
個人指名して読ませる際も一切妥協はしない。きちんといえるようになるまで、3回、4回、5回、「もっかい、最初から!」
それで諦める生徒はいない。教師が諦めないからだ。そして、6回目、7回目には、きちんとした音が出せるようになってゆく。Japan が言えるようになる。college が言えるようになる。college と courage の違いが言えない英語教師も決してめずらしくないのに。
教師が生徒の心をがっちりつかんでいる。生徒は教師に憧れている。
教師が高く上げた右手の指先に全生徒の注意が集まる。オーケストラの指揮者だな。
生徒はみるみるうまくなっていく。
きちんとした英語らしい発音ができるようになっていく。生徒は嬉しそうだ。楽しそうだ。楽しくないわけがない。自分が上達するのがわかるのだ。そしてまた先生が満足そうにOKと言ってくれるのが嬉しいのだ。
簡単にOKがでないからこそ、OKが出たときに歓びが大きいのだ。誰でももらえるOKじゃないからだ。
教師はリズムをとって身体を揺らす。生徒もそれを真似して腕をたたく。
机と椅子をすべて教室の中央に寄せて、グルグルが始まる。何周も何周もする。自分の番を待つ生徒は男子も女子も、大きな声で、友だちと話しながらも真面目に練習している。そしてOKをもらうと大喜びでガッツポーズだ。時折、教師は、全体に必要なフィードバックを大きな声で与える。
みるみるうまくなっている。
生徒はみんな必死で努力する。そして楽しそうだ。
準備に時間ばかりかかって益の少ない、例の「コミュニケーション活動」という名の暇つぶしなどはない。おなじ「うるさい盛り上がり」でも、なんという英語の質の違いだろう。
こういう教師に教えてもらえる生徒は幸せである。