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9/30/2012

やっぱり ICT くだらん

その時々で最先端の ICT が話題になるが、それで生徒の英語の力がつくようになることはありえない、と現実の授業を見るたびに思う。

チョークと先生のトークが一番。

その部分の魅力のなさをiPadやら電子黒板やらで補おうとしても結局時間の無駄。素人の目にうつる外見が変わるだけ。

力の入れどころが違うんだよ。

こんごどんなニューテクノロジーが出てもそうだろうと予測する。

9/29/2012

誓い: 5年後からは



おかげさまで無事に教員採用試験に合格することができました。これからより良い教師になれるようにより一層の努力を積んでいきたいと思います。

私は静先生の熱心な指導のおかげで、英語の発音がかなりマシになりました。自信をもって英語を話すことができるようになりました。そしてなにより、英語を話すことが楽しくなりました。ありがとうございました。

先生からは発音指導だけではなく、教育に対する情熱的な姿勢も学ばせていただきました。

現在の小学校外国語活動では、指導をすることはできません。先生方との協力も大切であり、また初任者として謙虚に学ぶ姿勢を大切にしていきたいので、教師になってから少なくとも5年間は周りの先生方や先輩方から多くのことを学び、なるべく自分は出さずに行こうと思います。(年経っても謙虚に学ぶ姿勢は忘れずにいるつもりです。)

しかし、私がある程度の経験を積み、地位を確立した暁には、私が静先生の授業で味わった達成感や、英語の楽しさを児童に伝えられるように、様々な指導をしていくことをここに誓います。

だからそれまではおとなしく、きちんとした指導ができるように鍛錬を積んでいきたいと思います

毎回充実した講義と、熱心な指導をありがとうございました。卒業までにもう一度私の発音を厳しく指導していただけたら幸いです。

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その誓い、憶えておくよ。

他人の授業を見ると

自分が毎回、当たり前だと思ってやっているひとつひとつの活動が、じつは全然当たり前ではなく、いかに exceptionally good なのか、現状の平均レベルからみるといかに図抜けて素晴しいものなのか、と思い知らされる。

それは非常に悲しいことだ。

他人の授業は見たくない

いたたまれなくなるから。

怒りがこみ上げてくるから。

やりきれなくなるから。

顔を背けたくなるから。

耳を塞ぎたくなるから。

気分が悪くなるから。

絶望を感じるから。

同業者として許せなくなるから。

子どもがかわいそうになるから。

痛々しいから。

悲しくなるから。

切なくなるから。

ニセモノだとわかってしまうから。

見たくなかった、と思うから。

子どもがダメにされているのがわかるから。

だからなるべく他人の授業は見たくない。




9/28/2012

「自己表現」という新興宗教

いつからだろうか。

猫も杓子も二言目には「自己表現」、「自己表現」、と。

だいたい、自己表現って何だ。たんに

talk/write about yourself

talk/write about what you feel/think/believe

ということである。


非常に、ごくごく普通の言語活動である。

さらに実体をいうならば、何が好きだ、このまえ何をした、ぼくはこう思う、という程度の話しである。

それをあたかも特別な、最も大切なエレメントであるかのごとく、特別視し、「自己表現」がなければ授業でないかのような戯言を。

しかもそんなことを言う教員が英語で「自己表現」できるかというと、ほとんどできない。あるいは非非常に低レベルのことしかできない。

自分ができないことを生徒にさせようさせよう、という話か。

で、結果は、非常に低レベルの、英語とはいえないようなプロソディと分節音のシロモノを引き出して、それを大げさに誉めて、はい、おしまい。

ゴミを誉めていれば、いつのまにかゴミが自然にダイアモンドに変身するとでも思っているのか。

かくして負の再生産が永遠に続く。

ゴミのような自作英文を言わせている暇に、ダイアモンドの他作英文を言わせるほうがずっとよい。そして、ダイアモンドの他作英文を言わせていると、ダイアモンドの自作英文が言えるようになるのだ。

中学授業を50点満点で評価する簡単チェック

◆あいさつで

授業のしょっぱなで、Good morning/afternoon, Mr. XXXX. と言わせて、生徒が無邪気に、

ミスター

といっているのを放っておいて、

MISter   Oo

という英語リズムを教える格好の機会を逃している授業で、まともだったためしはない。

たかがミスターだがされどミスターで、 mister の mis の音節を長く強く高く、 ter を短く曖昧に、というのは、英語のすべてに通じる基本原則。

それをおろそかにしていて、あとの49分がまともだったためしはかつてない。一発で分かる。ああ、この授業は「英語」を教えてない。


A. 生徒が MISterと言っている。日頃から指導されている →10点
B. 生徒が MISTAR と言ったのを、MISter に直す → 7点
C. たんに流す →0点


◆新出単語の導入で(1)

単語の発音をして生徒の繰り返させる時、生徒のコーラスを聞いて


A. 逐一発音に関するフィードバックを、対象を名指してする 「◯◯!! おまえVで上唇使ってるぞ! 下唇を歯!!」 →10点

B 逐一発音に関するフィードバックを全体に、ばくぜんとする 「Vに気をつけましょう」 →7点

C. いっさいしない。声がでてればよい。 →0点

◆進出単語の導入で(2)

新出単語の発音の時、

A ひとつひとつの文字に注意を喚起する → 10点
B やたら勢いでコーラスさせるのみ → 0点


◆コーラス音読で

A 先生の英語はまともで、生徒の英語をそれに近づけるように逐一アドバイスをする →10点
B 先生の英語はまともだが、生徒の英語にはアドバイスはゼロなので、生徒の英語はひどい→3点
C 先生の英語がひどい。もちろん生徒も。→0点

◆授業最後の発表で、

A. それまでに指導されていて生徒の音声はまともであり、それを心からほめる →10点
B.  生徒の発音がひどいので、それを指導して、まともにする機会として活用する → 7点
C 生徒の発音もリズムもひどいが、笑って拍手し、Okay! Thank you!! という。評価シートには、英語自体とういよりも、コミュニケーションができているとか、意味不明のどうでもいい美辞麗句ばかりが並んでいる → 0点

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以上で合計して、

27点以上 ぎりぎり合格

0点 根本的に心を入れ替えてくれ。そのつもりがないなら、子どもたちのために是非、是非、転職してくれ。

結局、手順や活動や小道具は二の次三の次なのである。モデルを示して、それを模倣させて、close enough になるまで持っていく。それだけである。ちなみに、このモデルというのは、「自己表現」させて生徒からでてきた英語の、望ましい音声モデル、という意味も包含している。

小学生から中学生から高校生から大学生から大学院生まで一緒。


その姿勢さえあれば、スキットをやったり実物の写真をつかったりパワポをつかったりゲームをしたりすると、より面白い授業になるが、それがないと、ほかのすべては徒労、労多くして益なしだ。

どうしてそんなシンプルなことができないか意味がわからない。



9/27/2012

自己表現? はー??

教科書の本文もきちんと音読させられない状態で、自己表現、自己表現と騒ぐな。

100年早いわ。