Total Pageviews

11/23/2010

教科書本文ごときに縛られるな

教科書本文を金科玉条のごとく扱う教員が多い。本文から一歩も逸脱出来ないような人が。

教科書の本文は、編集の過程で、さまざまなeditingを経て、改変され、最終的にたどりついたものである。それは、全体の語数とか、文法事項の配列とか、語彙制限とか、さまざまな制約をうけて、「たまたま」たどりついたものであって、決して the one and only な文ではない。

つまり、単なる one of many ways of saying the same thing である。

ほかにいくらでも表現のしかたはある。

また、ひとつひとつの文はあくまでテキストのなかで意味を持つのであって、文脈から取り出したら意味がよくわからなくなることも多い。代名詞や接続詞など。

だからたとえばグルグルに使う時に、代名詞を名詞に戻したり、長さを調整するために2文を1文にしたり、逆に1文をふたつに切ったり、リズム調整のために単語を足したり引いたり、することは当然必要なことである。

ただ、そうやって本文を改変した時に、不自然な英文や誤った英文になっては話にならないわけで、いちいちAETなどに頼らなくても、「十分な程度に正しい」英文を書けるだけの力量と自信がここでもキーになるわけである。自作の文が不安で使えない、のではどうしょうもない。

やっぱり心技体では「体」が大切、という結論になる。「体」をつけて、教科書本文を「使い倒そう」。

Materials in textbooks are not something you should never deviate from.  They are just examples of expressions that convey certain messages or ideas.  You need to be confident and proficient enough to be able to modify them to suit your purposes and students' needs.