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2/12/2011

恐るべし、こども英語落語

こども英語落語協会(EETRAC)による、こどもたち(年長~小6)の英語落語発表会を見に行った。と言っても発表会自体は最後の演目の途中からしか見られなかったのだが、終了後に特別に数名のこどもたちに目の前で演じてもらう機会があった。

うまい。

英語が。

個々の音もそうだが、かなり適切な抑揚と焦点化ができている。

それもそのはずで、協会代表の「ガメラさん」が、終了後のお菓子パーティという名前の反省・激励会でこどもたちに言っていたのが、

「まず相手に伝えたいという気持ちがあります。その気持ちを、はい~って、相手に差し出すんです。で、そこにたまたま言葉もあるんです。ことばが先じゃないんです」

という名言。

同じようなことを言う人の中には、ときとして「だから大事なのは、LとかRとかじゃなくて気持ちだよ」という困った方向に行くケースがあるのだが、ガメラさんの協会の場合は逆で、個々の発音も徹底的に指導している。そこが、ちまたの公教育のなかでの児童英語教育とは真逆で、すばらしい部分である。

英語訓練の方法としての英語落語を、英語暗唱、英語スピーチ、英語劇、と比べてみる。

まず、暗唱、スピーチと比べたときの利点は、談話のなかにかならず2名以上がでてきて会話をすることである。また、内容が軽く、やっていても聞いていても楽しい。しかもひとりで2名を演じわける必要があるので、当然、イントネーションとか、声色とか、状況によく表した英語表現方法を訓練せざるをえない。

そして英語劇とくらべたときの利点は、ひとりでできることと、ひとりで何役も演じられることだ。英語劇の指導も過去に関わったことがあるが、英語そのものの指導としてはいろいろな意味で無駄が多い。また悪い意味での「演技」のほうに力点が行ってしまい、肝心のセリフの英語はやたらに早口だったり大声だったり、聞き取りにくい発音だったりしてしまうことが現実には多い。その点、落語は、おなじ「演じる」にしても、演技にしめる言葉の役割がずっと大きい。もちろん座ったままでの動作はあるのだが、それは必要最小限の動きで、しかも英語のセリフに直結した所作になる。そして、きほんてには落ち着いてゆっくり話す、ことが指導される(ようである。すくなくともガメラさんの協会は)。

この「ゆっくり話す」という指導も、ちまたのインチキペラペライングリッシュを追い求める勘違いメソッドと真逆である。

こうしてみると、英語訓練としては暗唱、スピーチ、英語劇のどれよりも優れたメソッドだと言えよう。また話の題材が日本の文化だという点もすばらしいではないか。

ただもちろん、我々の誰もが落語が指導できるのはないので、ふつうの英語教師としては指をくわえてみているしかないのが残念ではあるが。自分に小さなこどもがいたら、是非入門させたいものだ。

まだ2年前に発足したばかりの協会だということだが、このようなこども英語落語なら、ガメラさんの願い通り、日本中に広がって欲しいな、というすがすがしい思いで会場を後にすることができた。


Watching some kids do English rakugo right in front of my eyes, I was convinced that practicing and performing rakugo in English is one of the best methods to develop your ability to convey your thoughts and express your feelings in English.  It was a real eye-opener.