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11/17/2011

ネイティブ音声と教師の音声

全英連の高校の授業でもうひとつよかったのは、録音されたネイティブの音声を聞かせた直後に、教師が肉声で同じ単語を発音してみせて、その音声がネイティブと同じじゃん!という感想を生徒に持たせる程度にうまかったことである。

最初の活動の、L/R  V/B のミニマルペアの単語の聞き分けを、iPadの 英語耳ゲー というアプリケーションを使ってやる、という部分だったが、最初に問題音声を聞かせ、生徒の解答を引き出してから、答え合わせをする、という局面で、

「Rの中にLがひとつだけ混じっていたのは、5題中の3番だった。本当にそうだったのかもういちど音声を聞いてみよう。」

ということで、再度ネイティブ音声を聞かせたのだが、その際、ひとつひとつ、教師がリピートしてみせて、

「ほら。こういう感じに発音してるだろう?」

とダメ押しをした。

これは、本番一週間前に見せてもらった授業ではなかったのを、

「単なる、何番が間違っていた、という答え合わせを超えて、『ああ、確かに~番は違っているな』ということを納得させないと、次につながらない。また、教師も肉声で、まったく同じに発音してみせるべし」

とアドバイスさせてもらったのを受けて、授業者が本番では見事に修正してくれたものであった。

世の中の英語教員は、CDなどのネイティブ音声をきかせっぱなしの場合が多すぎる。ネイティブ音声を聞かせたら、直後に同じことを言ってみせて、

「先生、カッケー! おんなじじゃん! 日本人なのに、ネイティブと変わらない発音ができるじゃん! カッケー! この先生についていけば、私もあんなふうになれるかも! がんばるぞ!」

と生徒に思ってもらえるのともらえないのとでは、その後の活動にたいする生徒の姿勢が違ってくる。

これは、いまの world Englishes の世の中において、必ずしも native variety と同じ英語を学習者は話す必要がない、という言説が総論として正しい、ということとは関わりのない事実である。

英語の教師は、American variety も、 British variety も、Australian varietyも、acceptable Japanese variety も、acceptable Indian variety も、かなりの程度に再現できて、始めて商売になるのである。