【教師の発音の要改善点】
(1)語末のN
WheN you read ...
WheN you are sleepy ...
caN he swim ..
opeN your textbook
(ついでに、text が、 tekist になっている)
(2)文中の the
時折、センテンスの中だと za za となっている。
down to the river → down to za river
with a splash → wiz a sprash
(3)語末の有声閉鎖音を強調しすぎて、ほとんど母音が付加されることが多い。
(4) スィとシ
what situation が、 what shituation に聞こえる。
(5) 曖昧であるべき母音が曖昧でない
how about other studnts → how about other studEnts
【CD音源と教師の肉声の使い分け・棲み分けに対する意識の欠如あるいは不足】
すばらしい、感情のこもったCD音源であった。イントネーションや、文脈からくる強弱など、生徒に十分に聞かせたい、知覚させたい、
たとえば、 This MORNing, I was HAPpy about EVErything のピッチの上げ下げなど、是非是非意識させ(てみにつけさ)たい。
このような、意識させたい音声現象がたくさんあるCDなのだが、それを確か一回聞かせただけ。
しかも「ここは悲しい音楽があう」「ここは楽しい音楽があう」という部分を見つけよう、という意味ベースの指示によって聞かせているので、生徒の注意は意味にいき、フォームにはほとんどいかない。
あれだけのCD音源がもったいない!
【生徒の音声に対する改善アドバイスの欠如あるいは不足】
ご多分に漏れず、コーラスリーディングでのアドバイスはゼロ。個人リーディングでのアドバイスはまったく不足、あるいはほとんどゼロ。うーん、残念。
遠くに叫んでいるべきところは、もっとそれらしく、といったレベルの「フィードバック」はあったが、決定的なミスに対するフィードバックはなし。
例えば、
僕だよ、友人のガマだよ!
it's ME. it's YOUR friend, TOAD! (CDのプロソディ)
に対して、個人で当てられた生徒が
it's ME. it's your FRIEND, toad?
のように、意味(と音声、プロソディの結びつき)がわかっていないため、Toadのプロソディを決定的に間違ってた時も、聞いているのかいないのか、
hm mm
といって、聞き流すのみ。
うーん、残念。。。 教えればもっともっとうまくなるのに。。。
【時間の使い方】
50分間のもっとも効率的な使い方として、極端なはなし、あのすばらしい音源CDだけを(和訳を見せながら意味を意識させながら)時間の限り聴かせるのと、今回のような、生徒に問いかけつつの肉声によるゆっくり紙芝居を比較した時、どうなのだろう、という根本的な疑問。