Total Pageviews

11/17/2019

森だけでなく木を見よう

<教員養成コロキアムでの開会挨拶:要旨>


(前略)

さて昨今のニュースで教育に関係するものを見ていると、「木を見て森を見ず」ということわざを思い出します。もちろんこれは目の前の枝葉末節にとらわれて大局を見ないことを戒めていることがですが、いまはむしろ「森を見て木を見ず」という状況が問題になっているようように思います。

たとえば、延期が決まった大学入試英語4技能試験の問題があります。日本人は概ね英語を話す能力が弱いことが多い。よってテストで話す力を測れば、話す能力の養成にも少しは目が向くのではないか。ここまでは「森」で、この「森」は一般論としてはおそらくあたっているのだろうと思います。

しかし、その「木」が、
  • 6つも7つも異なる試験の結果を無理に同一のものさしに換算する
  • しかもその試験は民間業者の開発によるものである
  • その民間業者は試験もするし、その対策本も売ってお金儲けもする
  • しかもその制度の導入を決める委員会に、当の民間業者の関係者が入っていた
  • その民間業者に、文科省から複数の天下りがあったことが判明し
  • 試験会場は都市部に集中し、それ以外に居住する高校生は不利である

ということであれば、その木は腐っている、と言わざるを得ません。

同様の問題が、未だに実施が画策されている国語と数学の記述式の試験にも言えるかと思います。多肢選択式だけでは、自分で表現する能力、発表する能力が測れない。よって記述式を入れれば、その能力の養成にも目がむくのではないか。ここまでの「森」はおそらくあたっています。しかし

  • 1万人の採点者が50万人の答案を短期間で採点し、
  • しかもその採点者にはアルバイトもいる
  • この事業はある民間会社が61億円で請け負っている
  • 自己採点と実際の採点が一致しない

という「木」はどうでしょうか。私は以前、約30人の教員で、約9000枚の答案の記述式の採点をする現場にいたことがあります。もちろん採点基準のすり合わせはします。しかし現実にはすり合わせしきれるものではありません。となりの人の採点を横目で見ると、自分のとは60点満点中で20点くらい違うことも珍しくありませんでした。30人で9000枚でを採点してその程度です。1万人で50万人の採点はどうなるか、火を見るよりも明らかでしょう。

先般、台風15号が千葉県を襲った際、倒木の異常な多さが停電の復旧を遅らせましたが、その倒木の多さは、林業政策に誤りによって多くの杉が病気にかかっていたのを放置していたからだ、と言われております。一本一本の木が腐っていれば、当然、森も腐っているのです。

これからはひとりひとりの教員が、学校の管理職や教育委員会や文部科学省が提示してくる「森」を、目の前のひとりひとりの生徒たちという「木」に照らしてどうなのか、森を見て木をみずになっていないか、考えていかねばならないでしょう。

今日はそんな、これは森の話なのか、木の話なのか、そんな視点も頭のスミに置きながら、みなさんの話に耳を傾けられれば、そんなふうに思います。