1年生も2年生も、ある程度の達成感(私の側の)をもって終わることができた。授業終了後、開放感にまかせてキャンパス脇のこども動物公園を1時間ほどあるき回り、世界最小のシカ「プーズー」やら放し飼いされているマーラーやらを牛やら馬やらペンギンやらキリンやらシマウマやらを眺め、和む。
その後、もとゼミ生の4年生がバイトしているお好み焼き屋で夕食。ピリ辛ホルモンを頼むと彼女が「モリモリで!」と持ってきてくれたホルモンが通常の2倍いや3倍はあろうか、という量!う、嬉しい。。。悲鳴とはまさにこれ。もうこちとら高齢者ですからね、この量はさすがに無理だわ。お好みも頼んでるし。気持ちが嬉しので食べられるだけ食べましたが、無理せず残りはありがたく、持ち帰りにさせてもらいました。他にも鶏モモをサービスにしてくれたり、エビ玉のエビの数を増やしてくれたりと、改めて、な、なんていい子なんだ。。。
卒業を間近に控えて、こういう関係になれていることが、じんわりと心にしみ、お腹も胸もいっぱいになって帰りました。
発音ザムライ、ジャパリッシュ英語教師を斬る! 寄るな触るな、触れなば斬らん! 斬り捨て御免で御意見無用! (Part of the Caption by Courtesy of Madame Satoh)
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12/20/2016
12/17/2016
あれから2年 ゼミディズニー再び
2013年度靜ゼミに続き、2015年度靜ゼミでも都合がついたメンバーだけでの Tokyo DisneySea でのオフ会を決行。
最高気温9℃の寒さの中、数十分待ちの絶叫マシンを満喫し、やたら高いのにちっとも腹を満たせないジャンクフードを食べ、みごとど真ん中の席を抽選で射止めたBig Band Beatショーを居眠りしつつ楽しみ、震える身体をみんなでスキップして温めてながら、イルミネーションが別世界を創り出す夜8時まで親睦を深めた。この子たちももうすぐ卒業かと思うと感慨深い。
(リアル靜+4人のミニ靜)
12/16/2016
260人の授業やりました
今日、生まれて初めて260名の授業を行いました。もっと多い数の大人相手に講演したことはありますが、この人数の生徒や学生に「講義」したのは初めてです。
なぜそんなに多い人数かというと、学科の2年生全員に対して、26名ほどいる学科教員がひとり1回ずつ自分の専門領域に絡めて講義する「知の森を覗く:英語学とその関連領域」というオムニバス講義で、今日1回分の担当が私だったのです。
じつは今日の講義に関しては、日程が決まってからずっと思い悩んでいました。260名のうち今まで一度でも授業で顔を合わせたことがあるのは三分の1より多い程度。残りは初対面で、この後もこれっきり顔を合わせない学生のほうが多いはずです。もちろんほとんど名前を顔もわかりません。そういうラポールもなく、コンロールのききにくい状況のなかで話をきちんと90分間聞かせるには、どういう内容と、どういう方法がよいのか、と。
英語(スキル)の授業をするなら200名でも300名でも30名と本質的には変わらず、いつも通りのイメージでできるはずです。しかし今回は授業の縛りとして「自分の研究領域の講義をする」ということがあり、英語のスキル授業をするオプションはありません。私のことを知っている学生には教室で「先生、きょうはグルグルやりますか?」などと聞かれましたが、そうはいきません。
英語の授業でなく、いわゆる講義をするわけです。そして聞いているのが大教室の260名であっても、たったひとりでも寝られたり、突っ伏されたり、スマホでもいじられたりするのが、私は話し手として我慢できません。ましてやひとりでもふたりでも私語などされるのはアリエマセン。学生の状態がどうであっても、寝ていようがスマホを見ていようがしゃべっていようがお構いなしに、下を向いて講義をするのに痛痒も感じない大学人は多いように見えますが、とてもそんな「芸当」はできません。なんといっても「靜流英語授業道 家元」の看板がありますし。家元の授業で私語があったり、居眠りがあったのでは、看板を下ろさねばならなくなるでしょう。
つまり今日のミッションは、(1)自分の専門領域(今回は、英語授業学ではなく、言語テスト論の話を選択しました)の講義をしつつ、(2)その領域に全員が興味を持っているはずがない260名の大学2年生を90分間、ひとりのこらずとりあえず集中させる、ことにありました。
他の先生がたは、90分のうちおおよそ70分程度講義をし、残りの20分程度でリアククションペーパーを書かせる、などをされているようでしたが、私はそれでは70分の間の学生の集中度合が心配でした。
考えに考えた末、出した結論は、むかしの著書『英語授業の大技小技』に書いた「発問即テスト法」の応用です。
最初にA4の、ほぼ白紙のペーパーを配ります。トップには学籍番号と氏名を書く欄があり、その下は1~14の番号をふった記入スペースがあります。
放っておくとどうしても学生の一部は教室の最も後ろのほうに座りたがりますので、この白紙ペーパーの配布も一工夫。最初の段階で教室の最後列に座っている一団にはこのペーパーを配らず、空いている前列を指して「(このペーパーが欲しければ)あっちに座ってね」と指示し、260名をほとんど空きスペースなく、最前列から座らせました。若干名遅刻してきた学生も、前のほうに誘導しました。
そのうえで、次の説明をパワポで見せました:
<今日のやり方>
配布した紙はテスト用紙です
指定されたことがら以外は書かないこと
→ メモは自分のノートなどにする。
講義をしながら、適宜解答を指示するので、その内容について解答してください。
解答の際、自分のメモを参照してよい。ただし他人と一切コミュニケーションしてはいけない。
最後に提出してもらい、引き換えに「正解例」を記したプリントを渡します。
<あらかじめの注意>
許可なく隣同士で口をきいたら
スマホ等をいじっているのを見かけたら
机に突っ伏している等、を見かけたら
関係ないことをしているのを見かけたら
頬杖をついている等を見かけたら
→その時点で、不正行為 or バーチャル欠席とみなし、テスト用紙を回収した上で、退場を命じます。
事前の想定イメージとすると、私語をした学生がいたらそばまでいって、配布したシートを腕づくで取り上げ、「レッドカード!退場!」を命ずる、という感じです。
かなり勢い込んでこの説明を見せたのですが、そこまで勢い込むことは不要だったようです。
本学の学生の名誉のために言っておきますと、90分間で私語はゼロでした。ちょっとうとうとしかけたのがのべ2件ありましたが、すぐ「そこ、起こしてあげて」と声をかけ、隣の学生に起こさせたので問題はありませんでした。
私が説明している間中、学生たちは必死にメモをとりつづけ、おおよそ5分から10分おきに私が繰り出す発問(たった今説明したことをまとめればこたえられるもの)に対する解答を必死に書きつづけました。
解答を書いている間は教室内を巡回し、一周して教壇に戻った時点でその欄の解答時間は終了、といリズムにしました。
最後は英語のテスト形式の紹介として リスニングクローズとディクテーションを扱ったのですが、リスニングクローズのマテリアルは、私がアカペラで歌う Santa Claus is coming to town で、歌詞の途中に「ピー!」と口で言い、その「ピー」にあたる語を書かせるというもの、ディクテーションのマテリアルは Rudolph, the red-nosed reindeer で、結局最後はみんなで合唱して楽しく終わってしまったあたり、テスト理論の正規分布や信頼性の話で始まりながらも、最後はやっぱり歌なのね、というオチでした。
緊張と集中の90分間、お疲れさま。
なぜそんなに多い人数かというと、学科の2年生全員に対して、26名ほどいる学科教員がひとり1回ずつ自分の専門領域に絡めて講義する「知の森を覗く:英語学とその関連領域」というオムニバス講義で、今日1回分の担当が私だったのです。
じつは今日の講義に関しては、日程が決まってからずっと思い悩んでいました。260名のうち今まで一度でも授業で顔を合わせたことがあるのは三分の1より多い程度。残りは初対面で、この後もこれっきり顔を合わせない学生のほうが多いはずです。もちろんほとんど名前を顔もわかりません。そういうラポールもなく、コンロールのききにくい状況のなかで話をきちんと90分間聞かせるには、どういう内容と、どういう方法がよいのか、と。
英語(スキル)の授業をするなら200名でも300名でも30名と本質的には変わらず、いつも通りのイメージでできるはずです。しかし今回は授業の縛りとして「自分の研究領域の講義をする」ということがあり、英語のスキル授業をするオプションはありません。私のことを知っている学生には教室で「先生、きょうはグルグルやりますか?」などと聞かれましたが、そうはいきません。
英語の授業でなく、いわゆる講義をするわけです。そして聞いているのが大教室の260名であっても、たったひとりでも寝られたり、突っ伏されたり、スマホでもいじられたりするのが、私は話し手として我慢できません。ましてやひとりでもふたりでも私語などされるのはアリエマセン。学生の状態がどうであっても、寝ていようがスマホを見ていようがしゃべっていようがお構いなしに、下を向いて講義をするのに痛痒も感じない大学人は多いように見えますが、とてもそんな「芸当」はできません。なんといっても「靜流英語授業道 家元」の看板がありますし。家元の授業で私語があったり、居眠りがあったのでは、看板を下ろさねばならなくなるでしょう。
つまり今日のミッションは、(1)自分の専門領域(今回は、英語授業学ではなく、言語テスト論の話を選択しました)の講義をしつつ、(2)その領域に全員が興味を持っているはずがない260名の大学2年生を90分間、ひとりのこらずとりあえず集中させる、ことにありました。
他の先生がたは、90分のうちおおよそ70分程度講義をし、残りの20分程度でリアククションペーパーを書かせる、などをされているようでしたが、私はそれでは70分の間の学生の集中度合が心配でした。
考えに考えた末、出した結論は、むかしの著書『英語授業の大技小技』に書いた「発問即テスト法」の応用です。
最初にA4の、ほぼ白紙のペーパーを配ります。トップには学籍番号と氏名を書く欄があり、その下は1~14の番号をふった記入スペースがあります。
放っておくとどうしても学生の一部は教室の最も後ろのほうに座りたがりますので、この白紙ペーパーの配布も一工夫。最初の段階で教室の最後列に座っている一団にはこのペーパーを配らず、空いている前列を指して「(このペーパーが欲しければ)あっちに座ってね」と指示し、260名をほとんど空きスペースなく、最前列から座らせました。若干名遅刻してきた学生も、前のほうに誘導しました。
そのうえで、次の説明をパワポで見せました:
<今日のやり方>
配布した紙はテスト用紙です
指定されたことがら以外は書かないこと
→ メモは自分のノートなどにする。
講義をしながら、適宜解答を指示するので、その内容について解答してください。
解答の際、自分のメモを参照してよい。ただし他人と一切コミュニケーションしてはいけない。
最後に提出してもらい、引き換えに「正解例」を記したプリントを渡します。
<あらかじめの注意>
許可なく隣同士で口をきいたら
スマホ等をいじっているのを見かけたら
机に突っ伏している等、を見かけたら
関係ないことをしているのを見かけたら
頬杖をついている等を見かけたら
→その時点で、不正行為 or バーチャル欠席とみなし、テスト用紙を回収した上で、退場を命じます。
かなり勢い込んでこの説明を見せたのですが、そこまで勢い込むことは不要だったようです。
本学の学生の名誉のために言っておきますと、90分間で私語はゼロでした。ちょっとうとうとしかけたのがのべ2件ありましたが、すぐ「そこ、起こしてあげて」と声をかけ、隣の学生に起こさせたので問題はありませんでした。
私が説明している間中、学生たちは必死にメモをとりつづけ、おおよそ5分から10分おきに私が繰り出す発問(たった今説明したことをまとめればこたえられるもの)に対する解答を必死に書きつづけました。
解答を書いている間は教室内を巡回し、一周して教壇に戻った時点でその欄の解答時間は終了、といリズムにしました。
最後は英語のテスト形式の紹介として リスニングクローズとディクテーションを扱ったのですが、リスニングクローズのマテリアルは、私がアカペラで歌う Santa Claus is coming to town で、歌詞の途中に「ピー!」と口で言い、その「ピー」にあたる語を書かせるというもの、ディクテーションのマテリアルは Rudolph, the red-nosed reindeer で、結局最後はみんなで合唱して楽しく終わってしまったあたり、テスト理論の正規分布や信頼性の話で始まりながらも、最後はやっぱり歌なのね、というオチでした。
緊張と集中の90分間、お疲れさま。
12/04/2016
撮影、やりました!
今日、撮影終了しました。
9時半からはじめて19時半までですから、ほぼ10時間でした。
出演学生はそれぞれみんな頑張ってくれました。人選に狂いはありませんでした。
副菜のリズミック音読には、柔道あり、空手あり、剣道あり、バレエ(?)あり、卓球あり、サッカーあり、ボンゴ演奏あり、木魚演奏あり、縄跳びあり、オーケストラ指揮あり、花いちもんめあり、。。。
これだとイメージがわかない人にはわかないでしょうが、わかる人にはわかるでしょうか。すべて、例によって英語の stress-timed rhythm を習得するためのトレーニングです。
厳しいダメ出しに耐えて学生は踏ん張ってくれ、最後はオバマ大統領の広島スピーチの一節を、全員で大縄跳びをしながら合唱(?)して、数度の失敗のあと、見事成功!!
主菜の「英語で英語を読む」授業実演のほうも、中2教科書からオバマ大統領スピーチまで、15本みっちり。
久しぶりの達成感を味わうことができました。こういう機会をくださったジャパンライムのご担当者、協力してくださったすべての方々、そして快調に動いてくれた自分の身体に、感謝いたします。
9時半からはじめて19時半までですから、ほぼ10時間でした。
出演学生はそれぞれみんな頑張ってくれました。人選に狂いはありませんでした。
副菜のリズミック音読には、柔道あり、空手あり、剣道あり、バレエ(?)あり、卓球あり、サッカーあり、ボンゴ演奏あり、木魚演奏あり、縄跳びあり、オーケストラ指揮あり、花いちもんめあり、。。。
これだとイメージがわかない人にはわかないでしょうが、わかる人にはわかるでしょうか。すべて、例によって英語の stress-timed rhythm を習得するためのトレーニングです。
厳しいダメ出しに耐えて学生は踏ん張ってくれ、最後はオバマ大統領の広島スピーチの一節を、全員で大縄跳びをしながら合唱(?)して、数度の失敗のあと、見事成功!!
主菜の「英語で英語を読む」授業実演のほうも、中2教科書からオバマ大統領スピーチまで、15本みっちり。
久しぶりの達成感を味わうことができました。こういう機会をくださったジャパンライムのご担当者、協力してくださったすべての方々、そして快調に動いてくれた自分の身体に、感謝いたします。
12/01/2016
最後の共同作業のDVD、撮影に入ります
幸いなことにいままで、そのときどきに教えていた学生に出演してもらって、英語教育関係のDVDおよびオンデマンド映像を出版・公刊させていただいてきました。
関西大の学生と:
関西大の学生と:
埼玉大の学生と:
学習院大の学生と:
関西大の学生と:
英語発音の達人ワークアウト「English あいうえお」
関西大の学生と:
英語授業の3形態:一斉、ペア、そしてグルグル
リズムで体感!重要構文~ABCから仮定法まで~
『Be Professional! 靜流英語授業道』 | JLCオンデマンド
そして、今回、ありがたいことにまたジャパンライム社よりオファーをいただいてから構想半年、企画が固まり、大東文化大の学生が出演するDVDを作ることになりました。そのスクリプトの執筆にここのところずっとかかりきりだったのですが、ようやく今週の日曜日に、学生との絡みを撮影するところまでこぎつけました。
タイトルは未定ですが、中学および高校の英語教科書の本文およびオバマ大統領の広島スピーチを、いかに英語で教えるかを実演する内容になります。「英語は英語で」を扱った書籍やDVDはありますが、私個人としてはその多くに隔靴掻痒の感を覚えるので、今回のDVDでは「英文読解・理解」自体をいかに英語でやるか、を主菜に、体の動きを伴ったリズミック音読を副菜に持ってきます。
これまでのDVD映像をすべて手がけてくださってきたジャパンライムの担当者との共同作業ですが、彼ももう還暦を過ぎ、もしかするとこれが彼との最後のお仕事になるかもしれません。おもえば80年代に語研の公開授業をビデオ撮影してもらったころからのお付き合いなので、もう25年以上になります。
当時「若手」だった彼も私も、今や残りのキャリア年数を数えるような年齢になりました。
最後の「共同作業」として、最後の「一花」として、悔いの残らないような、後に続く英語教師の少しでも役に立つ作品を作りたいと思います。
11/21/2016
人間の音声の生の力
10月末から11月にかけて6日間ほど、ドイツで行われた The English Week という催しに参加してきました。これは、Waldorf Schools 別名シュタイナー学校で教える英語教師が集まって合宿し、プロの詩人、役者、ストーリーテラー、道化師、音楽家、そして教師が行うさまざまなワークショップを受ける、というものです。
Waldorf では、芸術的要素というものを、英語教育のなかで非常に重視しています。
私は歌のクラスと、clowning のクラスと、小学生を教えるライムや詩のクラスに参加しました。あまりに内容が濃すぎてまたバラエティに富んでおり、いちどにレポートは不可能ですが、少しずつ書いてみたいと思います。
期間中を通じて強く印象に残ったことのひとつは、プログラムの内容もさることながら、マイクが一度も使用されなかった、ということです。参加者は100余名なのでそこそこの集団なのですが、ホールで行われた全体の講演でも、スピーカーのだれもがみな、肉声でした。
そしてその肉声が、ひとりひとり、すばらしいのです。なんといっても舞台芸術の分野のプロばかりなので、その発声、声質、緩急のつけかた、間の取り方など、こちらがおもわず息を殺して聞き入ってしまうような人たちばかり。
これはたまたまではなく、Waldorf Schools では、自分の口から出た音声を、相手の耳に、さらに心にいかに効果的に届けるかという部分を重視していることと関係しているとのことでした。
自分も大学に移ってからマイクが手放せなくなってしまっていますが、言われてみれば、直接の声と、マイクというデジタル処理を通した声では、伝わるものが違うということは感じられます。
仮にも「ことば」を教える者として、人間の音声、human speech というものの本質、原点をremind されたような気持になる体験でした。
Waldorf では、芸術的要素というものを、英語教育のなかで非常に重視しています。
私は歌のクラスと、clowning のクラスと、小学生を教えるライムや詩のクラスに参加しました。あまりに内容が濃すぎてまたバラエティに富んでおり、いちどにレポートは不可能ですが、少しずつ書いてみたいと思います。
期間中を通じて強く印象に残ったことのひとつは、プログラムの内容もさることながら、マイクが一度も使用されなかった、ということです。参加者は100余名なのでそこそこの集団なのですが、ホールで行われた全体の講演でも、スピーカーのだれもがみな、肉声でした。
そしてその肉声が、ひとりひとり、すばらしいのです。なんといっても舞台芸術の分野のプロばかりなので、その発声、声質、緩急のつけかた、間の取り方など、こちらがおもわず息を殺して聞き入ってしまうような人たちばかり。
これはたまたまではなく、Waldorf Schools では、自分の口から出た音声を、相手の耳に、さらに心にいかに効果的に届けるかという部分を重視していることと関係しているとのことでした。
自分も大学に移ってからマイクが手放せなくなってしまっていますが、言われてみれば、直接の声と、マイクというデジタル処理を通した声では、伝わるものが違うということは感じられます。
仮にも「ことば」を教える者として、人間の音声、human speech というものの本質、原点をremind されたような気持になる体験でした。
11/19/2016
今日の語研の公開授業での不満なところ
1 教師の英語音声がプロソディ面でいまひとつ、1語1語で話しているブツギリイングリッシュで、とつとつとした印象があり、モデルとしてイマイチ。
2 それもそうだし、自分の英語の細部までクリアに聞かせよう、という意識が感じられないし、たぶんない。
3 偏差値72の高校ということで最高レベルの生徒なのだろうが、それにしては教科書のレベルがかなり基礎的。それならばあれだけの1レッスンに5時間も6時間もかけず、1時間で一気に読んだほうが感動がひろがるのでは。
4 テキストは emotional なナラティブ。単なる音読を超えた、朗読、oral interpretation をするにふさわしい題材だが、授業者は、たとえば、地球温暖化にかんする説明文を読んでいるのと同じような、ボー読み。間の工夫もないし、地の文と、セリフを、音声だけで区別できるよう読み分けよう、という意識はそもそもなさそう。もったいない。
5 ああいうストーリーなら、機械的にすべてを音読するのではなく、セリフだけを抜き出して、いきいきと act out する、というような工夫が欲しい。ああいうセリフこそ、うまく、感情を込めて音声化する練習をする価値がある。生徒が聞いているだけで、心を動かされるような、「読み聞かせ」をしてほしい。
6 生徒はそこそこ、あるいはかなり、話す。が、そこそこ、かなり、という程度どまり。それをさらに、非常に、うまく、というレベルにもってゆくには、もっとプロソディをどうしたらいいか、チャンクとチャンクのまとまりをどうしたらよいか、文法や表現をどうしたらよいか、という教師からのアドバイスが不可欠だが、そういうアドバイスはほぼゼロ。
たとえば、生徒が、If Mike weren't killed in Vietnam, ... という、仮定法過去完了をつかうべきところ過去形をつかった時は、「そう、ナイストライだけど、そこでこそ、文法の授業でやった仮定法過去完了の使い所で、正しくは If Mike had not been killed in Vietnam, ... と言えたらよかったね、さあ言ってみよう」というようなフィードバックをする絶好のチャンスだった。(明示的訂正はよくない教の信者であっても、せめてリキャストくらいせよ。)
しかしあくまで意味のやりとりに終始していたため、せっかくああやって英語教師の前で英語を話してみた生徒は、一般人の前で話したのかのごとく、意味のやりとりをしただけで、かんじんの形式にはいっさいの指導を受けられずに授業を終了した。
だから、この1時間の授業を受けたことによって、before / after の向上があったか、というとほぼゼロ。授業開始時の実力が、授業終了時の実力とイコール。たんに、自分の英語を話してみる機会があった、というだけの、場数を踏んだ回数が1回増えた、というだけ。
7 last but not least, 「解説者」(学生向けの部屋ではないです。教員向けの部屋のです。学生向けの解説は必要です。私が聞いていた部屋の学生向け解説は丁寧で、かつバランスがとれており、見習いたいと思いました。)の「解説」が鬱陶しい 。そもそも語研の公開授業とは、会員に対して100%の示範するための授業なのか、それとも、こうベストをつくしてみましたがどうでしょうか、もっとよくするにはどうしたら良いでしょうか、と問いかけるための授業なのかどっち。いずれにしてもひとつ高い立場で横に座っているならば、この授業にはこういういい点はあるが、こういう点が足らないからもっと頑張るべきだ、という「指導」をするのが仕事ではないのか。自分の子分?に飛んでくる矢を払ってやる、あるいは飛んでこないために予防をする露払いのような庇護者なのか。
そもそもなんでプログラムの公開授業のところで、司会・解説者の名前が、授業者より上にあるのだろうか。保護者か。
来年からは、teacher talk ならぬ 解説者トークを大幅に縮小して、そのぶん、フロアと授業者本人の実質的な議論を深めることを、一会員として希望する。
2 それもそうだし、自分の英語の細部までクリアに聞かせよう、という意識が感じられないし、たぶんない。
3 偏差値72の高校ということで最高レベルの生徒なのだろうが、それにしては教科書のレベルがかなり基礎的。それならばあれだけの1レッスンに5時間も6時間もかけず、1時間で一気に読んだほうが感動がひろがるのでは。
4 テキストは emotional なナラティブ。単なる音読を超えた、朗読、oral interpretation をするにふさわしい題材だが、授業者は、たとえば、地球温暖化にかんする説明文を読んでいるのと同じような、ボー読み。間の工夫もないし、地の文と、セリフを、音声だけで区別できるよう読み分けよう、という意識はそもそもなさそう。もったいない。
5 ああいうストーリーなら、機械的にすべてを音読するのではなく、セリフだけを抜き出して、いきいきと act out する、というような工夫が欲しい。ああいうセリフこそ、うまく、感情を込めて音声化する練習をする価値がある。生徒が聞いているだけで、心を動かされるような、「読み聞かせ」をしてほしい。
6 生徒はそこそこ、あるいはかなり、話す。が、そこそこ、かなり、という程度どまり。それをさらに、非常に、うまく、というレベルにもってゆくには、もっとプロソディをどうしたらいいか、チャンクとチャンクのまとまりをどうしたらよいか、文法や表現をどうしたらよいか、という教師からのアドバイスが不可欠だが、そういうアドバイスはほぼゼロ。
たとえば、生徒が、If Mike weren't killed in Vietnam, ... という、仮定法過去完了をつかうべきところ過去形をつかった時は、「そう、ナイストライだけど、そこでこそ、文法の授業でやった仮定法過去完了の使い所で、正しくは If Mike had not been killed in Vietnam, ... と言えたらよかったね、さあ言ってみよう」というようなフィードバックをする絶好のチャンスだった。(明示的訂正はよくない教の信者であっても、せめてリキャストくらいせよ。)
しかしあくまで意味のやりとりに終始していたため、せっかくああやって英語教師の前で英語を話してみた生徒は、一般人の前で話したのかのごとく、意味のやりとりをしただけで、かんじんの形式にはいっさいの指導を受けられずに授業を終了した。
だから、この1時間の授業を受けたことによって、before / after の向上があったか、というとほぼゼロ。授業開始時の実力が、授業終了時の実力とイコール。たんに、自分の英語を話してみる機会があった、というだけの、場数を踏んだ回数が1回増えた、というだけ。
7 last but not least, 「解説者」(学生向けの部屋ではないです。教員向けの部屋のです。学生向けの解説は必要です。私が聞いていた部屋の学生向け解説は丁寧で、かつバランスがとれており、見習いたいと思いました。)の「解説」が鬱陶しい 。そもそも語研の公開授業とは、会員に対して100%の示範するための授業なのか、それとも、こうベストをつくしてみましたがどうでしょうか、もっとよくするにはどうしたら良いでしょうか、と問いかけるための授業なのかどっち。いずれにしてもひとつ高い立場で横に座っているならば、この授業にはこういういい点はあるが、こういう点が足らないからもっと頑張るべきだ、という「指導」をするのが仕事ではないのか。自分の子分?に飛んでくる矢を払ってやる、あるいは飛んでこないために予防をする露払いのような庇護者なのか。
そもそもなんでプログラムの公開授業のところで、司会・解説者の名前が、授業者より上にあるのだろうか。保護者か。
来年からは、teacher talk ならぬ 解説者トークを大幅に縮小して、そのぶん、フロアと授業者本人の実質的な議論を深めることを、一会員として希望する。
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