教育実習生が帰ってきて、事後指導というのをやっている。
教育実習生は実習先はもちろん、「教員になります」と言うが、全員が全員すぐ教員採用試験をうけて教員になるわけでは、もちろん、ない。いつの世もそうだった。
それは仕方ないことだ。教員になりたいと思う、それだけの力がある学生のすべてが教員採用試験に受かるわけではもちろんないからだ。
これだけの学生、あるいは卒業生がなぜ、とおもうほど、教員採用試験は通るのがむつかしい場合があり、その反面、そういうむつかしい教員採用試験に近年通ったはずの、新人英語教師の英語が、あるいは英語の教え方が、なんじゃこれ?というのはまったくめずらしくない。
しかし、もろもろの理由、事情で、すぐには教員採用試験を受けなくても、いつかは教員になりたい(かも)と思っている学生、きっといい教員になるだろうな、と思える学生は多い。
そういう学生の一人ときょう、面談した。
教育実習ではグルグルもちゃんとやり、大きな成果を上げ、実習校の先生方の間にもグルグルが始まるきっかけになった、という。
すばらしいね。
いままで教えたことをきちんと生かしてくれたこともとてもうれしい。
とりあえずは別の分野に就職することになるとのことだが、きっといつか、教職につくのじゃないかな。
モノを売る醍醐味とはまったく違う醍醐味が、ヒトを育てるという営みにはあるし、君が教員になれば、その一人分、日本の英語教育は良くなる。
とりあえずは資格試験に向けて、がんばれ!
発音ザムライ、ジャパリッシュ英語教師を斬る! 寄るな触るな、触れなば斬らん! 斬り捨て御免で御意見無用! (Part of the Caption by Courtesy of Madame Satoh)
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7/14/2016
外国語でやる授業を増やし、外部テストを使用したほうがいいのだ、と誰がいつ決めたのか
大学というところはかなりの部分を国からの補助金に助けられて「生計」を立てている。
その補助金をえさに国は大学に、さまざまな要望を押し付けてくるのだが、そのやり方は、まさに
下衆の極み
だ。
毎年、お上から質問紙が来てそれに回答させられる。
たとえば
◆あなたの大学は、TOEICや英検などの外部テストを、英語の授業の評価に取り入れていますか?
A. 全学部でやっています → 10点
B. 一部の学部でやっています → 5点
C. まったくやっていません → 0点
とか、
◆あなたの大学では、外国語で(コンテンツ科目を)教えるための方法に関するFDを、この1年以内にやりましたか?
A. やりました → 10点
B. やっていません → 0点
みたいな一方的で単純な質問項目が数十もあって、これに回答させられ、その回答に対応した「合計獲得点数」によって、なんと!補助金の額が決められるのだ。
しかし、外部テストを授業の評価に取り入れているほうが、取り入れていないよりも無条件にエライのだ、などといつどこで誰がどういう根拠にもとづいて、決めたのだ?
(コースの内容に照らしてより妥当な自作テストをするほうがいいのではないのか?)
あらゆる学問分野のあらゆる科目において、外国語(たぶんメインは英語)で教えたほうが、日本語で教えるよりも無条件にベターなのだ、などといつどこで誰がどういう資格でどういう科学的根拠にもとづいて、決めたのだ?
(母語で大学教育までまかなえることのガラパゴス的幸運は大きいのではないのか?)
くそ腹立たしい。
(ほとんどの大学人はみな、こういうアンケートに憤り、また嘲笑していると思う。しかし背に腹はかえられないので、理不尽だと思いながら、何らかの方法で点数があがるような方向に工夫をして回答をしているのだと思う。たぶん。)
補助金のもとは我々が払っている税金である。
こういう一方的で恣意的な使い方は許せん。
もちろん個人的には、外部テストも使い道によってはいいと思うし、英語で教えてみるコンテンツを増やしてみるのも必要だとは思う。少なくとも英語教育者はもろもろの集まりにおける公用語を英語にすべきだ、という限定的英語公用語論を、自分でもささやかながら展開したこともある。
しかし、一長一短あるようなふたつのオプション関して、あたかも、その片方が他方より無条件でベターであることが所与であり、自明であり、万人が認めているかのごとき前提にもとづく質問紙調査と補助金の連動は、許せない。
責任者、出てこいや!(高田風に)
その補助金をえさに国は大学に、さまざまな要望を押し付けてくるのだが、そのやり方は、まさに
下衆の極み
だ。
毎年、お上から質問紙が来てそれに回答させられる。
たとえば
◆あなたの大学は、TOEICや英検などの外部テストを、英語の授業の評価に取り入れていますか?
A. 全学部でやっています → 10点
B. 一部の学部でやっています → 5点
C. まったくやっていません → 0点
とか、
◆あなたの大学では、外国語で(コンテンツ科目を)教えるための方法に関するFDを、この1年以内にやりましたか?
A. やりました → 10点
B. やっていません → 0点
みたいな一方的で単純な質問項目が数十もあって、これに回答させられ、その回答に対応した「合計獲得点数」によって、なんと!補助金の額が決められるのだ。
しかし、外部テストを授業の評価に取り入れているほうが、取り入れていないよりも無条件にエライのだ、などといつどこで誰がどういう根拠にもとづいて、決めたのだ?
(コースの内容に照らしてより妥当な自作テストをするほうがいいのではないのか?)
あらゆる学問分野のあらゆる科目において、外国語(たぶんメインは英語)で教えたほうが、日本語で教えるよりも無条件にベターなのだ、などといつどこで誰がどういう資格でどういう科学的根拠にもとづいて、決めたのだ?
(母語で大学教育までまかなえることのガラパゴス的幸運は大きいのではないのか?)
くそ腹立たしい。
(ほとんどの大学人はみな、こういうアンケートに憤り、また嘲笑していると思う。しかし背に腹はかえられないので、理不尽だと思いながら、何らかの方法で点数があがるような方向に工夫をして回答をしているのだと思う。たぶん。)
補助金のもとは我々が払っている税金である。
こういう一方的で恣意的な使い方は許せん。
もちろん個人的には、外部テストも使い道によってはいいと思うし、英語で教えてみるコンテンツを増やしてみるのも必要だとは思う。少なくとも英語教育者はもろもろの集まりにおける公用語を英語にすべきだ、という限定的英語公用語論を、自分でもささやかながら展開したこともある。
しかし、一長一短あるようなふたつのオプション関して、あたかも、その片方が他方より無条件でベターであることが所与であり、自明であり、万人が認めているかのごとき前提にもとづく質問紙調査と補助金の連動は、許せない。
責任者、出てこいや!(高田風に)
7/13/2016
発音のカタカナ表記の難しさ:テイ か ティ か
NHKのエイエイGo テキストに、「アブクド読み発音道場」というのを書かせてもらっていますが、そのなかでは発音記号はもちろん使わず、カタカナを用いて音声のイメージを掴んでもらうよう努めています。
最近、原稿で問題になったことがありました。
a, e, i, o, u の母音字には長い読み方もあるよ(文字の名前と同じ読み方もあるよ)ということで、
take, Pete, kite, note, cute などの母音字の読み方を導入する号なのですが、
まずひとつひとつの文字は、
エイ、ではなく、エィ
アイ、ではなく、アィ
のように、最初のエ、ア、を強く発音してから滑らかに ィ に移ります、と書きました。
そして、実際の単語の表記をするのですが、
take は、 t + a + k + ( ) なので、 トゥ + エイ + クッ = テイk
です、と表記していたところ、編集のチェックをしてくださる方から、
「左のページで エィ なのに、右のページで エイ となっているのは混乱します!」
と物言いが。
つまり、説明のときに イ を小さく書いているのに、単語になると イが大きい、ということです。
むむ。それは自分としては織り込み済みでありました。
つまり、a の読み方として、エィ としている分には、誤解もないのですが、最初のエが強いことが伝わりやすいのですが
take を ティk
としてしまうと
そう、tick のようにも見えてしまうので、NGだと考え、テイk にしていたわけです。
実際、最近の流行りことばの、持続可能な sustainable というのは、サステイナブル ですが、どうも、サスティナブル と書かれることも結構あるようで、そこから、「ティ」という発音だと思い込んでしまっている人も多いようです。
(ちゃんと英語のスペリングを読めばそんなことはあり得ないのはスグわかるんですがね。。)
実際、少し前、自宅近くの カフェで、オーナーが得意げに、うちの店は有機栽培の野菜だけを使っていて云々、「サス「ティ」ナブル」というのは持続可能なという意味で云々。。。と始めたので思わず、「ティ」じゃなくて「テイ」ですが。。と言ってしまった、ことがありました。
で、エイエイGOの連載で結局どういう表記に落ち着いたのか、はどうぞ書店をお手にとってご覧ください。
最近、原稿で問題になったことがありました。
a, e, i, o, u の母音字には長い読み方もあるよ(文字の名前と同じ読み方もあるよ)ということで、
take, Pete, kite, note, cute などの母音字の読み方を導入する号なのですが、
まずひとつひとつの文字は、
エイ、ではなく、エィ
アイ、ではなく、アィ
のように、最初のエ、ア、を強く発音してから滑らかに ィ に移ります、と書きました。
そして、実際の単語の表記をするのですが、
take は、 t + a + k + ( ) なので、 トゥ + エイ + クッ = テイk
です、と表記していたところ、編集のチェックをしてくださる方から、
「左のページで エィ なのに、右のページで エイ となっているのは混乱します!」
と物言いが。
つまり、説明のときに イ を小さく書いているのに、単語になると イが大きい、ということです。
むむ。それは自分としては織り込み済みでありました。
つまり、a の読み方として、エィ としている分には、誤解もないのですが、最初のエが強いことが伝わりやすいのですが
take を ティk
としてしまうと
そう、tick のようにも見えてしまうので、NGだと考え、テイk にしていたわけです。
実際、最近の流行りことばの、持続可能な sustainable というのは、サステイナブル ですが、どうも、サスティナブル と書かれることも結構あるようで、そこから、「ティ」という発音だと思い込んでしまっている人も多いようです。
(ちゃんと英語のスペリングを読めばそんなことはあり得ないのはスグわかるんですがね。。)
実際、少し前、自宅近くの カフェで、オーナーが得意げに、うちの店は有機栽培の野菜だけを使っていて云々、「サス「ティ」ナブル」というのは持続可能なという意味で云々。。。と始めたので思わず、「ティ」じゃなくて「テイ」ですが。。と言ってしまった、ことがありました。
で、エイエイGOの連載で結局どういう表記に落ち着いたのか、はどうぞ書店をお手にとってご覧ください。
6/26/2016
reflesh しましょう
青森にリフレッシュ村というのがあるらしい。そのリフレッシュ村の関係者にはきっと罪はないのだろうが、その近隣の交通標識のすくなくともひとつが、
→ Reflesh 村
となっていることを、一瞬だけ映ったテレビ画面で確認してしまった。
なんだか恐ろし気な村である、人の肉をはいで剥製でも作っているのだろうか、などという妄想が一瞬だけ浮かんだ。
普通の人からもこういうミスがなくなるのが、われわれの目標であると思う。
→ Reflesh 村
となっていることを、一瞬だけ映ったテレビ画面で確認してしまった。
なんだか恐ろし気な村である、人の肉をはいで剥製でも作っているのだろうか、などという妄想が一瞬だけ浮かんだ。
普通の人からもこういうミスがなくなるのが、われわれの目標であると思う。
6/20/2016
「弱形など教える必要はない」
今読んでいる LFC に基づく発音本に、上のような考えが述べられている箇所に出くわした。
Teaching the Pronunciation of English as a Lingua Franca
Robin Walker
教えられない (unteachable) だし、LFC intelligibility を損なうから、という。
そういえば、結論としては若林先生も同じようなことをおっしゃっていた。
若林先生がそうおっしゃっていた理由は、確か、「すべての音をきちんと発音する、ということを習得するのが、基礎段階ではたいせつだ」といったことだったと記憶する。
若林先生のおっしゃる、ひとつひとつの音をきちんと発音させるのがまず大切だ、というのはまったくその通りだとおもう。
しかし日本人英語のプロソディが多くの場合、ターゲットとかけ離れることの大きな原因として、reduced vowelの不使用があるので、母音が伸び縮みしたり、顔色がかわったりするという現象は、早くから慣れさせたい、と今は思っている。
きちんと教えれば決して unteachable ではないし、必ず弱形を多用する母語話者を聞くときにも、自分でもそのような発音をしていたほうが、当然聞き取りやすい。
母音の音価をストレスによって変えるスキルは最重要 teaching points のひとつだと思う。
Teaching the Pronunciation of English as a Lingua Franca
Robin Walker
教えられない (unteachable) だし、LFC intelligibility を損なうから、という。
そういえば、結論としては若林先生も同じようなことをおっしゃっていた。
若林先生がそうおっしゃっていた理由は、確か、「すべての音をきちんと発音する、ということを習得するのが、基礎段階ではたいせつだ」といったことだったと記憶する。
若林先生のおっしゃる、ひとつひとつの音をきちんと発音させるのがまず大切だ、というのはまったくその通りだとおもう。
しかし日本人英語のプロソディが多くの場合、ターゲットとかけ離れることの大きな原因として、reduced vowelの不使用があるので、母音が伸び縮みしたり、顔色がかわったりするという現象は、早くから慣れさせたい、と今は思っている。
きちんと教えれば決して unteachable ではないし、必ず弱形を多用する母語話者を聞くときにも、自分でもそのような発音をしていたほうが、当然聞き取りやすい。
母音の音価をストレスによって変えるスキルは最重要 teaching points のひとつだと思う。
6/19/2016
猿にはできない授業を
電子黒板を操作するのはたぶん猿にもできる。
単に電子黒板の本文のボタンを押して、本文のモデル音声を流すだけなら、たぶん猿にもできる。
猿にはできないコーチングをするために、人間の教員はいる。
生徒がリピートした音声を聞いて、それをどうするか、が人間の教員の勝負なのだ。
単に電子黒板の本文のボタンを押して、本文のモデル音声を流すだけなら、たぶん猿にもできる。
生徒がリピートした音声を聞いて、それをどうするか、が人間の教員の勝負なのだ。
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