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10/06/2012

授業にテーマなんか要らない

中学に勤める友人と話していて、そうだよな~、という話になったのが、研究授業などの、テーマというやつ。

その友人は、研究授業などの教案に、◯◯の☓☓を伸ばすための△△の工夫する授業、などという美辞麗句を書くことが「しんどい」と。

英語の授業なんだから、教材にかかわらず、単語を教えて、練習させて、意味をわからせて、音読させて、read and look up させて、ペアワークさせて、自分のことを言わせて etc の、あたりまえのことをあたりまえにやるだけなので、いちいち、内容のないようなテーマを書くのが気恥ずかしい、と。

ほんとうにそうでしょ。

ちょっと違うけれど、SELHiで、学校ごとに独自のテーマを設定していろいろやる、というのもおかしな話だと思っていた。他の学校でやらない独自のことをやる必要はないでしょ。

生徒にとってもっとも良い英語教育を追求した結果、隣の学校と同じ実践に行き着いた、というので全然問題ないでしょ。

独自のことをやろう、というのは気持ちが間違っている。

生徒にとってベストのことをやろう、のはず。

教案書く暇があったら

教材観だの生徒観だの指導要領とのからみだの、時間をかけて教案を書いている暇があったら、その日の教材を完璧に音読して暗唱して授業に臨めるトレーニングに当てたほうがいい。

教案には、その日扱うテキストと、おおまかな流れの箇条書き(と、自分が言う英語、オーラルインタラクションの英語)があればそれで必要かつ十分。

英語の授業なんだから、その日のテキストが理解できて音声化できて、できれば出てきた表現をつかって何か言ったり書いたりできるようにする、のに決まっているのだから、目標だのなんだの改めて書く必要はないです。

御託は要りません。

頭から降らせた!

あるところに、学生の恨みをかっている教員がいた。学生に対する厳しい言動が彼らをして、いつかあいつを懲らしめてやろう、という怨念につながった。

学生たちはあるところに一斗缶を設置し、そこにみんなで大便をためこんだ。

件の教員は朝、学生指導をするために、玄関で仁王立ちになって、学生を待ち構えるという行動パタンがあった。

ある日、彼がひとりで、いつものように玄関に立って学生を待ち構えていたその瞬間、頭の上から大量の人糞がドバドバ!!

この事件のあともその教師は学生に対する接し方を変えることはなかった、という。

教師も学生もどっちもあっぱれ、スゴイではないか。

まるで夏目漱石の「坊っちゃん」の世界である。



「きれいな研究」がしたいって。。。

キレイな研究がしたいんです、と言った英語教育研究者がいたそうな。

教室での生徒との生身の「格闘」を捨象した「キレイな」研究が、世の中に役立たないことは間違いない。

浮世離れした連中が跋扈するこの業界。

浮世離れした研究を追求するのは個人の自由だが、そういう人達が現実の教室を抱える中高の教員を「導こう」とするのは驕りだし、ミスリードにつながるし、逆にそれをありがたがる中高教員が多いのは彼らの自信の無さ、能力のなさの証であって悲しいことである。

10/05/2012

怒鳴る大学教師

きょうは授業で学生を怒鳴りあげた。

お前ら、バカか! そんな自分の時間を無駄にするようなことをしてどうする!!!! と。

そういうノリの大学教員は普通はいない。人種が違うのだ、と思う。

私は、教えて授ける教授よりも、教えて諭す教諭でありたい。

そういえば昔の教え子が言っていた:

「『先生』と『教授』の違いがわかりました! 先生は教授になれますが、教授は先生にはなれません。」

Can do Can do とキャンキャン言うな

CEFR との絡みで、猫も杓子も Can Do Can Do....

何の役に立つでしょう。

当たり前の授業を、当たり前に行うことのほうが、ずっと大切です。

10/02/2012

ICT がくだらない、のはコンテント科目ではないからだ。

ICTくだらん、と言ったことの補足。

社会科とか理科はコンテント科目だ。だから、世界遺産に指定されている建造物とか、珍しい生物の実態とかを映像で見せることができれば、それこそ百聞は一見にしかず、で、効果は絶大である。だからそういう科目には ICT の発達は福音である。

しかしわが英語科はそうではない。世界遺産に指定されている建造物の様子が non-verbally に分かっても、それだけでは何の意味もない。その建造物の様子を、コトバで、verbally に表現できるようになって、あるいは理解できるようになって、初めて価値がでる。

その当たり前のことを理解していない英語教員が多いのだと思う。教科書のテキストで扱っている題材自体のビジュアルイメージを提示して、生徒に「おお!なるほど!!」と思わせること自体が英語授業として価値がある、と勘違いしているのだ。

ビジュアルイメージはあるに越したことはないが、最終的に生徒の頭に残るのがその non-verbal content だけではまったく意味がない。ICT を使うなら、英語自体が頭に残る使い方をせねば。