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2/26/2011

私の英語学習歴

大した学習歴はないのですが、せっかくなので「『英語教育ブログ』みんなで書けば怖くない!企画」にあわせて、以前書いた文章をポストします。【みんなで英語教育】


英語入門
英語との最初の出会いは、小学校5年で買ったその名も『英語入門』(旺文社 昭和43年)である。英語という未知の言語に対する憧れを抱いてむさぼるように読み進んだ。しかし紙の上の記述のみから学び取れるものには当然限界はあった。appleの発音は「アプる」と表記してあったのでかなり思い違いをしており、後で実際の音節主音としての側音を聞いて驚いた。
ちなみにこの本の著者は小川芳男先生。もちろん使っていた当時は小川先生がどれほどスゴイ人であるかなど知る由もなかった。後年東京外国語大学に進学して若林俊輔先生に師事していた頃、実家に帰って何気なくこの本をのはしがきを見て「本書の改定にあたって若林俊輔先生の熱心な協力を得ました」との一文を発見し、自分の師匠の師匠の書いた本であったか、と感激した。

星野英語塾
小学校6年から、大学を定年退官された星野先生という方がやっておられた塾に通い始めた。これは小学生用の塾ではなく、中学生用の塾で中学1年生に混じって勉強させてもらったのである。小6の時には中1に混じって、自分が中1になると中2に混じって、というふうに常に「1年先取り」の形でやることになった。
四畳半ほどの先生の書斎に6~7人の生徒がぎゅう詰めになって勉強する小規模な塾だった。先生はリクライニングチェアを使われ、その他にはソファが3~4人分程度あるだけだった。だからソファに座るのはその日早く来たものの特権で、その遅く来た生徒は畳にじかに座り、なにか書くときはノートを畳に置いて屈みこんで、という状態であった。壁は天井まで書架で、びっしりとペーパーバックが並んでいたのを憶えている。
星野先生は「習うより慣れろ」の方針だったのか、学習作業はきわめて質実剛健なものだった。教材は学校の授業で使っている教科書で、やるのは音読と和文英訳のふたつのみ。当時はまだ分からなかったが、いま思えば先生は発音に関して「タダモノ」ではなかったと思う。当時どうしても"blue"の発音に合格がもらえなかった。何度発音しても先生は首をかしげてしまう。今思えば原因は思い当たる。両唇閉鎖音と側音で形成する子音連結は結構曲者なのだ(たとえばplayが発音できていない英語教師は多い)。
和文英訳のほうも徹底していた。その時学校でやっている教科書のパートを構成する文を多少変えた文の和訳を先生がおっしゃる。それを英語に直してノートに書き、出来た者から先生のところに持ってゆく。答えが合っていればマルをくださるが、間違っていると「う~ん」とうなるだけ。自分の席に戻り教科書本文を見返したりしながら書き直すことになる。マルをもらった者が半数くらいになると、先生は(答えを明かすことなく)次の問題を出す。このサイクルが延々と続くので、遅れずについてゆこうと必死になった。
このようにして、教科書本文を音読し、本文を多少応用した程度の英文を大量にノートに書きつけてゆく、という作業をひたすら繰り返すなかで、私の中に英語の(語順)感覚とでもいうものが徐々に形成されていったような気がする。星野英語塾で培われた「習うより慣れろ」感覚はその後の私の英語学習の基調になり、中学でも高校でも、文法用語を用いた解説は基本的に肌が受け付けないような感覚になっていた。「ごちゃごちゃ言わなくても、読めば意味が分かるのだからいいじゃないか」という感じである。

キャノンリピートコーダー
中学生時代に一生懸命になったもうひとつはEnglish Repeat English というカセット英会話教材である。これはキヤノンから出ていたという珍しいものだ。初級、中級、上級の3セットもので、全36週構成。各セットはスクリプトを載せたtape book、解説のためのcourse book、書いて確認するためのworkbookとカセットから構成されていた。「山口さん一家」が英国に滞在することになるという設定で物語が展開してゆく。1レッスンは30~40分ほどで、ダイアログと関連のパタンプラクティスと発音練習で構成されていた。
この教材はキャノン特製の「リピートコーダーL」を使用するものだった。リピートコーダーはその名のとおりモデルの後についての反復練習を徹底的に繰り返すために開発されたもので、通常のカセット(「マスターカセット」)の横に小さな「リピートカセット」用のスロットがある。マスターカセットを再生しながら指定された箇所で「リピートボタン」を押すとリピートカセットの再生が始まる。リピートカセットには今ボタンを押した時点から6秒(あるいは10秒、あるいは30秒)さかのぼった時点までのマスターカセットの音声が切り取られ、ストップを押すまでエンドレスで再生が繰り返される仕組みになっていた。


   キャノン「リピートコーダーL」 の雄姿


     English Repeat English のBook 1から3まで

この機能を活用し、まず30秒カセットで会話全体をエンドレス再生しながらが完全に聞き取れるようになるまで何度も聞く。この時点では聞くのみ。満足したら、つぎに6秒カセットを使い、会話の1文ごとを切り取り、今度はモデルの後に自分の音声を吹き込んで何度でも聞き比べる。発音やイントネーションが同じだ、と満足したら初めて次の文に移る、という調子で最後まで。次は30秒カセットを使ったパタンプラクティス。まったく間違えずに全部やり切れるまで繰り返す。次にやはり30秒カセットを使ったミニマル・ペア(right/light等)の発音練習で、やはり自分はモデルと同じだ、と思えるようになるまで繰り返した。
このリピートコーダーのシステムは今考えても優れていると思う。オーディオリンガルメソッド全盛の70年代に開発されただけあって、「繰り返し真似して習慣形成する」というポリシーを真正面から打ち出している。自己表現だのコミュニカティブだのと言う前に、やっぱり「マナビ」の基礎は「マネビ」だ、というのはいつの世も変わらないように思う。

**教会の英会話クラス
今思えば無邪気であったが、街で声をかけられた**教の宣教師に誘われ、「無料英会話教室」にしばらく通ったのも中学生の頃である。4~5人の生徒は私以外はみな大人だった。母語話者と話す機会を増やしたかった私は、授業終了後もよく居残っては「先生」と会話をする少年であった。そのあたりが誤解されたのかは不明だが、ある日「映画」を観るかと言われた。映画なら楽しいのでもちろんイエスと返事したところ別室に連れて行かれて見せられたのが「**の世界」。ほどなくして足が遠ざかった。

洋楽LPの真似
やはり中学の頃だが、ロックデュオ、サイモンとガーファンクルのLPが気に入り、学校から帰るといつもかけていた。ポールサイモンのボーカルに合わせて歌うのだが、最終的には「息継ぎのタイミングまで含めてそっくりだ」と自分なりに確信できるまで歌いこんだ。「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」「アイ・アム・ア・ロック」などは今でも歌詞を見ずに歌うことができる。

ラジオ講座
ラジオ講座も活用していた。高校時代は「百万人の英語」を聞いていた。これは曜日ごとに講師が変わる英語学習番組で、鳥飼玖美子先生、J.B.ハリス先生、トミー植松先生などの番組を好んで聴いていた。講師の名前は失念してしまったが、日曜日の英語の歌を教材にした番組も好きだった。

資格試験
英検もよい目標だったので「教本」を買って独習した。中1,中2、中3で、それぞれ4級、3級、2級に合格した。(さすがに1級合格は大学になるまでお預けだったが。)

通信添削での英文和訳
高校時代は、それまでの「実用英語路線」を転換し、何を隠そうZ会の通信添削に力を注いだ。難解な英文を日本文に移し変える作業がそれなりにchallengingでおもしろかったのである。ただ今の私が当時の私を見たら、「時間のもっとうまい使い方がある」と言うかも知れない。

大学でのダブルスクール
大学3年・4年時には、それぞれ通訳ガイド養成所、サイマルアカデミーに通ってサイトラ(sight translation: 原稿を見ながらの同時通訳)やシャドウイングなどの基礎訓練を受けた。

教員になってから
卒業後すぐ都内の中学高校一貫校の専任教員になった。この頃受けたTOEFLスコアは630点台後半。1年目に担当した高2の授業で、本文を英語で説明したところハナから拒絶され挫折を味わった。この頃から、単に「英語で話す」のと「生徒に分かるような英語で話す」の違いをはっきり意識したように思う。
英語教師として大変恵まれていたのは、次の年度から順に、中1、中2、中3、高1と同じ生徒たちを4年続けて持ち上がる機会に恵まれたことである。この状況であれば、目の前の生徒たちにわかる語彙が把握できているので、その範囲内の英語で教科書本文を説明する練習を自然と繰り返すことになった。授業準備としては、ロングマンなどの学習者用英英辞書を活用しながら、新出単語の定義や、教科書本文を別の英語で言い換えたものを行間に書き込んだりしながら、オーラルイントロダクションのスクリプトを考えたりするのが主要な作業だった。教師になって最初の10年間くらいはとにかくオールイングリッシュにこだわっていたので、授業自体が比較的易しい英語で物事を語る訓練になっていたと思う。

留学等
この時点までは留学経験はなかった。「留学」に多少なりとも近づいたのは、教員8年目から2年とひと夏、アメリカの大学院の日本校(コロンビア大学ティーチャーズカレッジ)で学んだ時である。この頃受けたTOEFLは650点台前半。それまで実は1パラグラフを超えた英文を書いた経験は皆無(学部の卒論は日本語。ちなみにテーマは発音指導)だったので、授業で何本もペーパーを出したり、最終的にMA論文を出したりするのは大変よい勉強になった。最初は学術論文特有の表現はまったく知らなかったが、図書館で興味のある分野の論文を毎週2本ずつコピーして帰り、使えそうな表現を抜き出してカードを作るという地道な作業をするうちに、徐々に論文らしきものが書けるようになっていった。
本物の留学というか英語圏に滞在する機会は、その後30代後半で一回、40代半ばで一回得たが、年齢もあり、当地に住んでいたこと自体で英語力が変化したかどうかは疑問である。どこに暮らしているかよりも、国際学会で発表したり、論文を英語で書いたり、英語で講演したりという経験を積むにつれて英語でのプロダクションに不安が少なくなったような気がする。

おわりに
そして現在だが、特に変わったことはしていない。できる限り英字新聞やペーパーバックを読むほかには、ItunesでCNNやNYT(New York Times)のPodcastをダウンロードしてIpodで聞いたり、電子辞書を活用しながら語彙を補強したりしている程度である。講演や発表を必ず英語で行っているのはパブリックスピーキングの訓練になっているとは思うが。

2/25/2011

Girlfriend 授業を受けた高校1年生の感想です

英語の歌は、歌詞の1音節が1音符に対応するように作ってあるので、カタカナ発音の一文字ごとでなく、英語発音の音節ごとに発音しないと歌えない、リズムに乗れない、というメッセージがよく伝わったようです:






学んだこと

・英語にも音節があることを初めて知った。
・英語の歌は日本語の歌と全く違う。英語の歌は心なしか耳に残るのでとても良かった
・洋楽にはリズムと発音が合っているということ。
・英語の歌詞を通じて、繋げて読む場所と方法がよくわかりました。
・thとかrとかlの発音と読み方を気をつける、と英語らしく聞こえて楽しかったです。
・英語の歌って音節に区切って歌ってるんだ。何音節かでリズムが変わる。
・1個1個の単語を発音するのではなくて、続けて発音すること。
・発音する時に音節に意識する。
・日本語の歌は1語で1音が多いが、英語では音節で1音歌う。
・音節を今まであまり気にしたことがありませんでしたが、曲に合わせて英語を発音することによって、音節がよくわかりました。
・音節での区切り方。子音を次の単語の母音と繋げて読む方法。
・洋楽は音節を元に曲を作ること。need aなどの繋がりが大事。
・洋楽を歌った時の気持ちよさ。
・普段の英語と違って歌だと繋げて読んだり、音節が大事だということが分かった。

感想


・今までのOCの時間では音読する時に発音ばかりに気を取られていたけど、発音と同じくらい音節を気にして話すことは大切なんだと思いました。
・座って授業を受けているだけじゃなく、体を動かしたり、歌に乗せて英語を話したので、とても親しみやすかったし、とても楽しい授業でした。
・洋楽を歌えるようになりたいと思いました。
・今回の授業で洋楽にとても興味をもてるようになった。
・以前にもBack Street Boysの曲に興味を持ったが、長続きしなかったので今回の授業は新しい発見だった。
・普段聴いている洋楽も授業を通して見方が変わったと思います。とても面白かったです。
・今まで全然分からなかったアップテンポの英語の曲が、先生のおかげで聞き取れ、多少歌うこともできるようになりました。英語の曲を歌うときは音節に気をつけていきます。
・とっても楽しく65分過ごせました。
・普段の授業ではあまり発音のこととか気にしていなかったし、英語を話す機会も少なかったのでいい経験になりました。Girlfriendの曲も好きになりました。
・あんな速い歌、歌えないって思っていたけど、少し歌えるようになりました。ありがとうございました。
・英語の歌を歌うときに、どの語を強くするのか、というのを意識しました。普段は経験できないことなので、新鮮な気持ちでした。本当にありがとうございました。
・知っている曲だったので楽しかったです。前から洋楽を1曲くらい歌えるようになりたかったので、こういう授業を受けられてよかったです。今度カラオケで歌ってみたいです。
・すごく面白い先生でした。洋楽が好きなので、さらに授業を楽しめた。
・大学が先生のような人ばかりだったら嬉しい。大学へ行くのがさらに楽しみになった。
・again and againのところは面白いことになってました。
・テンポの速い曲だったが分かりやすく教えてくれて、歌えるようになって良かった。
・よくカラオケで歌っていたのでとても楽しかった。先生は他にも歌えますか?
・今まで難しく感じていた洋楽が身近に感じられるいい機会になりました。
・中学から英語をうまく発音できなくて、OCの時間では目立たないようにしている私でも何とかなりそうなところがあってよかったです(全部はさすがに歌えないです)ただ、前に出すのはひどいです。心が砕けそうでした。
・ずっと歌を歌っていて、あまり授業を受けた気がしませんでした。でも流れるように発音するやり方が少し分かったと思うので、自分でも英語の歌を探して歌ってみたいと思います。
・足踏みで音節を表現したのが分かりやすかったです。
・英語の歌が苦手だった原因がわかりました。この授業を機にたくさんの英語の歌を歌ったり、聴いたりしたいと思います。
・今まで英語の歌は歌いたくてもなかなかうまく歌えませんでしたが、音節を考えて歌うだけで簡単に英語っぽく歌えて嬉しかったです。授業も楽しかったです。
・いつもの教科書を使った授業とは全く違った方法だったので、すごく新鮮だったし、考え方や見方が広がりました。私は英語が大好きなので、靜先生の話す1つ1つのアドバイスや知識がとても興味深かったです。機会があれば、また靜先生の授業を受けてみたいと思いました。有難うございました。
・とっても楽しかったです。いつもは長く感じる授業もあっという間に終わってしまいました。なるほど~と思うことがたくさんあり、勉強になりました。ありがとうございました。
・これからはアクセントや発音をより意識して歌おうと思います。
・今後はもっと音節を意識するようにしてスムーズに話せるようにしたいです。
・靜先生の雰囲気は授業を学びたいという意欲を引き出させてくれるので良かった。
・まさか歌を歌うとは思っていなかったけど、すごく楽しかった。先生の教え方も面白くて積極的に参加できた。今日の授業で少し洋楽に興味が出たので、他の洋楽も聴いてみたいと思う。
・先生ユーモアがあるので本とか出したら売れると思います。
・足踏みをしてリズムをとりながらだと、難しい英語の歌も歌うことが出来て感動しました。とっても楽しい講座でした。



2/24/2011

Girlfriend 授業の教員感想アップしました


Girlgriendを歌わせた授業本体の感想です

・生徒が意欲的に活動していてびっくりした。

・内容も楽しめそうなので、英語好きの生徒が増えるキッカケになりそうだと思った。

・単調にならないように、ジェスチャーやグループワークを取り入れたりしていて参考になった。

・65分が短く感じられた。音節の大切さを今後の授業にもつながるようなコメントで締めて、今回の授業の重要性が生徒に伝わったと思います。

・教材がとても魅力的で、自分の授業では使わないものでしたので、とても新鮮でした

・先生の生徒を引っ張っていく姿勢がとても自然で参考になりました。

・笑いあり、一体感ありの授業とても楽しかったです。自分も真似をして授業に取り入れていきたいです。

・授業で歌を取り入れる際の参考にしたいと思います。

三橋美智也や春日八郎のような演歌好きが大好きな私には、とてもこのような歌は歌えません。聴いているだけでもやかましくなります。とにかく、あっけにとられました。 (靜: アハハ!! 自分が心地良いと思う曲を選び、その心地良さ生徒にも味合わせてやろう、というスタンスがいいと思いますよ。自分の授業ですから、いい意味で自分の趣味を押し付けるのが正しいのです。)

・生徒が楽しそうに活動していたのが印象的でした。個人的にも生徒と同じレベルで楽しめた(?)と思います。

・見事な手際で参考にしていきたいです。先生の発音も音楽的センスも素晴らしい。

・最初は本当に出来るのかと思いましたが、皆楽しみながらあっという間に高いハードルを越えてしまいました。

・クラスを動かす術に感動しました。理論に裏付けられた実践と感じました。

・リズム重視で練習すると早いリズムの局も歌えるのだと感動しました。

・身体をつかって(足ぶみetc)、全身でやるのは良いと思いました。もっと練習したかったです。

・生徒たちが素直に指示をよく聞いて、ついてきているのに驚いた。

・新しい歌を取り入れるのには入念な準備が必要だとわかった。

・とても難しい歌を先生の素晴らしいご指導で生徒たちがどんどん歌えるようになり、驚きました。


質疑応答もふくめたの感想です。(多少内容をふくらませて、長文読解で「踊る」方法も実演したりしました。)

・経験豊かな先生のお話を聞くことが出来、刺激を受けました。

・私にとっては目からウロコ的なところがありました。パタパタ音読も試してみたいと思いました。

・歌を1曲導入するだけで、音声・単語・読解などを一緒に勉強できる点に気付けてとても有益だった。

・英語のリズムを身につけさせる大切さを再認識しました。

・靜先生の英文の読み方が見事だと思いました。

・歌詞を読解として使うというアイデアを新年度で取り入れようと思います。

・テキストの料理法をもう少し(具体例etc)見たかった。

・リズムに乗せて体に染み込ませるイメージがとても興味深いものでした。英語は座学ではなく実技科目ですね。

・明日からの授業で使えるヒントをいくつか頂けました。

・準備されている内容が豊富で感激しました。

・歌を使った授業のヒントを聞かせて頂き、参考になりました。『言わせたことは書かせ、書かせたことは言わせる』を実践したいと思います。

・斬新なアイデアをいくつも頂きました。特に入試長文問題+チャンキングは面白かった。

・丁寧に質問に答えて頂き、さらに新しいものを加えて教えて下さいました。



2/23/2011

s が発音できない英語教師

最近、/s/ あるいは /z/ の直後に THが来ると、/s/ /z/ が発音できない教師と教師予備群がかなりいることにきづいた。

What's this?  の "'s"

This is the end. の "is"

his thesis の "his"

心当たりの人は、猛練習あるのみ。

間にポーズをあければ出来るはずなので、その間隔を徐々にみじかくしてゆけば、できるようになる。


授業の手順が大切だと思っていた頃


以前に書いた文章(現代英語教育97年12月号. 「しらける授業をしていた私」 )の中で、教案について書いた箇所「授業の手順が大切だと思っていた頃」を、ここに再掲する:

英語教師になって数年は、授業内の活動の手順というか順番を大変気にしていた。当時おもに勉強していたオーラルアプローチの解説書が、「かくかくしかじかの理由により、活動Aは活動Bの後にこなければならない」などと、"teaching procedure"をたいへん重要視していたためである。まず、Review。次にOral Introduction。そして次にReading for Comprehension...等々。これらにまた細かい下位区分があった。これらの手順を頭に入れておくだけでも、新米教師にとっては大変なことだった。教案というほどのものではないが、おおまかな授業の手順を書いた紙をいつも教室に持って行ったが、授業中、おうおうにしてひとつの活動が終わると「えーと次は何だっけ?」という感じで教卓に置いた教案の紙をのぞき込んでいた。その間当然生徒の顔は見ていない。しかも教案通りに進まないとその日は一日気分が晴れなかった。

 これは生徒にしてみればしらける状況だったろうと思う。なんといってもこの先生は、自分たちにとっていい授業ではなく、先生の考える良い授業をしようとしていたのである。きょう何気なくテレビをつけてみると、医院を舞台にしたホームドラマをやっていた。この医院では患者のカルテの整理等にまだコンピュータを導入せず、手作業でやっている。時流に乗ったコンピュータシステムの導入を説かれて、経営者が一喝する:「あんたが言っていることは医者にとって便利なだけで、患者さんにとってはまったく便利なことじゃない。医者は効率よく診断を済ませて短時間で終わらせるのが便利や。けど患者にしてみたら時間をかけて話を聞いて欲しいのや。患者は医者の不便を望んでいるんや。」

この台詞を「生徒は教師の不便を望んでいるんや」と読み代えれば、機器を使って教師の手間を省く工夫が花盛りのこのご時世に、何とも心に響くではないか。当たり前の話だが、英語授業は本来生徒のためにあるべきで、教師の自己満足、英語教育業界内での自己顕示のためであってはならない。授業手順の話に戻ると、つぎに何をするべきかは生徒の表情が教えてくれる、と思えるようになるまでずいぶんかかった。



歌は少しずつ、きちんと

今日、県立高校への出前授業(高校1年生)で 楽しくAvril のGirlfriend をやったが、それを参観した先生の質問(歌の扱い方)に対する私の回答を聞いて「目からウロコでした」と言われた。、逆に「そんなことが目からウロコなのか」とこっちの目からもウロコが落ちたので、その時言ったことを紹介する。:

1)歌は、一度に全部扱わなくてもいいです。一回の授業で、2行ずつ練習して、1ヶ月かけて一曲歌えるようになる、でもいいじゃない。私は「今月の歌」はそんな感じでやってます。

2)その歌のごく一部だけでもいいです。サビの2行だけが歌えるようになる、でもいいじゃない。CMで流れている部分だけ、とかでもいいじゃない。


ロコモーションの

Everybody's doin' a brand new dance now (C'mon baby do the loco-motion)

I know you'll get to like it If you give it a chance now (C'mon baby do the loco-motion)

だけでも十分でしょ。

ミッキーマウスマーチの、

Who's the leader of the club

That's made for you and me

M-I-C-K-E-Y M-O-U-S-E

だけでも歌えれば生徒はうれしいよ。

3)イイカゲンな発音でなんとなく全部歌うより、きちんとした音で一部を練習したほうがいい。ただ聞かせて「雰囲気作り」なんていうのは限りなく時間の無駄にちかいよ。

4)この歌が生徒にうけるか、なんてことは考える必要なし。古い歌はこれからもずっとどこかで聞くのだから、むしろ教える価値がある。

2/21/2011

スペリングばかり気にするな

先日見た授業の比較級の導入で、-er をつけて比較級をつくるという話のとき、教師は、

「early の比較級は? そう、アーリアー だね。何か気をつけることあったかな? そう、y を i に変えてer だね....」

という説明をしていた。ただし、この時の教師の発音はご多分にもれず、Lが言えてない、

 earRy と、earRier

だった。

つまり、ペーパーテストで減点されないためのスペリング上の注意点ばかりに目が行っていて、肝心の音には本当に無頓着なのである。

「Lの音をきちんとだそうね。」

という注意がなぜできない。(注意する前に教師がまともに発音するほうがもちろん先だが)

earlier  でも earlyer でも音は変わらない。しかし earlier と earrier ではあきらかに違う。

「発音無頓着スペリング過剰執着メンタリティ」から脱却されたし。

Many Japanese EFL teachers care too much about getting the spelling correct and too little about getting the sounds correct.   They need to get their priority straight.

2/20/2011

canはキャンではない

前のポストの can の導入に関して、最も大事であるがほとんど指導されていないこと、ほとんどの教師も知らないことは、肯定文の

I can play the piano.

のような文脈での can は強形の ケァン でなく、弱形の クン だ

ということだ。

I can teach you.  と I can't teach you.

を区別するのは、助動詞の部分が強形で周囲よりも強く発音されるのか、弱形で周囲よりも弱く発音されるかであって、決して t が聞こえるか否かではない。

ooOo  あるいは OoOo

ときこえれば can

oOOo  あるいは OOoo

と聞こえれば can't

だと判断される。

I _____ teach you.

の_____に、単純に キャン、キャンt を入れかえることで、肯定文と否定文ができる、というのが真実なのは、あくまでスペリングだけを考えた場合の話であり、音声面に関しては、ほとんどウソだ。日本人の英語の分かりにくさは、こういうところにもある。

ちなみに、

Yes, I can.

の文脈では can は強形の  ケァン である。





2/19/2011

Please が言えない英語教師

中学の研究授業を2本見た。

どちらも見始めて1分でお里が知れた。

一人目は、please が言えない。prease のような発音だ。thも言えない。thing が sing に聞こえる。

おまけに文法もアヤシイ。冠詞が使えない。

生徒に対する指示で、

Please do the same thing.

というべきところ、

Prease do same sing.

と言っている。

そういうインチキ英語を生徒に聞かせてどうする?

二人目は、play が言えない。prayに近い発音だ。しかもまずいことに、その日のポイントは、can の導入だったので、

I can pRay  XXXX.

をすくなくとも20回は言って、生徒にもリピートさせていた。なお、そのさいの指示は、Repeat after me. でなく、

りpeat aftAR ME.

だった。

かなり、アイタタタ...である。

もちろん、こうして教えられている生徒の英語はもっと下手である。

救いは、両授業者とも、授業後の協議会での私の指摘に納得し、きちんとしよう、という姿勢がみせてくれたことである。きっと次の授業から変わってくるだろう。

この会には、小学校の先生も三分の一参加していて、ひとりから帰り際にこう聞かれた。

「他の研修会では、カタカナ英語でもいい、という指導をされるんですが、それは違うのですね?」

「はい、それは大嘘ですね」

「すると、私たち小学校教員にも、英語指導に際して専門性が求められると考えていいのですね?」

「専門性、とは思いません。小学校の先生も含めて日本人はほぼ全員が最低でも6年間は英語を学校で学んでいるのですから、基本的な発音ができることは専門領域でもなんでもなく、基本のキです。 red, yellow, green ... などいう基本語がきちんと発音できることは、誰にでも必要な、英語学習の最初の一歩です。」

「よくわかりました」

このひとに限らず、ほんとうはきちんとした英語をおしえるべきだ、それができるようになりたい、と思っている小学校教師は多いと思われる。

そういう良心的な芽をつんでいるのはだ~れだ?


2/12/2011

恐るべし、こども英語落語

こども英語落語協会(EETRAC)による、こどもたち(年長~小6)の英語落語発表会を見に行った。と言っても発表会自体は最後の演目の途中からしか見られなかったのだが、終了後に特別に数名のこどもたちに目の前で演じてもらう機会があった。

うまい。

英語が。

個々の音もそうだが、かなり適切な抑揚と焦点化ができている。

それもそのはずで、協会代表の「ガメラさん」が、終了後のお菓子パーティという名前の反省・激励会でこどもたちに言っていたのが、

「まず相手に伝えたいという気持ちがあります。その気持ちを、はい~って、相手に差し出すんです。で、そこにたまたま言葉もあるんです。ことばが先じゃないんです」

という名言。

同じようなことを言う人の中には、ときとして「だから大事なのは、LとかRとかじゃなくて気持ちだよ」という困った方向に行くケースがあるのだが、ガメラさんの協会の場合は逆で、個々の発音も徹底的に指導している。そこが、ちまたの公教育のなかでの児童英語教育とは真逆で、すばらしい部分である。

英語訓練の方法としての英語落語を、英語暗唱、英語スピーチ、英語劇、と比べてみる。

まず、暗唱、スピーチと比べたときの利点は、談話のなかにかならず2名以上がでてきて会話をすることである。また、内容が軽く、やっていても聞いていても楽しい。しかもひとりで2名を演じわける必要があるので、当然、イントネーションとか、声色とか、状況によく表した英語表現方法を訓練せざるをえない。

そして英語劇とくらべたときの利点は、ひとりでできることと、ひとりで何役も演じられることだ。英語劇の指導も過去に関わったことがあるが、英語そのものの指導としてはいろいろな意味で無駄が多い。また悪い意味での「演技」のほうに力点が行ってしまい、肝心のセリフの英語はやたらに早口だったり大声だったり、聞き取りにくい発音だったりしてしまうことが現実には多い。その点、落語は、おなじ「演じる」にしても、演技にしめる言葉の役割がずっと大きい。もちろん座ったままでの動作はあるのだが、それは必要最小限の動きで、しかも英語のセリフに直結した所作になる。そして、きほんてには落ち着いてゆっくり話す、ことが指導される(ようである。すくなくともガメラさんの協会は)。

この「ゆっくり話す」という指導も、ちまたのインチキペラペライングリッシュを追い求める勘違いメソッドと真逆である。

こうしてみると、英語訓練としては暗唱、スピーチ、英語劇のどれよりも優れたメソッドだと言えよう。また話の題材が日本の文化だという点もすばらしいではないか。

ただもちろん、我々の誰もが落語が指導できるのはないので、ふつうの英語教師としては指をくわえてみているしかないのが残念ではあるが。自分に小さなこどもがいたら、是非入門させたいものだ。

まだ2年前に発足したばかりの協会だということだが、このようなこども英語落語なら、ガメラさんの願い通り、日本中に広がって欲しいな、というすがすがしい思いで会場を後にすることができた。


Watching some kids do English rakugo right in front of my eyes, I was convinced that practicing and performing rakugo in English is one of the best methods to develop your ability to convey your thoughts and express your feelings in English.  It was a real eye-opener.







2/11/2011

育て、力のある英語教師

1年間の英語科指導法を受けた学生感想をHPにアップした。

https://sites.google.com/site/zukeshomepage/class/3-su/2010b/g-tefl-b

よくぞそれを感じ取ってくれた、というコメントをいくつかあげると...

@授業をするにあたって重要なのは、いかに良い教材を選ぶのかでなく、いかに巧みに教材を活かすことができるかなのだという事です。良い教材を見つけるよりも、教材を活かせるだけの十分な英語力と教授能力を培う事が最優先なのだと思い知らされました...


@中高と、とても流暢に英語が話せるとは言えない先生ばかりに出会ってきたので、靜先生が掲げる教員像との差に衝撃を受けました。


@lとrの発音の違いもわからず、’the’ を ‘ザ’ と発音しているような自分が免許をもらおうと思っていたと考えると、とても恥ずかしいです。


@まさに、「楽しさは苦しみを超えて」ですね♪


@授業内では、グルグルを何回かやったが、待っている時の緊張感と「マル」がもらえた時の満足感は今でもよく覚えています。グルグルメソッドは本当に効果的だと、前期後期を通して感じました。自分がもし中学や高校の英語教師になったとしたら是非グルグルを実践したいと思います。


@以前までは自分は「教えてもらう側」として自分を捉えていたが、もう自分は「教える側」として自分を捉えていかなければならないと強く感じた授業だった。


@テストが生徒の学習に影響を与えるなど、言われてみれば確かにそうなのですが、今まで意識していなかったものですから、そのことを知ったときは驚きました。たかが小テストといえど侮れませんね。


@毎時間がまさに「格闘」の連続でした。先生と戦い、自分と戦い、時には時間と戦い、その「格闘」を通してしか培われない力を知ることができました。生徒相手に「格闘」するための十分な英語を身につけるよう、精進していきます。




是非、力のある教員に育って欲しい。


Prospective teachers who have realized that being able to make good use of a given teaching material is far more important than complaining about it and looking further WILL grow up to be able teachers.  Any materials can be used to give riveting classes depending on what classroom activities you conduct on them.



授業プランは自分のために立てろ。「教案」など不要。

教案についてのポストに反響が大きいので驚いた。

学習指導要領の文言を入れて書くように指導主事様に指導されることもあるそうな... 純粋に現場の(訂正→公立の中学と高校の)先生方に同情を禁じえない。

誤解ないように書いておくが、教員が自分のなかで授業の段取りのプランを立てておくことはもちろん絶対必要である。

私もいまだに、前もってすべて段取りが頭のなかにできている状態でないと授業には臨めない。自分のためにメモならしておく。

しかし、自分で段取りを考えておくことと、それを「教案」という形式的な文書に手間隙かけてまとめることとはまったく別である。後者はまったく、時間と資源の無駄。

誰のための授業だよ。

「教案」がなければ授業観察ができない人間に、授業の講評、指導助言する資格はない。

(Disclaimer:  以上のコメントは英語の授業に関するもので、他の教科のことは知りませぬ。)

You obviously need to have a teaching procedure ready in your mind or in your own notebook before you start your class.  However, writing up a formal "Teaching Plan" studded with phrases copied from the infamous Course of Study is simply a very silly, frightful, and complete waste of time, energy, and precious natural resources.

2/10/2011

教案なんて読む必要ない

もう10年以上、研究授業とか公開授業を見に行って、教案をもらっても読んだためしがない。

教案を読んでも実際の授業の良し悪しはまったくわからないからだ。教案というのはだいたい内容のない美辞麗句の作文だからだ。

ダメな授業が、教案が悪かったからダメだったためしはない。教案を読んでスンバラシイ授業かと思ったら、オイオイ...という経験は何度もある。

ダメな授業は、100%、教員の英語がダメか、生徒の英語に対する教員の姿勢がダメか、その両方か、の3つしかない。

そしてイイ授業とは、教員の英語がうまく、かつ生徒の英語に対する教員の姿勢がイイ、というケースしかないから。

授業の価値は紙の教案ではなく、ライブの授業の中だけにある。

口で唱える意図がどうの、ではない。授業でやっている行動がすべてだ。授業後の研究協議での授業者からの「今日の授業の意図」の解説もいらない。教師がやった授業は、それがすべてだ。後から言い訳するな。授業時間内のパフォーマンスですべてを語れ。

手順がどうこう、ではない。

極論すれば活動の順番なんか、どうでもいい。

いや、どうでもよくはないが、試行錯誤しているうちに、おのずと適した順番は見えてくる。

また、Aims of this lesson とかも、読んだためしがない。

英語の授業なんだから、英語を練習するのが目的なのに決まっている。単語を練習する。内容を理解する。その表現を覚える。のが目的なのに決まっている。いちいち書くまでもない。

それから、教案を英語で書いて、あとの研究協議をを日本語でやる意味がわからない。

授業に関する協議を英語でやるのがしんどい程度の英語力だから、生徒の英語運用力がつかない。

手順がどうの、意義がどうの、と理屈を日本語でこねる暇があったら、自分の英語スピーキング力をなんとかする努力をしろ。

Teaching plans are not worth writing or reading.  The proof of the pudding is in the eating.  It is not in what the package says.  Likewise, the proof of the class is in what the teacher does.  It is not in what the teaching plan says.


2/09/2011

気持ちのよい授業

2年ぶりくらいに非常に気持ちのよい授業(公立中学1年)を見た。

まず教師の英語がうまい(語末のNと破擦音、のふたつしか問題はない)。人間としての圧力をもって授業する力がある。

生徒の発音がうまい。足らない点はもちろんがあるが、よくよく鍛えられて、かなりうまい。しかも男子まで声をよく出す。

教室の正面には、特大の、

NO PRONUNCIATION NO ENGLISH

のサイン。

手順は完璧である。活動から活動にテンポよく進む。活動の内容もよく練られてすばらしい。

正の字リピーティング、last sentence dictation、カチカチリーディング(クラス全員で教師と一緒にボールペンをカチカチやり続けながら、それに合わせて本文を音読していく)、ペアワーク、グルグル、flip writing と、よい活動ばかりをやっている。

もちろん、ここはこうしたら?という提案はあるが、基本的には、あれだけいい授業は本当にレアだ。

あんな田舎(失礼!)であれほどの授業を受けている生徒たちは幸せである。

I was lucky to have a chance to observe an outstanding class at a public junior high school in a rural area; the teacher speaks good English, students speak English exceptionally good in the Japanese EFL context, the tempo is good enough to keep students always busy; activities are all designed to improve their command of the target language.  Those students are lucky to have her as their teacher.


2/06/2011

できる生徒には教師はいらない

ちょっと前の「全員が起きてる授業って珍しいのか?」に関連して:

とくに高校では、「本人の問題だから」とか言って、授業中に寝てる生徒を放っておく教師がそう珍しくないように思う。

本人の問題でもあるが、その教師の問題でもある。人と人との関わりとして、放置しておいては絶対にいけない根源的な問題ではないだろうか。

だいたいこれだけ教材と情報があふれている世の中で、英語ができる生徒には教師はあまり要らない。放っておいてもどんどん自分で勉強できる。

教師の存在価値は、どちらかというと、やらなくちゃとは思っているがついつい怠けてしまうようなごくフツーのレベルの生徒を、グイグイ引っ張ってやることにこそあるのである。

寝ている生徒を放っておくような教師は、それだけで人間として最低だし、インターネットの英語教材にはマネの出来ない、生身の人間教師としてのじぶんの仕事の最も中核的な部分を行っていないのだ。

High school teachers who keep on talking in class, ignoring some students sleeping with their heads down, are neglecting one of their most important jobs, which is teaching what is and is not permissible as a human being.

2/05/2011

御礼:グルグルDVDのご紹介

ハレイさんが、私のジャパンライムのグルグルDVDを紹介してくださっています。

http://foreignlanguages.blog29.fc2.com/blog-entry-86.html

最後に、「多くの教師がこのDVD見てもっとこのメソードが広まるといいと思います。」

とのお言葉。ありがとうございます。そう言っていただけると大変嬉しいです。

ペアワークよりもグルグルのほうがやり易い、というご指摘はその通りと思います。

ペアになかなかなろうとしないクラスでも、グルグルならば教師と1対1なので、クラスの雰囲気に関係なく、こちらのペースに引きこむことができます。

I thank ハレイ-san for referring to my DVD set in his/her blog.  He/she is right in noting that GGM is a powerful method to activate your class.

2/04/2011

皆が予習して、起きている授業って珍しいの?

今回書いてもらった授業の感想で、一番印象的だったものが次:


"この授業は、今までの小中高の英語の授業と全く違っていました。今までの授業は、英語の勉強をしているのに、日本語に訳していくのみで、ほとんどしゃべっていませんでした。当然ながら発音を直してもらうこともありませんでした。英語を話せるようになりたいと思いつつ、日本語に直すことしかできなかったので、この授業で実用的な英語を学ぶことができてうれしかったです。"

"また、英語の授業に限らず、今までのどんな授業よりも効率の良い授業だと感じました。みんながきちんと予習をし、誰1人寝ない授業を初めて受けました。歌も楽しかったです。後輩たちや、これから学ぶ人にぜひ受けてもらいたい授業です! 1年間ありがとうございました。
"


効率が良いというのは学生でも感じてくれるのだなあ、というのと、「みんなが予習してきて、誰も寝ない授業」というのがそんなに珍しいのか...という複雑な思い。ちなみに、本人に確認したところ、これは、中高大すべてあわせて初めてだ、とのこと。

それって大問題だろう。

I got a mixed feeling when one of my students wrote that mine was the first course in which no participant fails to prepare for each session and no one falls asleep in class. Is that that exceptional?

2/02/2011

「つづり」は「スペル」じゃないだろ

「つづり」の意味で、英語教師までがスペル、スペルと言うのが耳障りでしょうがない。

例:「採点は、スペルが違っても音が合っていれば(以下略)」

spell は動詞だ。

つづりミスは、スペルミスではなくて、スペリングミス (spelling mistake)だ。

スペリングというか、日本人らしく「つづり」というか、どちらかにして、スペル、はやめよう。

A spelling mistake is an error in spelling, not an error in "spell."



『達人マニュアル』書評 御礼

モナリザさんが、『英語テスト作成の達人マニュアル』(大修館)の書評を書いてくださっています。

たぶん学校英語教育そのものには直接関わっていらっしゃらない方の書評だからこそ、ありがたく感じました。

生徒に対するスタンスが「優しい」などと書いてもらうと、なんだか面映い感じです。

Be kind to your students. というのは我が師、若林俊輔先生の言葉そのものでもあったので。

I'm really flattered by Ms. Mona Lisa's comment, in the review of my book Tesuto saksei no tatsujin manyuaru, that I am kind to, and considerate of, Japanese learners of English, or more specifically, students who are forced to take teacher-made tests at school.

2/01/2011

ABCはアルファベットじゃない

A とかBとかCとか、Fとか、ひとつひとつの文字のことを alphabet だと思っている教師がほとんどで困ったものだ。

おまけに文部科学省でつくっている文書の中でさえ、「アルファベット」を、やはりひとつひとつの文字をさして使っているように読める箇所があり、さらに困ったものである。

LDOCE によれば、 alphabet とは、

a set of letters, arranged in a particular order, and used in writing

とある。

よって、

The English alphabet consists of 26 letters.

The Japanese alphabet has 50 letters.


ということなのである。

The first letter in the English alphabet is A.

のように、ひとつひとつの文字は、あたりまえだが、letter である。

Japanese EFL teachers refer to each letter in the alphabet as "an alphabet," which is a mistake.  A is not an alphabet.  B is not an alphabet.  They are the first letter, the second letter in the modern English alphabet, respectively.