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6/19/2012

「発音とかよりコミュニケーション」の意味不明

発音指導は発音だけじゃない、に関連して。

教え子が小学校や中学校に教員として赴任してグルグルなどをやろうとして、まっさきに指導主事や先輩教員から言われるのがこれ:

「発音云々ではなくて、コミュニケーション重視でやるべきだ」

この言説がいかに意味不明で、いかに思考停止の産物であるかは、これを英語に訳そうとしてみるとよくわかる。英語は日本語とちがってきちんと言わないと英語にならないので。

We should care about communication rather than about pronunciation.

おいおい、communication って黙ってやる written communication の話かい? spoken communication であれば pronunciation から無縁でいられるわけがない。

これではそれこそ英語としてナンセンスなので、意味を取って意訳を試みると、

We should try to encourage our students to say fragmented utterances that exclusively consist of Japanese sounds no matter how uneducated or stupid they sound, rather than bothering to learn to speak real English that is used by every bona fide member in the international community.

とでもなるか?

つまりこの文脈で言われる「コミュニケーション」というのは、communication という意味ではなくて、

「どんな音でもいいから気にせず、自分が話しているのは英語だという大きな勘違いに気づかせず、英語に似ているだけのインチキ言語でもなんでもいいから、楽しく、わいわい、音を元気よく口から出すこと。多少まずくても元気にやっていればバンザイという雰囲気で行われる、高度に馬鹿げて罪作りな活動。ちなみにこの活動中は、活動中につかった表現を覚えさせてはならない。覚える、というのと、楽しさは相反するからだ。繰り返しもしてはならない。繰り返しなどという非人間的な行為は、楽しさの対極にあるからだ。」

という意味なのだ。

きちんとした発音こそがスムーズなコミュニケーションの第一歩である、というのは当たり前すぎて改めて力説するのも馬鹿馬鹿しいのだが、「発音とかよりコミュニケーション」などという 意味不明で自家撞着的な言説がこれだけ巷間にまかり通っているのか、考えるだけで胸が悪くなる。