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6/21/2013

日本で英語の授業を英語でやっても英語がうまくならない理由

「英語の授業を英語でやると、生徒の英語力は伸びるのでしょうか。」 いや、これでは答えようがありません。

「日本の状況で、英語の授業を英語でやるだけで、生徒の英語力は伸びるのでしょうか。」これなら答えられます。

答え:伸びません

英語圏に留学して英語の授業を受けると、もちろんまわりはすべて英語です。ほぼまともな英語ですね。自分一人がまともでない英語であっても、まわりがまともな英語である状況では、意識、無意識に強力な「周りに同化したい作用」が生じ、英語がよりうまくなることもあるでしょう。

しかし日本の英語の授業というのは、先生の話す英語はイマイチかイマニ、まわりの生徒の話す英語はイマゴ、イマロク、イマナナ。

「イマ」の内容はいろいろですが、発音が悪い、リズムがおかしい、文法がおかしい、表現がおかしい、おかしくなくても話すのが遅すぎる、語彙の選択がおかしい、なにも問題なくとも発声が悪いとか、姿勢が悪いとか、言い方が暗いとか、イントネーションに気持ちがこもっていない、とか、いろいろ。。。。

とにかく程度の差こそあれ、いろいろ要改善点があるわけです。

言い換えれば、「これを真似ればいい」「これを真似したいなあ」というrole model がほとんどいないわけですよ。

そういう状態で、ただ単に、「プレゼンテーション」させたり「ディスカッション」させたり「ディベート」させたりしても、「させる」だけで何のフィードバックやアドバイスやダメだしをせず、やり直しをさせなければ、同じダメレベルでずっと足踏みしているのと同じで、そのレベルでの足踏みには慣れるかもしれないですが、一歩も前に進みません。

プレゼンテーション結構です。

ディスカッション大いに結構です。

ディベート屁理屈大いに結構です。

「オールイングリッシュ」で格好つけたければそれも結構です。

ただやるならばかならず改善すべき点を指導してください。

最低限、ひとつのプレゼンテーションが終わった時点で、具体的に改善すべき点を指摘して、できれば、その場で、やり直しをさせてください。

(本当は、改善点は、その事象が出現してから間髪をいれず、リアルタイムでやるほうがいいです。)

そうすれば、次のグループのプレゼンテーションに生きるでしょう。

グループ1→グループ2→グループ3→。。。。

と、発表だけ次々にさせるのは、愚の骨頂、つまり無意味中の無意味、時間の無駄中の無駄です。

何の意味もないでしょ。

下手くそな英語を聞いているその他大勢の聴衆の生徒たちには、何の意味もない時間です。ただの苦痛でしょ。

Generally speaking, other students' presentations are not worth listening to.

下手くそな英語を聞いていいても、その直後に先生から、どこがどうダメなのか、どうしなくてはならないのかに関するアドバイスがあるなら、他山の石とするために聞いていればためになります。

Generally speaking, other students' presentations are not worth listening to unless feedback will be given by the teacher on how to better them. (注: betterはここでは動詞)


しかし、何がダメなのか、どういうふうに下手くそなのか、まったく何の指摘もなく、Okay, thank you! で流して次のグループに行く。。。

意味がわからない。

グループ1よりグループ2が、グループ2よりグループ3がうまくならなければ、その時間はまったく意味がないでしょ。

1時間が始まった時点より、終わった時点で、何かが少しでもうまくなっていなければ、その1時間は wasted でしょ。

こんな自明な、単純なことがわからん、できない、(しない??)英語教師が全国にどれだけいるのか、毎日毎日、全国の英語の授業で、どれだけムダな時間が流れているのか、本当は英語がうまくなりたいと思っている生徒たちがどれだけダマされているのか????

と思うと、なんともやりきれない。。

生徒たちは可哀想に。。

2009年の「心技体」でもつきつめれば「フィードバックしろ!」とだけしか言っていないともいえるのですが、どうしてそんな簡単なことができない英語教師がいまだに掃いて捨てるほどいるのか。

ホントウに「履いて捨てて」やりたくなる。