extensive reading は、intensive reading の対義語である、その文字通りの限りにおいては、よい。
インプットを多くするのは当然、重要だ。
スラスラ読めるレベルの題材を、どんどん読むのは(あるいは、読むのも)重要だ。
知らない単語を、時には読み飛ばす勇気も、ストラテジーも必要である。
遅読・精読だけでなく、速読、多読も大切である。もちろん。
しかし、
「辞書はすべて捨てなさい」
「知らない単語は飛ばしなさい」
「知らない単語は、見なかったことにしなさい」
「知らない単語は、推測もしないでください」
Q:ではどうやって語彙を増やすのですか?
「語彙は増やす必要はない」
「言語とは、語彙などではない。感情である。気持ちである。」
「文法など、言語の獲得にはまったく必要ない」
「意味がわからなかった本は捨てなさい。自分には合わなかったのです」
「いまの学校英語教育はすべて間違っていて、教科書もすべて質が低いのです」
「1ページの1行程度の絵本から始めて、ただ読み飛ばすだけで、ほどなくロアルド・ダールが、さらにハリーポッターが読めるようになった中1、80歳の女性がいる」
「80歳の人は記憶力はまったくない。だからこれは言語学習には暗記はまったく必要ないという証拠です」
という迷言オンパレードを真顔で1時間以上にわたってとうとうと力説するとなると、かなりヤバイ。
かなりヤバイので、まともに反駁するにも値しないのだが、自分のかわいい、かわいい学生たちが、そういう与太話に1時間以上にわたって付き合わされているという状況に、どうしても憤りを抑えきれなくなり、場をわきまえない態度で、10年ぶりに噛み付いてしまった。
大人気ない。いや、「大人」気ないどころか、あと5年で還暦なので、「ジジイ」気がない、という状況であった。その意味では自分を恥じている。
しかし改めて考えてみても、
◆語彙の明示的学習と、偶発的学習
◆絵などのビジュアルエイドのある題材と、ない題材の効果
◆感情に訴えるような題材と、事実を伝える説明文である題材の効果の比較
◆文法の演繹的・意識的学習と、帰納的・付随的学習の比較
◆語彙の抵抗がある題材を、語彙を学習しながら読むことと、知らない語彙がない題材を単に楽しく読むことの、コストパフォーマンス、タイムパフォーマンスの比較
などなど、さまざまな比較軸があり、それらの交互作用もあるかもしれないので、本来はそれを切り分けで論じなければならないのだが、それらをすべてごちゃまぜにした、30年間で聞いた中で、もっとも馬鹿げた「講演」であった。
聴衆にもよるが、あの講演はほとんど犯罪ではないだろうか。
いや、講演ではなく、霊感商法か。。。。
(「そういう話は、どこかの新興宗教で聞いたことがあるような気がします」と突っ込んでくれた学生がいたのがせめてもの救い。)