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11/17/2017

「カルタ仕立ての単語ゲーム」を考える

ターゲットの単語の意味を絵などでノンバーバルに表したものを表、スペリングを記したものを裏にしたカードを用意する。4〜5人でグループになり、その真中にそのカードをバラバラに置く。教師が、そのカードのどれかの単語を読み上げ、それを聞いた学習者は読まれたカードをすばやくカルタ的に取り、その獲得数を競う。


比較的よくある活動だが、この活動について少し掘り下げて考察してみたい。

ノンバーバルな表面をつかってこのゲームをするのは問題ない。その単語の音声を聞いて、その音声が表す意味を瞬時に理解し、ノンバーバルイメージを選ぶ、という作業である。音声を意味と結びつける訓練になる。

ではバーバル、つまりスペリング面を上にしてやるとどうなるだろうか。学習者は車座になっているわけだから、当然、カードはバラバラな向きに置かれる。したがって個々の学習者から見ると、カードの文字は様々な方向を向いている。右向き、左向き、斜め、引っくり返し、等々。

つまり学習者は通常と異なる向きの単語を「読む」ことになるのである。しかし本当に「読む」ことができるのだろうか。もちろんできない。一文字一文字を認識して読むのではなく、大まかな文字の形とか、単語全体としてのスペリングのシルエットなどを瞬間的に頭の中で方向転換して認識して、そのカードに手をのばす競争をするのだ。

カルタだから表面的には楽しい。一文字一文字をきちんと認識してそれを瞬時に音声化し、語彙認識できる母語話者であれば、問題はない。しかし問題は、文字認識もまだすばやくできないし、文字をひとつひとつ認識してそれを音声化するという過程が自動化していないどころか、文字をひとつひとつ認識して音声化するという行為自体をしないことの多い、日本人英語学習者の初心者がそれをやって、どういう意味があるのか、ということだ。

考えなしのフラッシュカードの flash行為によって、英語を学習しはじめて何年たっても、大学生になっても、英単語の文字を読むということができない、というか、単語は全体として「〜」という発音なのであるから、辞書を引いたり、先生に教えてもらわないと、知らない単語は自力では読めないと誤解している学習者が作り出されている。

そういう「文字を音声化する能力を育てない」フラッシュカード使用と、まったく同じ発想でなされているのが、この「単語スペリングカルタ」なのではないか、と思う。

皮相的な「楽しさ」を求めるのはほどほどとし、学習者が自力で単語を「読める」ようになるための地道な方策を探し求めることが肝要であろう。