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10/11/2018

シラバスはくだらん

シラバスにああいう文言入れろ、こういう文言いれろ、という圧力が日本中の大学にかかっている。

私の考えでは、シラバスの文言を改善することで授業の内容を改善しようとすることは、指導案を改善することで授業の内容を改善しようとすることと同じくらい馬鹿げている。

両方とも基本的に発想が間違っている。

指導案が良くなかったために良くなかった授業を見たためしがない。指導案に美辞麗句が連なっていてもどうしようもない授業はそこいらじゅうにあるし、フォーマルな指導案などなくても素晴らしい授業はいくらでもある。

シラバスがダメだから学生のためにならない授業がそうそうあるとは思えないし、シラバス文言を変えたからクオリティが上がることは1000%ないと思う。

Trying to improve a course by window-dressing its syllabus is as ridiculous and misguided as trying to better a class by stuffing its teaching plan with beautiful, timely -- so inevitably futile -- phrases.

またシラバス通りに実際に授業が行われているかチェックしよう(チェックさせよう)という動きもあるが、これもまた馬鹿な話である。

実際の学生の反応に応じて変幻自在に自由自在に臨機応変にやるのが授業というものである。人間の教師が授業をやる意味はそこにあるのだ。

それを実際の学生の反応がどうであれ、半年以上も前に書いたプランに固執してそのとおりに進めていれば良くて、プランから離れていれば悪い、などとは愚の骨頂だ。

どうしてそういうくだらない作業に貴重な税金と時間をかけるのかわからん。

お前は馬鹿か〜??(出川哲朗氏風に)