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2/26/2019

あさましきもの(改)

「あさましきもの」のポストの表現に対して、私の敬愛する先輩女子からやんわりとした「おしかり」のメールを頂戴してしまった。あそこに書いたような左巻きの人権派気取りの困ったちゃんは、性別年齢を問わずにいるのであって、「BB」はよろしくないでしょ、と。たしかにその通りであるので、本日メールに気づいたその場(某スキー場の山頂)で雪の上に座り込み、スマホを取り出してさっそく削除させていただいた次第である。

あれは、そういう属性の組み合わせをもった人種は一般的にあさましい、という意味ではなくて、最近かかわった特定の人物についての腹立ちを書いてしまったのであるが、あの書き方では、そういう人種が一般的にあさましい、という読まれ方をするのは当然である。ご気分を害された方々にはお詫びします(._.)。申し訳ありませんでした!

本意は、学生の不満を一方的に取り上げて、やたらとそれはハラスメントだの指導の行き過ぎだのとすぐ声高に騒いで「お上」に訴える傾向のある、おそらく本人は学生の味方を自認している、勘違い「言いつけ」教師は極めて遺憾である、ということでございます。立場を変えてもし自分だったら、お上に「言いつけ」る前に、本人に直接話を聞いてみる、と思われます。大人同士でほぼ対等の力関係だ、という前提ですが。

2/20/2019

とうほうにくれたとうほうはとうほうさつえいじょにとうほうでいく

家人から、「地下鉄の英語アナウンスを聞いていると、都営大江戸ラインが、どう聞いても東映大江戸ライン、としか聞こえないのだが、なぜか?」と質問された。

つまり「とえい」がなぜ「とーえい」になるのか、という質問である。

それは英語には「と」と「とー」の区別がないからである。そもそも英語ネイティブは、「と」と「え」と「い」を対等に、同じような長さと強さで平板に、「とえい」もしくは「とえー」と言うことが、デフォルトではできない。

どうしてもどこかにストレスを置かざるを得ない。そこで一般的には最初の音節の「と」にストレスを置く。

そして英語のストレスの本質は、「高さ」と「長さ」なので、「と」がその後よりも「高く、長く」なるので、この時点で、「と」でなく「と〜」になってしまう。

かくして、「とえい」は「と〜えぃ」となり、「都営」には聞こえなくなってしまうのである。

うちの学部の英語ネイティブにはかなり日本語が達者な人もいるが、それでも彼らが言う「授業」は、やっぱり「じゅ〜ぎょ〜」で、どちらかと言えば、「十行」に聞こえるのである。


  • 樹上と十条
  • 需要と重要と授与
  • 叙情と情状と徐々
  • 徒歩と当方
  • コウゾと小僧と構造
  • 誇示と工事
  • 故郷と皇居と公共と故居


など、本来の日本語では高低アクセントの型が違うペアもあるが、英語ネイテイブにとってはそんな微妙な区別などできるわけもなく、いずれも

じゅうじょう jujo
じゅうよう  juyo
じょうじょう jojo
うほう  toho
うぞう kozo
うじい koji
うきょう  kokyo

となってしまい、区別がつかないのが普通である。これらの区別をつけられる英語ネイテイブの日本語スピーカーは、よっぽどの達人だ。

区別がつくのは文脈があるからで、聞くわれわれはいちいち文脈から推測して、「AのはずはないからBだ」と頭の中で修正しているのだ。できれば、そんな修正をいちいちしなくてもせずに済むほうが、聞き手としては嬉しいのは当然である。

逆教訓:われわれ日本語ネイティブは、英語を話す時、アクセントのある部分を高く、長〜く、言わないと英語らしく聞こえない。詳しくは→『発音の教科書』で!





2/19/2019

初対面でマスクしっぱなしって、アリ?

病院でのカウンターなどならいざしらず、普通に誰かと初めて「会う」時に、マスクをしていて最後まで顔を見せない、というのはいかがなものか。失礼じゃないだろうか。

その時に風邪をひいていて、いままさにアクティブに咳が出ている、といった状況でもない限り、少なくとも一度は自分の顔は「さらした」状態にするのが礼儀ではないだろうか。

マスクをしたまま初対面の挨拶をするのは、黒メガネをしたまま初対面の挨拶をしているのぬ通ずるものがあると、私は感じる。

素性を隠す仮面舞踏会じゃないんだからさ。。。

階段登りと英語の授業 〜苦行を苦行でなくする要因とは?〜

実は今年の新年の目標は「ギックリ腰ゼロ」だ。で、そのためにはいろいろ対策しているのだが、そのひとつに、どこでもエレベーターは使わずに必ず階段を登る、というのがある。

大学の研究室は6Fにあるのだが、2月も中旬を過ぎようかという本日現在、まだ一度もエレベータには乗っていない。6Fまで登るのは結構億劫なのだが、あることを発見した。それは、「同じ階までの段数でも、どの階段を登るかによって気分的な辛さが全然違う」ということだ。

以前は6Fまで登るのに、エレベータ脇の階段を利用していた。これは結構狭く、窓もないという閉塞感いっぱいの階段で、6Fまで登りきる頃には結構足にきた。足にも来たし、心にも来て、日常的に登る気にはとてもならない、という感じだった。

ところが今年になって別の階段を利用するようになった。すると同じ6Fまで登るのに、「え?もう6F着いちゃった?全然、辛くないね」と感じるくらい、エレベータ脇の階段を利用したときと体感がまったく違うのである。足にもそれほど来ないような感じさえある。

どうしてこうまで気分が違うのか考えてみたところ、次のような違いに思い至った。

(1)幅が広く、圧迫感がない。こちらの階段は横幅が2倍以上あって広々している。

(2)1Fから3Fまでは建物の中ではなく外とつながっている妙な構造になっているため、開放感がある。4F以上になるとガラスで密閉はされて外気とは遮断されるが、それでも片側は全面窓なので、閉塞感はゼロだ。1階上がるごとに、外の街の景色が変わり、「こんなに高くまで登ってきたぜ」感が味わえる。



(3)どういうわけか、途中で、階段の材質や色が変わる。1Fのあたりは濃いブラウンのタイルなのだが、そのうちグリーンのリノリウムになる。そのため、「あ、もう半分まできた」「お、もうすぐ5Fだ」といった、自分がどこにいるのかを床の色からも視覚的に感じることができる。



で、これは英語の授業、トレーニングにもあてはまるのだろうな、と思う。同じ苦行をしていても、広々とした開放感があって、段階を追うごとに景色が変わり、自分がどこまで上達したのか感じることができると、全然辛さがちがう、はずだ。

1日に2度は登る気にならない階段(=授業)と、日に3度でも4度でも上り下りしても苦にならない階段(=授業)の差を作り出すのは、教師であるはずだ。「階段上り」を苦痛に感じさせず、結果的に生徒の筋肉を発達させられる教師になりたい。





2/17/2019

『発音の教科書』重版出来!

おかげさまで、

『日本語ネイティブの苦手な英語の音とリズムの作り方がいちばんよくわかる発音の教科書』(テイエス企画)

の重版が決まりました。ありがとうございます。

さらに多くの方に手にとっていただいてお役に立てていただければと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

まだの方は、さあ、この機会に是非どうぞ!


2/16/2019

教職学生と教員親睦スキー&スノボ大会2019

今回は今までで一番の大人数でした。スキー板を初めて履く人からモーグルのプロまでそれぞれの技量に合わせて楽しむことができました。

私自身の体調が史上最悪だったのが悔やまれますが、それでも滑っているときは来てよかった感に満たされました。やっぱりスキー場はいいですね!



これ、決して転倒した瞬間ではありません。長友体幹トレーニングです!

文字の書き方自体を指導することの大切さ:手島良著『これからの英語の文字指導』(研究社)

告白する。私は悪筆だ。なので黒板に字を書くのが嫌で仕方がない。そんなことでは教師失格なのだが、こればかりはどうにも仕方がない。

そしてそれは日本語を書く時だけでなく英語を書く時にもあてはまるのだ。今はほとんど板書しないで済むが、板書をせざるを得なかった中学・高校教師時代の自分の板書の文字は情けなかった。大学に移った今はほとんど板書はしないと言っても、もちろん手書きの機会はある。実習生の授業を観ながらメモした自分の英文字が後から自分で判読できないことがしばしば。。。

英語教師として、また未来の英語教師を育てる立場として、本当はこんなことではいかんなあ、と密かに思いつつ、無意識に、考えたくないことは考えない、という人間の弱さで今日までボーッと生きていた。

そんな私が軽く頭を殴られたような「あ゛〜!そうだったのか〜」という衝撃を受けた本がある。手島良さんの

『これからの英語の文字指導:書きやすく読みやすく』(研究社)

である。



私の手書きする英語が、下手くそでかつ遅いのには、ちゃんとそれなりの理由があったのだ。逆に言うと、私だって、いまからでも下手くそでなくかつ速くかけるようになる方法がある!

たとえば、「縦と横の線がある文字は、横棒→縦棒、ではなく縦棒→横棒という書き順にする」という原則によって、t や f の場合は横棒を後から書くことにより、次の文字にスムーズにつなげられるだけでなく、慌てて書いた時にも他の文字に誤読されることを防げるのだ!

本書には手島先生が教えた生徒が実際に書いてきたマズイ(=自己流の)手書き文字の例が写真で豊富に掲載されている。それらの写真の文字を見れば、英語教師としては誰もが「あるある」感を強く抱くはずだ。私は抱いた。

生徒が書いてくるこういう「変な字体」は何度も目にしたことがあり、aがaに見えないからテストの答案で減点するようなことがあっても、その「変さ」の原因を分析し、「変」でなくするための書き方のアドバイスをシステマティックに与えよう、としたことのある教師は、私を含めてほとんどいないのではないだろうか。

しかし考えてみれば、これだけインターネットが発達し文字入力がPCやスマホのキーボードでなされることが多い時代ではあっても、こと小中高の英語の授業の中(そして授業に関連する授業外の活動:宿題やテストやレポート)では、生徒は英文字を手書きすることのほうが圧倒的に多いわけである。

そしてそのなかで多くの子どもたちは確かに「英語の文字でつまづいている」!(私自身もそういう「つまづき」を抱えたまま大人になり、英語教師にまでなってもうすぐ還暦を迎えるのだ。。。)

35年前にこの『これからの英語の文字指導:書きやすく読みやすく』に出会いたかった。いやいや、Better late than never. とも言う。今この本に出会えたことを感謝し、今日から自分の英文字を直し、明日から英語教員志望の学生たちに、この本を薦めよう。