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2/19/2019

階段登りと英語の授業 〜苦行を苦行でなくする要因とは?〜

実は今年の新年の目標は「ギックリ腰ゼロ」だ。で、そのためにはいろいろ対策しているのだが、そのひとつに、どこでもエレベーターは使わずに必ず階段を登る、というのがある。

大学の研究室は6Fにあるのだが、2月も中旬を過ぎようかという本日現在、まだ一度もエレベータには乗っていない。6Fまで登るのは結構億劫なのだが、あることを発見した。それは、「同じ階までの段数でも、どの階段を登るかによって気分的な辛さが全然違う」ということだ。

以前は6Fまで登るのに、エレベータ脇の階段を利用していた。これは結構狭く、窓もないという閉塞感いっぱいの階段で、6Fまで登りきる頃には結構足にきた。足にも来たし、心にも来て、日常的に登る気にはとてもならない、という感じだった。

ところが今年になって別の階段を利用するようになった。すると同じ6Fまで登るのに、「え?もう6F着いちゃった?全然、辛くないね」と感じるくらい、エレベータ脇の階段を利用したときと体感がまったく違うのである。足にもそれほど来ないような感じさえある。

どうしてこうまで気分が違うのか考えてみたところ、次のような違いに思い至った。

(1)幅が広く、圧迫感がない。こちらの階段は横幅が2倍以上あって広々している。

(2)1Fから3Fまでは建物の中ではなく外とつながっている妙な構造になっているため、開放感がある。4F以上になるとガラスで密閉はされて外気とは遮断されるが、それでも片側は全面窓なので、閉塞感はゼロだ。1階上がるごとに、外の街の景色が変わり、「こんなに高くまで登ってきたぜ」感が味わえる。



(3)どういうわけか、途中で、階段の材質や色が変わる。1Fのあたりは濃いブラウンのタイルなのだが、そのうちグリーンのリノリウムになる。そのため、「あ、もう半分まできた」「お、もうすぐ5Fだ」といった、自分がどこにいるのかを床の色からも視覚的に感じることができる。



で、これは英語の授業、トレーニングにもあてはまるのだろうな、と思う。同じ苦行をしていても、広々とした開放感があって、段階を追うごとに景色が変わり、自分がどこまで上達したのか感じることができると、全然辛さがちがう、はずだ。

1日に2度は登る気にならない階段(=授業)と、日に3度でも4度でも上り下りしても苦にならない階段(=授業)の差を作り出すのは、教師であるはずだ。「階段上り」を苦痛に感じさせず、結果的に生徒の筋肉を発達させられる教師になりたい。