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6/27/2017

プチ遅刻の女王に、ついにブチ切れた

On punctuality 

教職の授業です。遅刻者をどう防止するか、どう対処するか、なども考えるトレーニングも含む授業です。そういうことを考えるべき履修者がなぜ自分で遅刻するのでしょうか。通常の授業にもまして、punctuality を絶対視してください。始業の少し前に教室入りすることを見越して家を出るから、すこしの遅延で遅刻します。絶対に遅刻できないならば、もっとずっと余裕をもって家をでるはず。開始時刻の30分以上前に教室に入ることを目指せば、多少の遅延があっても遅刻しないはず。誰でも遅刻することはありますが、何度も遅刻するのは何かがおかしい。修正すべし。授業する側にとって遅刻ほど迷惑なことはありません。ずっと早く教室に入って予習していたらどうですか。自分は今でも最寄り駅の始発に乗っている、これ以上早くは来られない、というケースがあるなら、申告してください。 

この授業は、4年次の、「教育実習」につながってゆく授業です。
教育実習では、絶対に遅刻は許されません。なぜですか。生徒の遅刻を指導する立場の教員としての実習だからです。
生徒が登校するより早く登校しなければ、仕事になりません。
だから絶対に遅刻しないように、早め、早めに実習校には行くはずです。
もし「教育実習」には絶対に遅刻しないように行くならば、「教科教育法」にも絶対に遅刻しないように来るべきではないですか。
場合によっては遅刻してもいい、という程度に思っているから、結果的に遅刻するのです。
その程度の意識で、これからまだまだ続く、3年の教科教育法応用、4年の教育実習、4年後期の教職実践演習、の、2年半以上の長い道のりを最後まで歩けるとは、私には思えません。

甘くないですよ。

6/23/2017

教育実習における指導教員の当たりハズレに関する考察 --ゴキブリは死なず。ただ逃げ隠れするのみ--

本年度の教育実習訪問指導キャラバンが終了した。ふたりでそれぞれ8校、一緒に行った学校もあるので、あわせて十数校は訪問した。

振り返って感じるのが表題の「当たりハズレ」である。教育実習のパフォーマンスの質は(1)我々送り出す大学側の指導と(2)当該学生の力量そして(3)実習校の指導教員の方針と力量、の3つの要素が複雑に絡み合って決まる。

実習生に、とにかく頑張ってすべて英語で説明させるべくスクリプトを書かせ、前日に泣きながらでもそれを暗記させて授業に臨ませる指導教員もいれば、生徒の発話ゼロ、先生の英語による解説はおろか音読さえもゼロ、授業はひたすら教員の言うことや板書することをノートに書き写させる自らの授業を模倣することを求める指導教員もいる。

後者のような授業を目の当たりにすると、一概にいいとはまったく思わない文科省の「英語の授業は英語で」という押し付けも、必要な押し付けなのかもしれない、という気がしてくる。

しかし、「ザ・訳毒授業」みたいな授業も、全国の高校現場にはいまだにゴキブリのごとくたぶん大量に生き残っているのだろうな、ということを実感するキャラバンであった。

と同時に、そういう当たりハズレの中で、うちの学生たちはそれぞれ、できる範囲で、許される範囲で目の前の生徒のためにできるベストな授業をすべく、果敢に挑戦していた、ことを嬉しく感じるキャラバンでもあった。

6/22/2017

教員採用試験の英語問題を解いて暗くなること:出題(者)の質

毎週、教育採用試験の対策で、各都道府県の英語の問題を学生と一緒に解いているのだが、学生には言わず、ひそかにひとりで暗い気持ちになっていることがある。それは、ど~も微妙におかしい問題が結構ある、ということだ。

問題としておかしい、つまり妥当性があるとかない、という高級なレベルの話ももちろんだが、それ以前に、おそらくはその県の英語教育関係者である出題者が書いたのであろう、問題の指示文の英語、および多肢選択肢の英文が、英文としてビミョーに、しかし絶対におかしい、というケースが散見されるのだ。

英文としてもちろん非文ではないのだが、問題文のパッセージをきちんとわからずに、表面的な部分にもとづいて選択肢を書いている、というのもある。

多肢選択の誤答が妙におかしいのは100歩譲って許容するとして、正答の選択肢がいまいち、というのはダメでしょ。文章のポイントとしてあっているものをひとつ選べ、という問題で、「正答」が、問題文の要旨としてはポイントをちょっとずらしている、のではねぇ。消去法でしか選べないようでは。。

差しさわりがあるので具体例は出さない・出せないので説得力はないと思うが、ま、確かなことだと思います。

英語テストを作成にも携わることになる英語教員候補を選抜する英語のテストは、英語テストとして内容的にも形式手にも模範的、理想的でなければダメなはずだが、現実はとてもとてもそうはなっていない。

みやぞんの聞いた「バーム」さん

イッテQで、芸人のみやぞんさんがアメリカに行って、昔マンモスを倒したいわれる槍状の武器アトラトルを、100m先の的に当てるのを挑戦する、という企画があった。企画自体は結構見ごたえがあり、みやぞん氏の運動神経に感嘆したのだが、きょうの話はその中でのひとこま。

現地についてみやぞんさんが、アトラトルの技術指導をしてくれるBobという男性と対面する。男性が、

My name is Bob.

というと、みやぞんさんは通訳(もしくはコーティネータか)氏に、「え?バームさん?」「バーブさん?」と問う。

通訳氏から「いや、ボブさんです」と言われると、みやぞんさんは「え、ボブ?あのボブなの?」と意外そうに言う、

というシーンが印象に残った。

なお、「あのボブ」というのは、「私たちが名前としてよく知っているあのボブという名前」という意味である。

ここから得るべき教訓はなにか。
(1)Bobの、oの部分の母音は、日本人が思っているよりもかなり長い、ということ。

(2)つぎに、音価がかなり「ア」に近いということ。

(3)そして、最初みやぞんさんに、語尾が「ム」だと感じられたのは、Bobの語末を開放しなかったからなので、開放されない閉鎖音を聞き取らせる練習が不可欠だ、ということである。

つまり、生徒にBobを発音させるときも、「バーb」と言わせることが必要なのである。

往々にして生徒の耳は合っているのだ。心にある単語の音声イメージのほうが間違っていることのほうが多い。だから、聞こえた音声イメージに合わせて、心的辞書のなかの音声イメージを修正してゆく必要があるのである。

ということを感じさせる番組であった。

6/18/2017

ライティングの指導はどうしたらいいですか?

Q:

中2を教えています。研究授業をすることになり、ライティングをやってみてはどうかと言われました。他の3技能はある程度できていると思いますが、ライティングはあまりやっていません。書くことの指導をどうしたらいいでしょうか?(2年目教員)

A:
まず基本的に中二なので、書くことを特別な活動とみなすのが間違い。話す練習を十分したことを文字に書き付けるのがライティングだ。

だからその授業で十分インタビュー活動などをやった結果を3~5文程度でまとめればそれが立派なライティングだと思う。

その際、正しいスペリングにこだわりすぎないことが大切。たとえばfriend をfrend と書いても発音が正しいのだからそこはスルーし、とりあえず、必要な単語がただしい順番で書けていることに意識を集中するといい。もちろん本当に正しいスペリングは後で確認させるにしても。

そういう意識を持っていれば、よく聞く「うちの生徒は話せるけど、書けない」ということはありえないことがわかる。話したことをそのまま書くのがライティングなのだから、スペリングを度外視すれば、話せることはすなわち書けることだ。それができないというなら、話すときにも出来ていない(単語が足らない・おかしい、語順がおかしい)はず。

その書いた3~5文はまた発表させよう。話したことは書く。書いたことは話す。友だちが話していることを、聞き取って書く。そういうスキルの立体的な組み合わせが大切。

6/17/2017

3人目、出て来~い!

ことしの教育実習訪問指導キャラバンも終わりが見えてきたが、埼玉大時代から数えて8年間の私にとっての実習生授業ベストツーは、いまだに




である。

虎の目、のほうのブログポストには、じつは当初、「この実習生の授業をずっと受けたほうが、指導教員の授業を受けるより生徒は幸せだ」的なことを匂わす1文を正直に書いて物議を醸し、後から削除した、という経緯もあったほどだ。(当時私は埼玉大学に在籍していて、埼玉大学附属中学に実習生を送り込んでおり、かつ埼玉大学附属中学の授業プロトコルに不満があった、という構図の中での発言でした。)

改めて考えてみると.... やっぱりどちらもグルグルをやっている。虎の目のヒョーちゃんはコワモテの長身美女(本人談)だったのに対し、サッカー少年は満面の笑みを絶やさない人なつっこい好青年、と外見上にはかなり違うだが、生徒の口に注ぐ鋭~い視線は共通だ。そしてあの時、どちらの授業も生徒たちは教師のオーラに引き込まれ、おそらく、全員が彼女と彼のことが大好きだった。

はやくこの二人に並ぶ授業をする学生に出てきて欲しい。「ベストツー」が「ベストスリー」になる日を... ♪わたし待~つ~わ、いつまでも待~つ~わ、8年後に定年になる日ま~で~♫


教えられること、教えられないこと

教えて教えられることと、教えたくても教えられないことがある。

訓練によって向上できる部分と、ほとんど向上できない部分がある。

体格や容姿はもちろん、もって生まれた声の質、などは後者に入るだろう。話し方は変えられても、根本的な声質は変えられまい。

そういう複数の資質が合わさり、生徒を前にした時の「華」、教室の雰囲気を一瞬で自分色に染め変えてしまう、教師としてのオーラ(のもと)となる。

これらを実習生のうちから身につけている学生は幸運である。そういう学生はhead startしているのだ。

あとは改善できる部分を改善してゆくのみ。