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2/27/2019

スキーのスキルと発音技能:技能の差を顕在化させる斜面、生徒を上達させられるインストラクター

スキーネタでもうひとつ。私のスキー技量はまあ「そこそこ」である。だいたいゲレンデであればどんな斜度の斜面でもリズミカルに板を揃えて滑り降りることができる - - - 圧雪斜面であれば。

圧雪斜面というのは圧雪車で雪を踏み固めて凸凹をなくしてある斜面のこと。そういう斜面であれば、私と本当の上級者はそれほど違わないように見えるかもしれない(素人目には)。

しかし非圧雪斜面でコブコブになるとそうは行かない。コブのてっぺんにストックをつくとかコブを膝で吸収するとか、頭ではわかっていても身体がついていかないので、とたんにヘロヘロフォームになってしまう。私と本当の上級者の圧倒的な差は誰の目にも明らかになる。



こういう現象は発音でもある。発音にフルに注意を注げる状態であれば見えない二人の学習者の差が、そうでない状態になると見えるようになる、ということがある。たとえば

  • 単語を独立して読む時は見えないが、文を読むとボロがでる
  • 文を見ながら読んでいると見えないが、read and look upさせるとダメになる
  • 文を自分にcomfortableなスピードで読んでいると見えないが、自分以上のスピードを shadowingなどで強制されるとボロボロになる
  • 与えた文を言わせていると見えないが、即興のやりとりで話しながら自分で文を組み立てる必要がある状況だとヘロヘロ発音になる

などである。

私のスキーはもう上達することはなさそうだが、英語学習者は上に掲げた左の状況から始め、左の状況で適正な発音ができるようになったら、徐々に右の状況になってもできるようにスキルアップしてゆかねばならない。教師は状況の負荷を調整することで、学習者が1ステップずつ上の状況にも対応できるように導いていく必要がある。それが技能の自動化への道である。

以前、「発音なんてさぁ、注意しているときは出来てても、会話になるととたんにボロボロになっちゃうからね。(だから指導してもしょうがないよ。)」と威張っている英語教師の友人がいたが、現状認識は正しくても結論がおかしい。「ウェーデルンなんてさぁ、緩斜面ではできても、急斜面でコブコブになるととたんにぼろぼろになっちゃうからね。(だから指導してもしようがないよ。)がおかしいのと同じ。会話になるとボロボロになるからこそ「そういう状況下において指導しなくてはならない」のである。

つまり「コミュニケーション活動では、発音は指導しません」というあるあるの指導指針は間違っているということである。間違っている、の意味は、そういう指導指針のもとで生徒の発音がそれ以上上達することはない、ということである。(それでもいい、という人との話はそこで終わり。)

音読活動の時だけは、あるいは発音コーナー?のところだけで発音を指導するが、発音にフルアテンションを払えない発表活動とか即興対話の時には発音の指導をやめてしまう、というのは、斜度のゆるい滑りやすい斜面だけでパラレルターンの指導はするが、急斜面のコブコブになると指導をやめてしまうスキーインストラクターのようなものだ。(ちょっとアナロジーが苦しいが。。)コブ斜面でこそうまく滑れるように指導してこそインストラクターである。即興のやりとりの中でこそ、フォームの指導をしなくては、生徒に変化は起こらない。

生徒のスキルの上達にあわせて滑らせる斜面のレベルを上げ、最終的にはどんな斜面でも自由に華麗に滑れるように、教師なら導いてゆきたい。

(オレも導かれたいなぁ。。ひょっとして渡辺雅之・ハンターマウンテン・ベテランインストラクターに教えてもらえばまだイケるか?!)← イケるみたいです。




2/26/2019

ひとりスキー、また楽しからずや

前回 Gala湯沢に行った時は体調最悪だったので、あのイメージを上書きして「リベンジ」したかったのと、ここのところの仕事上のストレスを「滑り飛ばし」たくなり、思い立って今日は一人で行ってきました。

3年ぶりの「一人スキー」。話し相手はいませんが、そのぶん勝手にガンガン滑れるというのは悪くありません。また幸い天候に恵まれ、青空のもとでビールという至福の時間も。


行ったことがなかった南エリアにも足をのばしてみると、人の多い中央エリアよりもかなり空いており、最高。スキーヤーにとってスロープを独り占めできるに勝る贅沢はありません。ターンの大きさもタイミングも周囲を気にすることなく自由自在です。


ひとり記念動画撮影として、試しに左手にストックをまとめてもって右手のスマホで撮ってみました(あまり人がいなかったので危険はない、と判断しました)。ストックを使わないとバランスを取るためどうしても2枚の板をきっちり揃えておくのが難しいことが判明。次回はウェアラブルカメラを持っていってみます。



あさましきもの(改)

「あさましきもの」のポストの表現に対して、私の敬愛する先輩女子からやんわりとした「おしかり」のメールを頂戴してしまった。あそこに書いたような左巻きの人権派気取りの困ったちゃんは、性別年齢を問わずにいるのであって、「BB」はよろしくないでしょ、と。たしかにその通りであるので、本日メールに気づいたその場(某スキー場の山頂)で雪の上に座り込み、スマホを取り出してさっそく削除させていただいた次第である。

あれは、そういう属性の組み合わせをもった人種は一般的にあさましい、という意味ではなくて、最近かかわった特定の人物についての腹立ちを書いてしまったのであるが、あの書き方では、そういう人種が一般的にあさましい、という読まれ方をするのは当然である。ご気分を害された方々にはお詫びします(._.)。申し訳ありませんでした!

本意は、学生の不満を一方的に取り上げて、やたらとそれはハラスメントだの指導の行き過ぎだのとすぐ声高に騒いで「お上」に訴える傾向のある、おそらく本人は学生の味方を自認している、勘違い「言いつけ」教師は極めて遺憾である、ということでございます。立場を変えてもし自分だったら、お上に「言いつけ」る前に、本人に直接話を聞いてみる、と思われます。大人同士でほぼ対等の力関係だ、という前提ですが。

2/20/2019

とうほうにくれたとうほうはとうほうさつえいじょにとうほうでいく

家人から、「地下鉄の英語アナウンスを聞いていると、都営大江戸ラインが、どう聞いても東映大江戸ライン、としか聞こえないのだが、なぜか?」と質問された。

つまり「とえい」がなぜ「とーえい」になるのか、という質問である。

それは英語には「と」と「とー」の区別がないからである。そもそも英語ネイティブは、「と」と「え」と「い」を対等に、同じような長さと強さで平板に、「とえい」もしくは「とえー」と言うことが、デフォルトではできない。

どうしてもどこかにストレスを置かざるを得ない。そこで一般的には最初の音節の「と」にストレスを置く。

そして英語のストレスの本質は、「高さ」と「長さ」なので、「と」がその後よりも「高く、長く」なるので、この時点で、「と」でなく「と〜」になってしまう。

かくして、「とえい」は「と〜えぃ」となり、「都営」には聞こえなくなってしまうのである。

うちの学部の英語ネイティブにはかなり日本語が達者な人もいるが、それでも彼らが言う「授業」は、やっぱり「じゅ〜ぎょ〜」で、どちらかと言えば、「十行」に聞こえるのである。


  • 樹上と十条
  • 需要と重要と授与
  • 叙情と情状と徐々
  • 徒歩と当方
  • コウゾと小僧と構造
  • 誇示と工事
  • 故郷と皇居と公共と故居


など、本来の日本語では高低アクセントの型が違うペアもあるが、英語ネイテイブにとってはそんな微妙な区別などできるわけもなく、いずれも

じゅうじょう jujo
じゅうよう  juyo
じょうじょう jojo
うほう  toho
うぞう kozo
うじい koji
うきょう  kokyo

となってしまい、区別がつかないのが普通である。これらの区別をつけられる英語ネイテイブの日本語スピーカーは、よっぽどの達人だ。

区別がつくのは文脈があるからで、聞くわれわれはいちいち文脈から推測して、「AのはずはないからBだ」と頭の中で修正しているのだ。できれば、そんな修正をいちいちしなくてもせずに済むほうが、聞き手としては嬉しいのは当然である。

逆教訓:われわれ日本語ネイティブは、英語を話す時、アクセントのある部分を高く、長〜く、言わないと英語らしく聞こえない。詳しくは→『発音の教科書』で!





2/19/2019

初対面でマスクしっぱなしって、アリ?

病院でのカウンターなどならいざしらず、普通に誰かと初めて「会う」時に、マスクをしていて最後まで顔を見せない、というのはいかがなものか。失礼じゃないだろうか。

その時に風邪をひいていて、いままさにアクティブに咳が出ている、といった状況でもない限り、少なくとも一度は自分の顔は「さらした」状態にするのが礼儀ではないだろうか。

マスクをしたまま初対面の挨拶をするのは、黒メガネをしたまま初対面の挨拶をしているのぬ通ずるものがあると、私は感じる。

素性を隠す仮面舞踏会じゃないんだからさ。。。

階段登りと英語の授業 〜苦行を苦行でなくする要因とは?〜

実は今年の新年の目標は「ギックリ腰ゼロ」だ。で、そのためにはいろいろ対策しているのだが、そのひとつに、どこでもエレベーターは使わずに必ず階段を登る、というのがある。

大学の研究室は6Fにあるのだが、2月も中旬を過ぎようかという本日現在、まだ一度もエレベータには乗っていない。6Fまで登るのは結構億劫なのだが、あることを発見した。それは、「同じ階までの段数でも、どの階段を登るかによって気分的な辛さが全然違う」ということだ。

以前は6Fまで登るのに、エレベータ脇の階段を利用していた。これは結構狭く、窓もないという閉塞感いっぱいの階段で、6Fまで登りきる頃には結構足にきた。足にも来たし、心にも来て、日常的に登る気にはとてもならない、という感じだった。

ところが今年になって別の階段を利用するようになった。すると同じ6Fまで登るのに、「え?もう6F着いちゃった?全然、辛くないね」と感じるくらい、エレベータ脇の階段を利用したときと体感がまったく違うのである。足にもそれほど来ないような感じさえある。

どうしてこうまで気分が違うのか考えてみたところ、次のような違いに思い至った。

(1)幅が広く、圧迫感がない。こちらの階段は横幅が2倍以上あって広々している。

(2)1Fから3Fまでは建物の中ではなく外とつながっている妙な構造になっているため、開放感がある。4F以上になるとガラスで密閉はされて外気とは遮断されるが、それでも片側は全面窓なので、閉塞感はゼロだ。1階上がるごとに、外の街の景色が変わり、「こんなに高くまで登ってきたぜ」感が味わえる。



(3)どういうわけか、途中で、階段の材質や色が変わる。1Fのあたりは濃いブラウンのタイルなのだが、そのうちグリーンのリノリウムになる。そのため、「あ、もう半分まできた」「お、もうすぐ5Fだ」といった、自分がどこにいるのかを床の色からも視覚的に感じることができる。



で、これは英語の授業、トレーニングにもあてはまるのだろうな、と思う。同じ苦行をしていても、広々とした開放感があって、段階を追うごとに景色が変わり、自分がどこまで上達したのか感じることができると、全然辛さがちがう、はずだ。

1日に2度は登る気にならない階段(=授業)と、日に3度でも4度でも上り下りしても苦にならない階段(=授業)の差を作り出すのは、教師であるはずだ。「階段上り」を苦痛に感じさせず、結果的に生徒の筋肉を発達させられる教師になりたい。





2/17/2019

『発音の教科書』重版出来!

おかげさまで、

『日本語ネイティブの苦手な英語の音とリズムの作り方がいちばんよくわかる発音の教科書』(テイエス企画)

の重版が決まりました。ありがとうございます。

さらに多くの方に手にとっていただいてお役に立てていただければと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

まだの方は、さあ、この機会に是非どうぞ!