今年度のゼミメンバーで集まる最後の会を行いました。4年生はいよいよ社会に出てゆく覚悟を、3年生は今度は自分たちが勝負するのだという決意を胸に、来し方行く末を語り合う楽しい集いとなりました。
途中思いがけず私の誕生日を祝ってくれたサプライズ演出があり、心から嬉しくなりました。ハッピーバースデーを歌ってくれたのですが、ずいぶん前に当時の勤務校の(大学院の)授業中に、一人の学生に対して他の受講生がハッピーバースデーの歌を歌ったのはよかったのですが、それがベタベタのカタカナ発音だったため、それに対して私が「(英語教育を学んでいる者として)恥を知れ!」と怒りの長文メールを出したというエピソードを何故か知っていた?彼らは、しっかりhAppy bIRTHday ...と合唱し、大笑いになりました。
企業に、大学院に、そして学校現場にと、それぞれ新たなステージを求めて旅立ってゆく4年生メンバーにエールを送ります。そして3年生は新4年生としてゼミを引っ張りつつ、自らの進路を切り拓いてゆくことを願います。
発音ザムライ、ジャパリッシュ英語教師を斬る! 寄るな触るな、触れなば斬らん! 斬り捨て御免で御意見無用! (Part of the Caption by Courtesy of Madame Satoh)
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3/29/2019
3/28/2019
発音なんてどうでもいいじゃないですか、と言われてショックでした
かなり「できる」生徒に、「テストに出ないんだから発音なんてどうでもいいじゃないですか」と言われてしまってショックでした、と報告してきた初任の先生に私が返したメールより抜粋:
私の思う解決策のひとつは、発音というか質の良い音読スキルをテストにしてしまう、という方法。もうひとつはリスニングを教えながら、音声変化や弱音節の聞き取りなどの難しさを味あわせつつ、「自分でカタカナ発音しているから聞き取れないんだよ」と納得させる、というアプローチ。そういうことをわからせるには教科書付属CDでは無理で、やっぱり映画とかドラマとか歌とか、authenticなマテリアルが必要になりますね。
3/25/2019
世の中にはいろいろな人がいるからオモシロイのでは?
年々、程度はいろいろであるが、発達障害というアンブレラタームでくくられる特性を持った学生が増えてきた。障害者差別解消法が施行されてから2年が経とうとしているが、学生を受け入れる大学の側、とくに教員の意識はどうだろうか。そうはっきりと口に出しては言わないものの、そういう学生をできれば受け入れたくない、自分の学科には入ってきてほしくない、いわんや自分のゼミになど絶対に入れたくない、と考えている教員は少なくないように感じる。残念なことだ。
そういう気持ちは次のような一見もっともな言動となって表明される。曰く、学科の体制としてケアが十分にできない。曰く、自分たちはただの教員であって専門知識がないから無理だ。曰く、大学は自分たち全員に発達障害についての研修を受けさせもせずにそんなことを押し付けるのか。曰く、「何か」あった時に、大学は責任を取ってくれるのか、等々。
もちろんこういう言動が、「ケアができるような体制を整えたいから、専門知識を与えて欲しい、研修を受けさせてほしい」という前向きな意味で表明されていることもなくはないのだろうが、多くの場合は、「自分たちはそんな学生に関われない、関わりたくない」という逃げの気持ちが透けて見える、ように私には感じられる。
そういう言動に接する時、思う。この人は、もし自分の子どもがそういう特性を持って生まれついてきたらどうするのだろうか、と。こんな子どもには関われない、関わりたくない、と言って、その子を自分の人生から排除しようとするのだろうか。
そういう親と呼ぶに値しないバカ親もなかにはいるかもしれないが、ふつうの親ならそういう方向には考えないし、考えることはできない。自分の子どもなのだから。そういう特性も自分の子どもの属性の一部であるし、そういう子どもがいるという属性も、自分自身の一部である。自分自身を切り離すことはできない。
嫌われるのを承知で書くと、教員の中でも大学教員は、「いい」学生、手のかからない学生しか相手にできない人の割合が、小中高の教員よりも多い。そうでない学生は自分の守備範囲ではないと思っているのだろう。それは教師としての守備範囲が狭すぎるのである。そしてそれはそのまま人間としての幅が狭すぎることになるのではないだろうか。え?自分たちは研究者であって教師ではない?でも「教」授って教える人でしょ。
そもそも、世の中にはいろいろな人がいるのである。頭のいい人もいれば、そうでない人もいるのである。足の速い人もいれば、そうでない人もいるのである。ルックスの良い人もいれば、そうでもない人もいるのである。太った人もいれば、痩せた人もいるのである。物覚えのいい人もいれば、そうでない人もいるのである。しょうがいをかなりもっているひとも、多少もっているひとも、あまりもっていないひとも、いろいろいるのである。身体的にしょうがいのあるひともいれば、知的にしょうがいのあるひともいれば、情緒的にしょうがいのあるひともいるのである。よく見れば教員集団のなかにもいろいろいるじゃないですか。
頭が最高に良くて、視力は2.0で、背が高くて、イケメンで、美女で、プロポーション抜群で、運動能力抜群で、思いやりがあって、品行方正な学生だけしか入学させない学校は、教師から見て手はかからないが、つまらないのではないだろうか。というよりそんな学校に人間の教師はいらんだろう。AIでもあれば十分だ。ま、そんな学校、わたしもあなたも含めて、世の中の99.9%の人は、入学試験に通らない。
そういう気持ちは次のような一見もっともな言動となって表明される。曰く、学科の体制としてケアが十分にできない。曰く、自分たちはただの教員であって専門知識がないから無理だ。曰く、大学は自分たち全員に発達障害についての研修を受けさせもせずにそんなことを押し付けるのか。曰く、「何か」あった時に、大学は責任を取ってくれるのか、等々。
もちろんこういう言動が、「ケアができるような体制を整えたいから、専門知識を与えて欲しい、研修を受けさせてほしい」という前向きな意味で表明されていることもなくはないのだろうが、多くの場合は、「自分たちはそんな学生に関われない、関わりたくない」という逃げの気持ちが透けて見える、ように私には感じられる。
そういう言動に接する時、思う。この人は、もし自分の子どもがそういう特性を持って生まれついてきたらどうするのだろうか、と。こんな子どもには関われない、関わりたくない、と言って、その子を自分の人生から排除しようとするのだろうか。
そういう親と呼ぶに値しないバカ親もなかにはいるかもしれないが、ふつうの親ならそういう方向には考えないし、考えることはできない。自分の子どもなのだから。そういう特性も自分の子どもの属性の一部であるし、そういう子どもがいるという属性も、自分自身の一部である。自分自身を切り離すことはできない。
嫌われるのを承知で書くと、教員の中でも大学教員は、「いい」学生、手のかからない学生しか相手にできない人の割合が、小中高の教員よりも多い。そうでない学生は自分の守備範囲ではないと思っているのだろう。それは教師としての守備範囲が狭すぎるのである。そしてそれはそのまま人間としての幅が狭すぎることになるのではないだろうか。え?自分たちは研究者であって教師ではない?でも「教」授って教える人でしょ。
そもそも、世の中にはいろいろな人がいるのである。頭のいい人もいれば、そうでない人もいるのである。足の速い人もいれば、そうでない人もいるのである。ルックスの良い人もいれば、そうでもない人もいるのである。太った人もいれば、痩せた人もいるのである。物覚えのいい人もいれば、そうでない人もいるのである。しょうがいをかなりもっているひとも、多少もっているひとも、あまりもっていないひとも、いろいろいるのである。身体的にしょうがいのあるひともいれば、知的にしょうがいのあるひともいれば、情緒的にしょうがいのあるひともいるのである。よく見れば教員集団のなかにもいろいろいるじゃないですか。
頭が最高に良くて、視力は2.0で、背が高くて、イケメンで、美女で、プロポーション抜群で、運動能力抜群で、思いやりがあって、品行方正な学生だけしか入学させない学校は、教師から見て手はかからないが、つまらないのではないだろうか。というよりそんな学校に人間の教師はいらんだろう。AIでもあれば十分だ。ま、そんな学校、わたしもあなたも含めて、世の中の99.9%の人は、入学試験に通らない。
3/17/2019
UpDATES 2019春の会 開催!
今年も、4月から教壇に立つ卒業生を壮行し、大東卒現職英語教員との親睦を深める UpDATES (Upgraded Daito Alumnae Teachers of English Society)春の会を催しました。
4月から教員になる学生が3名、4月から入院する学生が3名(大学院に、ですが)、卒業生教員が3名、と我々シニア教員が2名の11名が集まり、4時間に渡って語り合いました。
会場の魚撃さんは、書道家でもある店長がその場でリクエストに応じて超達筆で色紙を書いてくれるレアなサービスもあり、ここ4年ほどずっと使わせていただいています。
4月から教員になる3名と、4月から淡路先生に旅立たれる私の計4名が色紙を書いてもらいました。
院生になる3名も2年後には色紙をリクエストすることになるでしょう。
教員になる3名(昨日の会に来られなかったひとりを加えて4名)も、大学院生になる3名も、そして淡路先生も、心身ともに健やかで、あらたな生活を思い切りエンジョイしてください!
4月から教員になる学生が3名、4月から入院する学生が3名(大学院に、ですが)、卒業生教員が3名、と我々シニア教員が2名の11名が集まり、4時間に渡って語り合いました。
会場の魚撃さんは、書道家でもある店長がその場でリクエストに応じて超達筆で色紙を書いてくれるレアなサービスもあり、ここ4年ほどずっと使わせていただいています。
4月から教員になる3名と、4月から淡路先生に旅立たれる私の計4名が色紙を書いてもらいました。
院生になる3名も2年後には色紙をリクエストすることになるでしょう。
私のこの色紙↑の文言は
4年前の決起集会でのこの色紙↓の文言に呼応するものです。
教員になる3名(昨日の会に来られなかったひとりを加えて4名)も、大学院生になる3名も、そして淡路先生も、心身ともに健やかで、あらたな生活を思い切りエンジョイしてください!
3/14/2019
ようやく公刊! 『英語授業の心・技・体』のミスリーディングな要約引用に係る諸考察
あれから1年。ようやくpublishされました。
靜哲人 (2019)
『英語授業の心・技・体』のミスリーディングな要約引用に係る諸考察
(Considerations on a Misleading Summative Citation of Eigo-jugyo no shin-gi-tai)
『大東文化大学紀要』 第57号 (人文科学)pp. 43-61
靜哲人 (2019)
『英語授業の心・技・体』のミスリーディングな要約引用に係る諸考察
(Considerations on a Misleading Summative Citation of Eigo-jugyo no shin-gi-tai)
『大東文化大学紀要』 第57号 (人文科学)pp. 43-61
要旨
靜哲人著『英語授業の心・技・体』(研究社)が、松村昌紀(編)『タスク・ベースの英語指導—TBLTの理解と実践』(大修館)の第2章である福田純也著「タスク・ベースの言語指導と認知のメカニズム -- 第二言語の学習を促す心理的要因」のpp. 43-44で要約引用されている。しかしながら、その引用のされかたは『英語授業の心・技・体』の内容に照らして誤りであると筆者は考える。そこでその旨を同書の編者である松村昌紀氏および当該章の著者である福田純也氏に申し立てたところ、当該箇所が誤引用であるとは考えない旨の回答を得た。それから約2ヶ月に渡る交渉を経て、最終的には「同書が重版される際には『英語授業の心・技・体』に対する引用は削除される」ことが合意されたのだが、当該箇所は誤引用でも不適切でもないという松村氏・福田氏の主張は最後まで変わらなかった。その経緯を記録し、筆者と松村氏・福田氏側双方の主張の詳細を記した上で、当該引用がなぜどのように誤りであると筆者が考えるのかを明らかにする。
こちらに全文をアップロードしましたので、是非!お読み下さい。そして拡散希望!
3/13/2019
「エドテック」ってエド・はるみさんの会社?
少し前に、流行りのテーマで、あるありがた〜い講演を聞かされた、いや聞く機会をいただいたのだが、そこで言及された「エドテック」という固有名詞に引っかかってしまった。スペリングをみると、予想通りやっぱり EdTech である。
英語発音屋からするとものすごい気持ち悪い。言うに事欠いて、エドってさぁ。。。
あとでググってみるとすでに固有名詞ではなく普通名詞として流通しているらしい。言うまでもなく英語でEdTechを発音するならほぼ100% dは開放されないので、
エッ・テッk
のような2音節の音になるはずである。それを似ても似つかぬ エド.... にされてしうまうとこちとら第一に「江戸」、第二にエド・はるみさんを連想して、滑稽極まりない。(エドはるみさんが滑稽なのではありません。Education(al)なのに、エドはるみさんにつながるのが滑稽だということです。私はエド・はるみさんの芸は好きでした。)
かと言って「エッテック」ってわけにもどうせいかないのだろうから、EdTechはやめてEduTech にしておけば、まあ気持ち悪さ度は許容範囲の 「エデュテック」というカタカナ表記とカタカナ発音ができる。(エデュというきどった表記も気持ち悪いが。)
まあこういうこと(Edをエドと言われると気持ち悪い)を感じる人間がごくごく例外的だからこういう用語がでまわるのだろう。
しかし再考すると adを アド と表記するのは従来からごく普通のことで会社名などにも使われている。それに対して ed→エド ほどの違和感は感じていなかったのは、おそらく、エドには江戸というすぐ連想される日本語があるのに対し、アドにはないからだ、と思いあたった。
英語発音屋からするとものすごい気持ち悪い。言うに事欠いて、エドってさぁ。。。
あとでググってみるとすでに固有名詞ではなく普通名詞として流通しているらしい。言うまでもなく英語でEdTechを発音するならほぼ100% dは開放されないので、
エッ・テッk
のような2音節の音になるはずである。それを似ても似つかぬ エド.... にされてしうまうとこちとら第一に「江戸」、第二にエド・はるみさんを連想して、滑稽極まりない。(エドはるみさんが滑稽なのではありません。Education(al)なのに、エドはるみさんにつながるのが滑稽だということです。私はエド・はるみさんの芸は好きでした。)
かと言って「エッテック」ってわけにもどうせいかないのだろうから、EdTechはやめてEduTech にしておけば、まあ気持ち悪さ度は許容範囲の 「エデュテック」というカタカナ表記とカタカナ発音ができる。(エデュというきどった表記も気持ち悪いが。)
まあこういうこと(Edをエドと言われると気持ち悪い)を感じる人間がごくごく例外的だからこういう用語がでまわるのだろう。
しかし再考すると adを アド と表記するのは従来からごく普通のことで会社名などにも使われている。それに対して ed→エド ほどの違和感は感じていなかったのは、おそらく、エドには江戸というすぐ連想される日本語があるのに対し、アドにはないからだ、と思いあたった。
3/12/2019
昨日のライオン・キングのワークショップ:ニコニコ女子多し
2年続けてワークショップ講師として参加していた言語教育エクスポに、今年は気楽に一参加者として行ってきました。
前から気になっていた英語芸術学校マーブルズのワークショップに参加。テーマはライオン・キング。なんとなく、ミュージカルなので劇中歌でも歌うのかな、と漠然と思って行ってみると、そうではなく、ライオン・キングの簡略化した?セリフを使った即興劇を仕上げる、という内容でした。
講師の小口先生はいろいろな意味で見事。プロですね。セリフを単にセリフとして言わせるのでなく、そのセリフに思わず気持ちを込めたくなるような個人的エピソードを聞き出したうえで、その気持ちをセリフに乗せて言わせる、というアプローチでした。昔行ったMLSを思い出しました。
私個人の敗因は、そもそもライオン・キングの話とか登場キャラクターをまったく知らないまま参加してしまったこと。ムファーサだ、プンバだ、ナラだ、ザズーだ、と言われてもその動物がオスなのかメスなのかもよく覚えきれず、いまひとつ場面の入り込めずに困りました。ちなみに私がもらったのは、プンバの役。相棒のティモン役の方に助けられながら、それなりに楽しく汗をかくことができました。(ティモンさん、お世話になりました!)
場面場面でグループに発表させて小口先生がフィードバックしながら仕上げていくのですが、そういうときの受講者の英語を聞きながら再確認したのは、日本人にはいかに「ニコニコ女子」が多いのか、ということ。You've got to do something! というセリフがあったのですが、このsomething の mで両唇を合わせずに、唇歯で発音してしまう女性の多いことと言ったら。。。
bとかpでは唇閉じる、というのは日本人には盲点なのですかね。
なお、一番心に残ったセリフは、
You can either run from the past or learn from the past.
でした。内容もいいし、また発音面でもデフォルト日本語ネイティブだと、run も learnも事実上同じ音(ラ(-)ン)になるので、よい練習になるなあ、と。
またいつか機会があれば、マーブルズのワークショップ、参加してみたいです。
前から気になっていた英語芸術学校マーブルズのワークショップに参加。テーマはライオン・キング。なんとなく、ミュージカルなので劇中歌でも歌うのかな、と漠然と思って行ってみると、そうではなく、ライオン・キングの簡略化した?セリフを使った即興劇を仕上げる、という内容でした。
講師の小口先生はいろいろな意味で見事。プロですね。セリフを単にセリフとして言わせるのでなく、そのセリフに思わず気持ちを込めたくなるような個人的エピソードを聞き出したうえで、その気持ちをセリフに乗せて言わせる、というアプローチでした。昔行ったMLSを思い出しました。
私個人の敗因は、そもそもライオン・キングの話とか登場キャラクターをまったく知らないまま参加してしまったこと。ムファーサだ、プンバだ、ナラだ、ザズーだ、と言われてもその動物がオスなのかメスなのかもよく覚えきれず、いまひとつ場面の入り込めずに困りました。ちなみに私がもらったのは、プンバの役。相棒のティモン役の方に助けられながら、それなりに楽しく汗をかくことができました。(ティモンさん、お世話になりました!)
場面場面でグループに発表させて小口先生がフィードバックしながら仕上げていくのですが、そういうときの受講者の英語を聞きながら再確認したのは、日本人にはいかに「ニコニコ女子」が多いのか、ということ。You've got to do something! というセリフがあったのですが、このsomething の mで両唇を合わせずに、唇歯で発音してしまう女性の多いことと言ったら。。。
bとかpでは唇閉じる、というのは日本人には盲点なのですかね。
なお、一番心に残ったセリフは、
You can either run from the past or learn from the past.
でした。内容もいいし、また発音面でもデフォルト日本語ネイティブだと、run も learnも事実上同じ音(ラ(-)ン)になるので、よい練習になるなあ、と。
またいつか機会があれば、マーブルズのワークショップ、参加してみたいです。
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