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7/01/2015

うっとおしいもの:「アクティブ・ラーニング」

私の個人としての意見であるが、最近、猫も杓子も「アクティブ・ラーニング」「アクティブ・ラーニング」と言い立てるのが、鬱陶しくて仕方がない。

「授業のなかでどのくらいの割合がアクティブ・ラーニングを採用していますか」といったアンケートがよくあるが、まるでそれ以外は「アクティブでないラーニングだ」と決めつける枠組みを肯定させられたうえで回答するようで大変に不本意である。

learning は passive より active であるのがいいのに決まっているが、バズワードになった 「アクティブ・ラーニング」はいただけない。

グループワークだのディベートだのフィールドワークだのプレゼンテーションだのを指すことが多いようだが、そういう目に見える「派手な」活動だけが、学習として active であるはずがない。

本を読みながらいろいろ考えるのも大変に 脳内active な活動であるし、アイディアを練って黙ってPCに向かってエッセイを書くのも大変に 脳内active な活動である。

すくなくともツール学習である英語学習、語学学習に、いまの「アクティブ・ラーニング騒ぎ」は、いい迷惑である。なんといっても、教師主導の一斉授業が大切である。

見かけが teacher-fronted の一斉授業は passive で、学生が前に立ってなにかやっていれば active だ、とは全く思わない。