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10/22/2017

「王様は裸だ」と言えない業界の深い闇

べつに今回だけが特殊な事例ではない。

そもそも英語教育研究大会でも、研究授業の後の協議でも、英語教員のあつまる研究会でも、教員の英語(とくに音声面)の質が問題とされることはほぼ皆無である。しかし現実には音声面に問題のある発表(公開授業含み)は決してめずらしくない。

英語でなされているなんらかの会を司っているそのMC(当然、英語教員である)の英語、質問する者(当然、英語教員である)の英語の音声面に問題がないことのほうが、むしろ少ないのである。

そういう場面に遭遇した時に、あなたの英語はダメですよ、そんな英語じゃ生徒が可愛そうですよ、そんな英語を教えて対価に給与を得ているのですか、それと知らせず不良品を売っているような行為と同じではないでしょうか、というようなことは言えない雰囲気というか、言ってはならないという不文律があること自体に、根源的な問題があると私は考えている。

そこには教育者の集団としての矜持が、良心が、誠実さが、感じられない。

そんな集団は、職業集団として、腐っているのではないか。

業界として自浄作用がないといえるのではないか。

授業の組み立てがどうの、運びがどうの、教え方がどうの、などという高級なことを言う以前に、英語自体の質が水準以下の教員がいたら、同じ業界人の職業的、倫理的義務として、大変失礼ですけれども、あなたの英語は水準以下です、と指摘すべきである。

言いにくいことを申し上げますが、あなたの生徒のために、ぜひ水準以下でなくなってください。その水準以下の英語で教壇に立ち続けるのは、倫理的な意味での「犯罪」です。あなたの生徒にももちろん罪ですし、「日本の英語教員」の評価・評判・名誉をおとしめる、われわれの profession 全体にとっても大きな迷惑です。

そういうことを言い合って、全体としての品質を保とう、高めようとする体質がないのは、消費者たる生徒に対する背信行為だ。

そういうチェック機能がないから、われわれの profession の全体レベルはいつまでも変わらず、いつまでも低いままなのではないだろうか。

そういうことに向き合わず、毎年、手間と暇と金をかけて「行う」ことが自目的化しているような「イベント」として、◯◯英語教育研究大会などを、各県持ち回りで実施しても、なんの意味もない。

そういう腐った業界の流れに竿をさして、公開された授業の質の低さを指摘する whisltle blower 的な存在こそが、何よりも貴重なのだ。

そういう貴重な良心の告発者を、権力をかさにきて恫喝するようなことは、ゆめゆめあってはなるまい。それは、先般の加計学園問題にからんだ、義家文科副大臣の、国家公務員法(守秘義務違反)での告発云々、という発言にも一脈通ずる発想である。