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1/28/2022

共愛学園高校の生徒たちに Anne-Marie の2002 を指導しました!

本日、群馬県の共愛学園高等学校に(Zoomで)お邪魔して、通算4回めとなる特別授業をさせていただきました。 音節の話から説き起こし、具体的に何か1曲を練習してもらう、といういつものパターンです。今回は Anne-Marie の 2002 を題材にしました。




第1回 2014.10  You belong with me

第2回 2016.10  What makes you beautiful

第3回 2018.12  All I want for Christmas is you

第4回   2022.1   2002 ←今ここ


こうしてみると第3回から間が空いていますが、もちろんコロナのせいです。今回も当初は出張して対面でということだったのですが、ここにきての急速な感染拡大で、予想通りオンラインで、となりました。生徒たちは全員自宅から参加です。

2002を使った部分の段取りは以下の通りです。

  1. 目標となるPV(私が歌詞を入れたもの)を1回見せる。
  2. ワードに打った歌詞と対訳を見せながら、解説してゆく。適宜、質問(文法構造など)を織り交ぜながら。
  3. ワードに打った歌詞(こんどは発音ポイントが色分けしてあり)を見せながら、私がゆっくり目に1行ずつ歌い、発音ポイントやリンキングや音声変化を教え、指名して歌ってもらって指導。
  4. 目標PVを使って、1画面ごとに止めながら、「静止画面の歌詞を見て歌う→動画を動かして Anne-Marie と同時に歌う」を繰り返す。(このPVに入れた歌詞には工夫がしてあって、歌詞を一呼吸早めに表示するように編集してある。これにより、静止画で歌詞を確認させ、そのあとに再生するとその音声の頭が欠けずに聞こえるようになる。)ここは指名なしで、全員ミュートで各自が歌ったはず。
  5. (休憩)
  6. Ed Sheeran と Anne-Marie がドュエットしているPVを見せる。(気分転換として)
  7. カラオケ動画を流す。総仕上げとして全員ミュートで各自が歌った(はず)。

生徒は全部で65名ですが、指名した子たちは皆、恥ずかしがらずに大きな声で歌ってくれました。共愛学園での普段の音声指導が行き届いているのがベースにあるとは思いますが、こちらのやり方にも一工夫があります。全員ビデオはオフにしてもらって、かつ名前表示は番号にしてもらったのです(1〜65)。これによって少なくとも私にはどういう生徒かはまったくわかりませんし、生徒同士もおそらくクラスが違うでしょうから声だけでは誰だかわからない場合も多かったと思います。つまり、「英語の歌を全員の前で歌って、それを直される」というプレッシャーのかかる状況の、ハードルがかなり低くなったはずです。

事実、「〜番さん、お願いします!」と指名すると、どの生徒も即座に反応してくれました。これは最近、成人相手のワークショップでも利用している手法ですが、メンツがかかる発音指導は「顔出しなし、名前なし」でやるに限ると思っています。口が見える必要はまったくありません。音で判断して「あ、舌がきちんと出ていない音がしているから、もっと舌をしっかり歯に当ててみて。」などと指導すれば必要かつ十分です。

カラオケ動画は前夜にYouTubeで見繕ったのですが、ガイドメロディありのものを使いました。



ガイドメロディなしのやつは自分でやってみても結構ハードルが高いので、慣れるまではガイドメロディつきのがいいでしょうね。

時間配分も非常にうまくいき、達成感をもって終わってもらえたと思います。選曲もバッチリはまったみたいです。もともとこれを私に教えてくれたゼミ生に感謝。

しかし冒頭にご担当の先生から聞かされて驚いたのが、第1回(2014年)に参加していた生徒のひとりが、現在は同校に先生として勤務している!ということです。まあ8年前だからそういうこともありますね。そりゃ、こっちも歳をとるわけよなぁ〜と感慨にふけった一瞬でした。

参加してくれたみなさん、お疲れ様でした! コロナに負けず、しっかりと学びを進めてください。





1/23/2022

あれから4年。松村昌紀編(2017)『タスク・ベースの英語指導 -- TBLTの理解と実践』(大修館書店)における『英語授業の心・技・体』のトンデモ引用はようやく姿を消した。しかし . . .

もうほとんど4年前の2018年の最悪の思い出として残っている、松村昌紀編(2017)『タスク・ベースの英語指導 -- TBLTの理解と実践』(大修館書店)における『英語授業の心・技・体』のトンデモ引用事件の当時の顛末を、


としてまとめたことは以前にも報告した。要するに、私の著書『心・技・体』の全体をまったく捻じ曲げて引用した著書の著者たちが、自分たちの引用が不適切だったことをまったく認めないまま「重版がかかった時点では引用を削除する」ことのみ同意した、という極めて不愉快な事件であった。

あれからほぼ4年。先日、大修館書店の担当者に重版がかかっているかをメールで問い合わせたところ、なんと「2019年に重版がかかり、該当部分の引用は削除されております。担当者からご連絡させるべきでした」とのことであった。

当該のページのPDFを請求し、引用が削除されていることを確認した。




ようやくこれで心に一区切りをつけることができる。しかし以前も書いたが、現在新たに出回っている『タスク・ベース』から『心・技・体』の引用がなくても、すでに出回った初版のおそらく数千部(図書館にも所蔵されているはず)は回収する術はない。それらを読んだ人々には『心・技・体』は誤解され続ける。

そして引用が削除された2019年9月の時点で先方からなんの連絡もなかったという点が、大修館の担当者も認めている通り、大変遺憾である。本来は編著者の責任で連絡してくるべきだが、そういう良識が期待できない相手なのでいまさら意外性はない。

最初から最後まで残念な事件であった。2018年3月17日に私は以下のように書いた。今回の結末でまたこの思いを強くした次第である。

「最後の最後まで非を認めずに強弁する姿勢を崩さず、しかしその強弁を公開されることは拒み、かつ私と直接やりとりをすることから逃げ回ったとしか思えない『タスク・ベース』の編著者に対しては、今は軽蔑と憐れみしか感じない。」

12/27/2021

教育実習時の訪問指導による実習生授業の改善の詳細

以下の論文をアップロードしました。中学校での教育実習を訪問し、授業を見、次の空き時間に講評し、その講評を取り入れてさらに次の時間に別のクラスで同じ授業をやる、というアレンジで録画したビフォア授業とアフター授業の詳細を比較したものです。講評によってすぐに修正された部分と、修正されない部分がありました。「生徒が発話している(歌っている)時には、教員は同時に発話せず(歌わず)黙って生徒の音声クオリティに耳を傾けてフィードバックに備えよ」というのは、なかなかできないようです。生徒にも声を出して欲しいので、ついつい自分でも声を出してしまう教員の気持ちはわかりますが、きっかけとしては良いとしても、それをしていると「指導」ができません。


2020 年度訪問指導時の講評による英語科教育実習生授業の変化
Changes in a 2020 EFL student teacher's instruction through an on-site feedback session


11/28/2021

"Repeat after me." を超えよう。 単語でも、そしてセンテンスでも。

 一般財団法人 語学教育研究所から出ている 『語研ジャーナル (The IRLT Jounal) 』第20号 (pp. 117-120) に、手島良さんの「フォニックス 〜生徒を自立させるための助言〜 Repeat after me. を超えて」という論考が掲載されている。

単語の読み方の指導で、モデルを提示して後について繰り返させるだけでは、短期記憶にあるその時の音声イメージを再生させているだけで、新たな語を自分で読める学習者を育てられないのであり、モデルを示す前に、当該単語内のポイントとなるフォニックスルールを思い出させ、あるいは教え、その上でまずは自力での発音を促してみる、という作業を繰り返してゆくことが、ゆくゆくは自立して単語が読める学習者を育てるためには不可欠である、という指摘である。

Couldn't be more true. だ。

これは私が先日のポストで指摘した、スペルアウトさせるのは文字と音声の結びつきを指導していないことの裏返しだ、という点とも関わる、とくに中学生を指導する上で大変に重要な点である。いつか見た次のような授業風景を思い出す。

単語の発音練習。いくつもの新出語を先生のモデルについて生徒がリピートするという作業をテンポ重視で進める。テンポ重視でというのはここでは良い意味ではなく、先生もひとつひとつの音を噛んで含めるように提示していない、生徒ももちろんほぼカタカナ発音でやたらはやくついてゆく、という意味だ。ひとしきり一斉練習が終わったら、こんどは個人を当てて発音させてみる。とりあえずどカタカナでも発音できる生徒も多い。が、ある生徒がさっき読んでいた単語が読めずに止まってしまった!すると先生は「なんで、さっきまで読んでいたそんな簡単な語が読めないの!」といった調子で、その単語のリピートをその生徒に3回、4回、5回、と強いてゆく。読めないのは繰り返しが足らないからだ、練習が足らないからだ、と思っているらしい。

それを見ていた私にはその生徒が哀れに思えて仕方なかった。その生徒はおそらく短期記憶も長期記憶も周囲よりもやや弱かったのだろう。しかし彼であっても、先生が「この単語は全体としてこういう音だ」というアプローチではなく、「この文字(列)は、こういう音だよ」というアプローチをしてくれていたら、それほど周囲に遅れずについていけたのではないだろうか。

さて、この「単語の発音指導は、Repeat after me. を超えなくてはいけない」という命題は、その延長線として、「センテンスの音読指導は Repeat after me. を超えなくてはいけない」という命題につながる。

あるセンテンスでは、強く読まれるのはどの語か、おそらくリンキングされるのはどの部分か、おそらく破裂音が開放されないのはどの部分か、ポーズがおかれるのはおそらくどこか、ピッチが上がるのはおそらくどこか、下がるのはおそらくどこか、などの判断が自分でできるようにならなければ、いつまでたっても自立的な音読者(インディペンデント・オンドッカー?)にはなれない。これは自分で文字をみて音声化の判断ができなければ単語が発音できないのとまったくパラレルであろう。

センテンスの音声化でも、まずはモデルを聞かせ、音声化のポイントを言語化して意識させることが必要だが、その後は徐々に、モデルを与える前に学習者に音声化させてみて、それに修正を加える、という作業が不可欠だと考えている。そのために私自身が実践し、かつ学生にも勧めているのが、まずセンテンスをみたらその音声イメージ(特にポーズやリンキングの有無や、音声変化の様子、文のストレスやイントネーションなど)を頭のなかで予想してみてから、ネイティブ音読のモデルを聞いてみて、自分の予想がどの程度合っていたか、どこが微妙に違ったか、というのを確認し、次の予測に活かす、という作業だ。この作業をやってみて、おおむね予想が的中するようになれば、自分の音読についてある程度の自信を持って良い、と考えている。




11/25/2021

機械的 にスペルアウトさせることから透けて見える、実はとても深刻な問題

 生徒に単語のスペリングを言わせる(スペルアウトさせる)光景をよく見かける。あまりよく考えずに実践されていることが多いと思われるので、考えるべきことを整理してみたい。

(1)単語を正しくつづれる能力と、口頭でスペルアウトする能力は、関連しているがイコールではない。おそらく後者があれば前者はできるが、逆は必ずしも真ではない。自分でよくよくスペリングも発音も熟知している単語でも、スペルアウトはスムーズにできないことがあるのは自らを実験台にして確かめられる。果たして、初学者である生徒に、スペルアウトの能力は必要だろうか。私は必要ないと考える。

(2)スペルアウトするには、それぞれの文字の名前を正しく発音し、かつ3文字ないし4文字ごとにチャンクとして固めて、リンキングさせ、リズミカルに言うことが望ましい。果たしてそれができているか?単に、どカタカナ発音で、ティー、エイチ、ユー、アール、ディー、エイ、ワイ、と言わせることにどれだけ価値があるだろうか。私にはほとんど価値がないと思われる。ティーエイチューアー、ディーエイワーイ、と言うなら少しは文字の発音練習にはなるだろうが。

(3)スペルアウトさせようと言う発想は、フォニックス的な感覚を指導していないことの裏返しであることが多くないだろうか。つまり、Thursday という語を提示するときに、TH[θ] + UR[ə́ːr] + S[z] + D[d] + AY[eɪ] でそれぞれの音があるので、足し算して θə́ːrzdeɪ なのだ、という指導をせず、機械的かつ丸暗記的にスペリングを何度も言わせて覚えさせる、という発想になっていないだろうか。フラッシュカードで単語全体を提示して、全体でこういう音だ、スペリングは何度も目でみて覚えろ、スペリングを言って覚えろ、という指導と言えない指導になっていないだろうか。

(4)どカタカナ発音でスペリングを言わせるのは、英語の音自体をきちんと指導していない、英語の文字と音の関係をきちんと指導していないことの裏返しではないだろうか。library  に対して、エル、アイ、ビー、アール、エエ、アール、ワイ、と言わせる必要はまったくない。なぜなら文字をそのまま読めば発音になるし、発音をそのまま文字で表せばこのスペリングになるからだ。発音をきちんと指導しないから、生徒とすると「クソ暗記」をせざるを得なくなり、「えっと、LかRだっだけど、どっちが先だったけ?」ということになるのだ。

日本の街中の様々な掲示物に見られる英語スペリングは、日本の中学高校(+大学)の英語教育の成果の端的な現れだと思うが、L/Rの混同が半端ないのは、多くの学校で発音指導せずに機械的なスペルアウトをしていることの必然的な帰結だと言えるだろう。


以下はFacebook Groupの、Engrish in Japanに投稿された写真のほんの一部である。











11/24/2021

自分の部屋をキレイにすれば、自ずと他人の部屋も気になってくる

久しぶりに中学校英語研究会に招かれて、研究授業を観た後、その講評及び講演をしてきました。

授業は指導案の、「主体的にとりくむ態度の評価の工夫」という文言からして「おそらく」とは予想していたのですが、やはり....。対話教材の不十分な一斉指導のあと、生徒に丸投げで「練習」させたあと、必然的にザ・デフォルト日本語ネイティブ英語音声で「発表」させて、それを的外れに「褒める」という典型的な手順。英語人生の事実上の出発である、大切に大切にすべき中1でこれか、と暗い気持ちになりました。

講評で最初にお伝えしたのは以下の内容です。

「ここは英語を教えるプロだけが集まっている閉じた場なので申し上げますが、授業者の先生は今日の教材に関してご自分の音声レベルをもっと上げていただきたいと思います。そうすると見えるものが違ってきます。汚部屋にいると他人の汚部屋は気になりませんが、自分の部屋を綺麗にすると他人の汚部屋が気になり出します。その状態になったら生徒の音声レベルをどうやって自分のところまで引き上げるかを考えて下さい。生徒は楽しそうでしたが、あれで満足させては彼らが可哀想ですよ。もっとずっと上手くしてあげられます。」

大きなメッセージは以上ですが、あと申し上げたのは以下の3点です。

(1)単語の綴りを(日本語ネイティブ英語発音で)スペルアウトさせていましたが、あれは、英語の文字を一文字一文字読ませて音声化する指導が欠如していることの裏返しです。Novemberのつづりを機械的に「エヌ〜、オオ、ブイ、イイ、エム〜、ビイ、イイ、アール」などと(しかも非英語発音で)言わせるのではなく、一文字一文字との対応を意識させながら、「ノウ...ヴェンm ブァ〜」ときちんと言いながら書かせる指導をしてください。

(2)教師の肉声での音読と、CD音声を聞かせるのと、棲み分けを意識してください。CD音声を聞かせてもそれだけで英語の音声が聞こえて真似ができる子は5%くらいです。あとの生徒はいくら英語音を聞いてもカタカナに翻訳して聞いてしまいます。だからそこで、教師の肉声でのコメントが必要になります。また特定の母音や子音を強調したり、リンキングを説明したり、ゆっくり発音したりして、徐々にCD音声のレベルまでもっていってあげるのが教師の肉声の役目です。

(3)Megのことを Megu と言っている生徒がいましたが、MegとMegu は音声数も違ってかなり違います。そういう母音を付加する、しない、というのは英語音声にとってとっても大きな問題です。たかが Meg vs. Megu ですが、すべてに通じます。MegをMegu と言う子は、nurseのことも、narsoo と言うでしょう。


この後講演に移り、最後は以下のスライドで結論づけました。

Let us teach English rather than Engrish.

 
【心】日本語ネイティブのための英語発音指導の重要性をきちんと認識し、それを生徒に本気で伝えましょう。
【心】生徒全員の発音が底上げされるように、授業ではいつも「まずはクリアな発音ありき」ですべての活動を組み立てましょう。 
【技】グルグルをして、発音技能をコンスタントにシステマティックに訓練し、かつ評価しましょう。 
【技】是非、授業のルーティーンに歌を取り入れましょう。





11/19/2021

レベル別4技能教科書 Ambitionsシリーズの著者による使用法紹介セミナー 12月5日(日)14:00 -15:30


 ご好評をいただいているAmbitionsシリーズですが、改めて概要と、3名の著者それぞれによる実際の授業での使用法をご紹介するセミナーを開催します。熊澤先生は教科書をそのままつかったオーソドックスな方法を、靜はオンデマンド動画の制約のなかでのインタラクティブ性の演出を、望月先生は題材の背景や関連話題にまでふくらませる手法を、それぞれお話する予定です。どうぞ奮ってご参加ください。