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6/26/2016

reflesh しましょう

青森にリフレッシュ村というのがあるらしい。そのリフレッシュ村の関係者にはきっと罪はないのだろうが、その近隣の交通標識のすくなくともひとつが、

→ Reflesh 村

となっていることを、一瞬だけ映ったテレビ画面で確認してしまった。

なんだか恐ろし気な村である、人の肉をはいで剥製でも作っているのだろうか、などという妄想が一瞬だけ浮かんだ。

普通の人からもこういうミスがなくなるのが、われわれの目標であると思う。

6/20/2016

「弱形など教える必要はない」

今読んでいる LFC に基づく発音本に、上のような考えが述べられている箇所に出くわした。

Teaching the Pronunciation of English as a Lingua Franca
Robin Walker

教えられない (unteachable) だし、LFC intelligibility を損なうから、という。

そういえば、結論としては若林先生も同じようなことをおっしゃっていた。

若林先生がそうおっしゃっていた理由は、確か、「すべての音をきちんと発音する、ということを習得するのが、基礎段階ではたいせつだ」といったことだったと記憶する。

若林先生のおっしゃる、ひとつひとつの音をきちんと発音させるのがまず大切だ、というのはまったくその通りだとおもう。

しかし日本人英語のプロソディが多くの場合、ターゲットとかけ離れることの大きな原因として、reduced vowelの不使用があるので、母音が伸び縮みしたり、顔色がかわったりするという現象は、早くから慣れさせたい、と今は思っている。

きちんと教えれば決して unteachable ではないし、必ず弱形を多用する母語話者を聞くときにも、自分でもそのような発音をしていたほうが、当然聞き取りやすい。

母音の音価をストレスによって変えるスキルは最重要 teaching points のひとつだと思う。

6/19/2016

猿にはできない授業を

電子黒板を操作するのはたぶん猿にもできる。

単に電子黒板の本文のボタンを押して、本文のモデル音声を流すだけなら、たぶん猿にもできる。

猿にはできないコーチングをするために、人間の教員はいる。

生徒がリピートした音声を聞いて、それをどうするか、が人間の教員の勝負なのだ。

生徒の英語人生を決めるのはあなた

その子の英語人生は、中学1年、2年の担当者で決まります。その責務の重大さは強調して強調しすぎることはありません。

現在完了を教える時

押さえてほしい点は

have + 過去分詞 の have は肯定文では弱く、文ストレスがないこと だから  ave
になったり、 ve になったりする。

have + 過去分詞 なのだから、「現在形」であること。あくまで現在のことを言っている。つまり、過去分詞で表される状態を「現在、have 持っている」というのが現在完了の本質であって、それが、完了なのか継続なのか、結果なのか、経験なのかは、2次的な分類であって、文脈によって決まること

また、発音的に、 have you ..が出てきた時に、生徒が  hab you と言わないようにするのが、この表現を導入する中2?担当者の大きな義務です。そこを怠ると、大学生になっても大人になっても、vを両唇で発音しつづけるのです。

vを言う時、全員の生徒が、上唇を動かさなくなるよう、責任をもって、しつけてください。

神は細部に宿る

神は細部に宿る、と言いますが、同様に、授業の価値も細部に宿ります。

生徒がどういう答えをしているか、どういう音声を出しているか、それを先生はどういう表情で見ているか、どこに視線を配って聞いているか、それに対してどういうアドバイスを、どういうタイミングでしているか、によって、授業の質が決まります。

テストに出す、からではなく

「テストにたぶん出します」(だから覚えましょう)という言葉はやめましょう。

テストに出すから覚えるのではなく、英語という言語を身につける上で大切だ、ということを伝えてはどうでしょうか。

教員の言葉のひとつひとつによって、生徒が、英語を「テストに必要だからやる教科」ととらえるか、「世界中で話されているから身に付けるべき言語」とらえるかが決まると思います。

6/16/2016

実習生の95点授業! - 5年ぶりの虎の目、龍の耳はサッカー大好き先生だった -

新幹線で3時間かけ、しかも前泊して臨んだ、きょうの教育実習訪問指導。

往復6時間と1泊だけの価値はあるだろうと密かに期待はしていたが、その期待以上にすばらしい授業で、見ていて胸に熱いものがこみあげた。

実習生の授業をみてこういう気持ちになったのは、5年前の「虎の目、龍の耳」のヒョーちゃん以来である。

私が教師にやってほしい・持っていて欲しいと思っている要素、この2年あまりに授業で伝授してきたテクニックが、これでもかと、詰まった50分間だった。

■生徒にきちんとした英語を教えようという愛情に満ちた気迫。

■生徒の口をよく見て、音をよく聞いて、的確にフィードバックする姿勢と技術。

■私直伝?の菜箸活用大ジェスチャープロソディ指導。

■生徒に英文を言わせるとき、reactive ではなく、proactive に、どこが強いのだっけ?と確認してから、そのように言わせるうまさ。

■自分の口を指さし注目させて行う発音指導ができる自信とキャラ。

■教科書本文にreally が出てくるからと選んだBGMの I really like youによる雰囲気盛り上げ。

■Really? をきちんと発音させる力量。 reallyが言えない現役教師さえ、そう珍しくないというのに。

■aeの指導のために、いまは「亡き」?世界のナベアツの「せぁ~ん!」を出すことを楽しめるキャラ。

■aeのイメージ表現として、変顔をしながら、のけぞってみせることができるキャラ。

■カタカナ的発音と英語的発音の聞き取りゲームをさせられるスキル。

■グルグルの時に生徒から30センチの距離で生徒の口を凝視し、即座にフィードバックできるスキルとキャラ。

■生徒のコーラス音声をききとって、「ああ●●がだめだね」と即座に診断・評価して、●●の音の修正・強化のために、次々に繰り出す、Englishアイウエオと English五七五のの数々。(8年前、苦労して「オヴァサンノ、コウヴツ。。。」を考えだしたかいがあった、というものです。)

そしてこういうなりふり構わぬ熱血音声指導の効果がこの2週間の間にしっかり26人の中学1年生に根付き、生徒の口からでてくる英語の英語らしいこと。

インタビューゲームは過去に何度も見たが、生徒があれだけしっかりした発音で活動するのは初めて。過去に見たのは覚えている限りすべて、生徒同士が紙を見ながらどうしょうもないカタカナ発音でやりとりする、という時間の無駄としか言えないシロモノばかりだった。そのため、インタビューゲームなどすべてやめてしまえ!という指導助言をしたことさえありました。が、きょうのようなインタビューゲームならやる価値はある。

担当学年だけでなくすべての学年の授業に顔をださせてもらい、◯◯ラボ、と称した発音塾を行って学校中の人気者になっている、という。

今日の授業は、実習生としてだけでなく一般的な英語の授業として、わたしの採点は95点。 (一緒に見ていた淡路先生の採点は90点くらいか?)

私の減点の5点は、比較的マイナーではあるが、実は大事な、以下の発音イマイチな箇所および、英語としてダメ表現、イマイチ指導法によるもの:

1  最初の挨拶。大きな声で、Good morning ミスター◯◯◯! と言わせていること。Mr.が、ミ・ス・ターという4拍でなく、MISterという2音節で、MISのほうが長く、terは短いのだ、というのは、日英の差の典型的な例としてうってつけなのである。 Good morning, Mr. ◯◯◯ を、  oOo Oo oOo!  というリズムで言わせなければならない。

2 What's the date? が、ご多分にもれず、What the date? となってしまい、sが言えてないこと。thの前の /ts/ は確かに難しいのだが、What's this? など、多くの基本表現に現れるので教師としてはしっかりマスターせよ。

3 Thursday の th  ur それぞれにポイントを置いて指導してたのはさすがわが教え子。しかし綴りを、ティー・エイチ・ユー。。。とスペルアウトさせたのはまずかった。単語の構成する文字の名前を
言わせるのではなく、th-ur-s-d-ay という文字に対応する「音」を確認するのが先決。

4 ドレミの歌の、golden sun は、goldn であって、golデンじゃないよ、と言ったまでは良いが、自分で、golデン sun golデン sun   a drop of goldn sun! と、最初の2回のgoldenの発音をミスったこと。

5 いくら I like .... を練習させたいからといって、冠詞や複数形は未導入だといって、 I like textbook. / I like apple. といった非文を言わせてはダメ。 (ただ、textbook を、tekisut book ではなく、きちんと2拍で言わせたのはエライ。)

6ドレミの歌、全体に「見事!」な指揮ぶりだった。が、最後の最後、do re mi fa so la SHI と言っていたぞ!残念。

7 最後の最後、That's all for today's my lesson. にはずっこけた。 my today's lesson か、my lesson, today.である。 

以上は私の評価だが、一緒に見ていた淡路先生はこれらに加えてまたちょっと別の、ちょっと前まで現役中学教員だった視点から、するどく、きめ細かいコメントをされていた。テイストの違いは多少あるものの、私も首肯することしきり。

いずれにしても、今回の訪問実習は more than well worth it だった。

必ず良い教師になれよ!








6/11/2016

本文を英語で語って欲しい

今日は、淡路さんと、実習生の授業参観。教職担当のふたりが、それぞれビデオを担いでいって別の角度から撮影って、なかなかそこまでやる大学はないでしょう。

授業自体は予想を上回るパワフルさで、ある意味では大満足、ある意味では不満。

不満はいくつかありますが、根本的なものは、教科書本文の表現のみに縛られてしまい、その解説、音読、に終始してしまったこと。

教科書本文を、もっと教師の英語で語って欲しかった。

例えばこんな感じはどうですか。

本文:

It may be difficult to think of your body as being smart, but to be body smart, you need to use many different parts of your body.

に対して、

IT may be difficult . . .

ITって何よ?

WHAT may be difficult?

TO THINK may be difficult. (といいながら、 it と to を結ぶ)

to think what?

to think of your body as being smart

to think of A as B

this is..

to think that A is B

so,

[ to think that you body is smart ] may be difficult

なんでそう思うのが難しいのかな? それは、ふつう、

He is smart.  means   かれは頭がいい、 直訳すると、 His brain is good.

so, being smart is about the brain.  being smart means that the brain is good.

だからでしょうね。

で~も、かんがえてみましょう。。。

you body is controlled by .....what?  what controls your body?

yes, your brain!

so, if you body moves works very well, that means, your brain works very well.

つまり、

if you are body smart, if you are good at moving your body, your brain is very good.

so, being body smart is also about the brain.

すると結局, to think of your body as being smart is not difficult.

一理ある訳ですね。

Actually, I am good at Lacrosse.  I am a very good Lacrosse player.  That means, I am body smart!  and that means my brain is great!  YEAH!!!!

とかどうでしょう。日本語入れすぎ?

こういう構文の解説、構文の理解こそ、英語で迫ってもらいたいな。

一昨日見に行った実習生も、今日の彼とはキャラこそ正反対ですが、気絶しそう(!?)になりながらも、精一杯頑張っていました。

そういうそれぞれの必死さをみると、普段の我々の指導の振り返りにもなります。

残りの日々も、しっかりやってください。


6/10/2016

「受験読解」の授業について:黙読に価値はあるのか

最近、「受験読解用」「受験対策用」と教員が銘打った高校の授業をふたつほど観察する機会があり、考えた(悩んだ)ことがあります。

ふたつの授業の共通点は、教師が音読をせず、生徒も音読をしない、ことでした。

英語音声なしでなにをするかというと:

授業Aでは、生徒が黙読しながら、プリントしてある TF 問題に解答し、しばらくしてから教員主導で答え合わせをし、最後に1回だけ音声CDをかける (これは授業の1部分なので、全部で10分くらいでした)

授業Bでは、1時間かけて2パラグラフの1文、1文を、精読してゆく(精読のしかたは後述します)

というものでした。

授業Aで引っかかったのが、最後に音声CDを1回だけかける、というところです。どうしてかけたのですかと尋ねると、「発音の確認をさせたかった」とのことです。確認しなければならないとすると音声があやふやな英文を黙読していたことを承知していた、ということになります。

もちろん受験でも実生活でも、知らない単語を含む英文を読むことはあるでしょう。しかし、文字をみて読めない(音声化できない)単語があるような状態で黙読することにどれだけ意味があるか疑問です。

そのような不安がある状態ならば、黙読で問題を解かせる前に聞かせなければならないのではないでしょうか。

授業Bで引っかかったのが、教師からの発問および生徒同士のペアワークの内容が、私の基準では過度に分析的、分類的、明示的な文法観、構文観、リーディング観にもとづいているように思えたことです。

of の意味にはいくつあったっけ?

等位接続詞にはいくつあったっけ?

-ingが現在分詞か動名詞か見分ける基準はなんだっけ?

makeが、(1)つくる、のか(2)変える、のかを見分ける基準はなんだっけ?

と言った発問が主体です。

彼の発問の8割は、私には答えられないものでした。

そういういわば予備校授業的な発問を主体に授業は進み、それに生徒はよく答え、またテンポよく進められるペアワークでも、AさんがBさんに言う内容は、そういった文法的用法の分類名ラベルを列挙する、といったもの、あるいは、指定された文、フレーズをうまい日本語に直した訳文を言う、といったものです。

どうなのでしょうか。私は自分自身がそういう明示的分類的文法分析を学習者としても通って来ておらず、いまだに第◯文型とは何なのか知らないというか覚えていないし、SだVだOだCだと言われると蕁麻疹がでる(のは盛ってますが)くらいなので、そういう宣言的知識を増やすことがどれだけ、読解スキルという手続き的知識につながるのか確信が持てません、というのは控えめな言い方で、懐疑的である、というのが正直なところです。

50分間をつかって2パラグラフの解読および日本語訳練習が終わっただけ、というのも、50分間の使い方、バランス、コスパとしてどうなのだろうか、という気がします。

英文の修飾関係、構文を自力でつかむ訓練は大切と思いますが、それは時間の5割に押さえて、のこりの5割は、意味と構造のわかった英文を読み込み、そのフレーズ感覚、構文感覚、左から右感覚を少しでも身体に染み込ませるように、血肉化するように、繰り返し鍛錬するほうが、総体的に、次の新しい英文に立ち向かう自力はつくのではないでしょうか。

そして黙読と音読の比較ですが、音読すれば意味と構造が見事に音声的(セグメンタルも、ポーズも、フォーカスの位置も、強弱も、ピッチの抑揚もすべて)に表現できる学習者なら、黙読だけでよいと思いますが、それができない学習者が、脳内に適切な音声イメージが再生できないような状態で視覚にたよった、つまり脳内音声化がまともになされない黙読だけをくりかえしても、それがどれだけ言語獲得に資するのか、疑問です。

「コミュニケーション英語」の授業と、「受験対策読解」の授業と、方法を変えるということ自体が、どうも腑に落ちません。コミュニケーション英語にもっとも有効な授業方法、学習方法が、読解すなわちリーディングにも有効であり、読解に有効な方法はそのままコミュニケーション英語にの有効だと思います。リーディングというのは、紙に書かれた英文から、書き手の意図、意味をつかみとるという、コミュニケーションそのものだからです。

「本番」のテストでは、ひとりで、辞書もつかわず、黙って、問題を解く、から、それに熟達するためのもっともよい方法は、その条件を再現して、ひとりで、辞書も使わず、黙って、問題を解く、ことではないでしょう。

ひとりで、でないことは異論がないでしょう。でなければ、授業しないで自習が一番となります。

辞書も使わず、でないことにも異論はないでしょう。辞書をつかわず推測する訓練、あるいは読み飛ばす訓練も多少の価値はあるであろうものの、より重要なのは辞書などを使って語彙のサイズ、深さを拡充し、また語彙認識の速度を増すことのほうが圧倒的に重要なのは火を見るより明らかです。

黙って、はどうでしょうか。「本番」では黙って読むから、黙って読めるようになるためには、黙ってよむことを繰り返すほうがよいのでしょうか。わたしにはどうもそうとは思えません。いまだにへっぽこドイツ語を頑張っているのですが、スラスラ、正しい発音で、構造をとらえた読み方で音読できない私が、字面だけを目でおってドイツ語文章を読むことが、ドイツ語読解力を向上させるとは思えません。黙読する資格がある、言い換えれば黙読から利益を得られるのは、音読に十分熟達している学習者、あるいは、その文に関しては十分に適切な音読ができる学習者だけ、なのではないでしょうか。

You need to be good enough at oral reading to be able to benefit from silent reading practice.  If you want to be good at silent reading, be good at oral reading first.

問題を解く、のも、それがよくできるようになるための近道は、問題を「解く」ことである、はずはありません。本文とそれについての質問文によく答えられるようになる方法は、本文と質問文をきちんと理解することであって、べつに「問題を解く」訓練はいらないはずです。数学の問題とはわけが違うのですから。「解法」などはありません。書いてあること、聞こえてくることの意味がきちんとわかることが出発点であり到達点であり、必要にして十分なことではないかと思います。

いつの日か、正しく parsing できて、効率的に意味処理ができるようになる近道が、ごてごてした文法用語と用法ラベルを引き出しに貯めこむことことだ、というのは myth なのではないでしょうか。

ただ授業者の名誉のために言っておくと、授業Bの先生の授業テンポはすばらしいものでした。発問も、個人指名した生徒がうまく答えられないとすかさず、「ペアで相談!」と指示し、「◯◯を15秒で。15,14,13、、、、3,2,1、終了!」と 盛り上げ、「これはまず個人で考えて!」10秒後に「じゃあ、ペアで相談!」など、非常にキビキビと指示の通る、めまぐるしく展開が変わる授業は見ていて気持ちの良いものでした。ただその発問の中身、ペアワークの中身が、私には違和感が大きすぎるものだ、というだけです。

さすが、我が教え子。今日の授業は「受験用読解」だということでしたが、「普通」の授業では新作の技をいくつも開発したということで、見せてもらうのが楽しみです。



伊奈学園総合高校での3回めのステージ

今日は、伊奈学園総合高校に招いていただき、「大学出張講義」をやらせていただきました。実はこの企画に呼んでもらったのは3回目。

1回めは5年前で、当時いろんな意味でマイブームだった Lady Gaga の Born This Way をやりました。やりました、というのは、大テーブルを6つくらい組み合わせてもらって仮設ステージを作り、その上でステップなども入れながら、歌の指導をした、という意味です。

2回めは3年前で、やはり当時のマイブームだった One Direction の What makes you beautiful をやりました。

3回めの今日は、曲目がぐっと古くなりますが、今のマイブームのひとつの、Bette Midler の the Rose をやりました。いままでの2回とは違って、歌詞のクローズ穴埋め、rhymeの指摘、倒置構文の通常構文への組み換えなどもとりいれた、やや「お勉強」色のバランスを増やした「ステージ」にしてみました。まあお勉強とはいっても、メロディの紹介でいきなり Xaphoon  Pocket Sax を吹いてみたり、空欄をサイレン音で置換した音源を流したり、という「おかず」でカウンターバランスはとりましたが。

1~3年生まで90名ほど参加してくれたのですが、音節の解説、歌詞の穴埋め、実際の歌唱練習、L・Rの発音ペアワークも、全体で90分の枠にぴったり収まり、うまくいったように思います。

最初にリピートで歌わせたところ、ほとんど / r / の音はできているので、びっくり。伊奈学園の先生方のひごろの音声指導がいかにきっちりしているか、ということでしょう。ただ、やはり / l / のほうはまずかったので、指導したところ、その場で一発で直りました。こちらも、普段の指導によって下地ができていたのだと思います。最後の合唱も、けっこうクオリティの高い状態でできたと思います。

ちょうど教育実習生が来ていて2名ほど後ろで聴講していたのですが、後で聞いてびっくり、5年前に Born This Way で参加していた高3?のなかのふたりだった、というのです。その子たちがいまや大学4年になって母校に実習に来たところ、またステージを組んで大学出張講義があるというので、もしやと思って聞きに来ると、また同じ先生だった、と。

実は今回招いてくれた伊奈学園の先生は、埼玉大時代の私のゼミ生だったのですが、この教育実習生は彼の教え子だったといいます。つまり、私の教え子がこの先生で、この先生の教え子が彼女らだ、という関係で、「いわば孫弟子ですね」とは、彼の弁。聞けば、その実習生も本当に教員を志望しているとのことで、実際に教員になったならば、確かに私の孫弟子にあたります。是非、頑張ってもらいたいと思います。

今回は勤務校の入試広報を趣旨として行ったのではないのですが、ステージが終わった後に、ひとりの2年生がやってきて、大東文化大学に興味が出たのでくわしく教えて下さい、と言ってくれた、という嬉しいオマケまでつきました。


6/07/2016

教育実習生に告ぐ

下手でもいい。下手なのは当たり前。

段取りが少しくらいおかしくてもいい。多少、手順が前後しても大差はない。

他の何はなくてもいいから、これだけはきちんとやってもらいたいこと。

それは、きちんとした即時評価、きちんとしたフィードバック、きちんとしたアドバイスだ。

コーラスで言わせたら耳を澄ませ。

個人を指名して言わせたら、きちんと聞け。

とてもよかったら、とてもいいからその調子で、それを忘れないように、と言え。

ほとんど良いけれど、惜しい点があったら、その惜しい点だけ修正すれば良くなると言え。

全然ダメなら、全然ダメだ、何がどうダメなのか、何を意識してやるべきなのか、言え。

ダメだったら、もういちどやらせろ。

もういちどやらせてダメだったら、さらにもういちどやらせろ。

それでもダメだったら、そのままではダメだ、とはっきり言い、次の生徒に移れ。

ダメなクオリティと、よいクオリティがどういうものなのかを、本人はもちろん、周囲の生徒にもはっきりわかるように言え。

もっとうまくなるにはどうしたらいいか、はっきり伝えろ。

それだけきちんとできれば、あとはとりあえずはどうでもいい。

逆に、その部分がないならば、あとはなにがあってもなくてもどうでもいい。

6/04/2016

英語力の向上を実感して楽しい

4月から新たに教壇に立った教え子から、部活指導で忙しいですが、授業中には生徒の英語力(発音など)の向上を感じられて、教員としての喜びを味わい始めました、という近況報告に接し、彼を教えてよかった、という喜びを味わう。

父と息子のシートノックにみた英語授業の原点にして理想形

先日、ジョギングに行った公園で、父親が小学生低学年くらいの息子にシートノック練習をしていのるのを見た。父がノックした打球を息子がキャッチし、それを球出し役の母親に投げ返し、それをまた父がノックする、という微笑ましい3人家族の風景だった。

印象に残ったのは息子のプレーに対して、逐一、かならず逐一、父親が声をかけていたことである。

うまくキャッチできたときは、「そうそう!」

もうすこしでキャッチできそうだができなかったときは、「そこそこ!」

この2種類である。

つまりうまく言った時は、いいよ、その調子だよ、と肯定的フィードバックをし、ダメだった時は、ほら、そこを頑張らねばだめだよ、と否定的(という用語は misleadingだと思うのだが)フィードバックをしているのである。

考えてみれば当たり前のことだ。別に野球のシートノックに限らずに、あらゆるスポーツ練習で、リアルタイムで、「そうそう!」という reinforcing なコメントと、「そこをもっと◯◯に!」という corrective なコメントはあたりまえに見られる。

そのプレーをもっとうまくしてやりたい時には、自然に、あたりまえに、リアルタイムに、その瞬間にでてくる言葉である。

英語授業でも同じはずなのだが、なぜか、現実には同じではなく、うまくできてもできなくても、リアルタイムには何もいわず、おわったあとに、「よくできました」という空虚なコメントをして終わり、生徒のプレーレベルはずっと足踏みのまま1年が過ぎる、というのが多いように思う。

当たり前のことをなぜ当たり前にしないのか理解できない。

結局は、根本的な問題として、目の前の子どもをもっとうまくしてやりたいとい思いがないのだろうか。

リアルタイムで、その時その時、短くてもいいから、評価を伝えよ。その調子でやればいいのか、直すべきところがあるのか、どの方向で努力すればいいのか、どの程度努力すればいいのか伝えよ。

それをしない教員は「教」員ではないし、その場にいる意味がない(だろ?)。

8月6日(土) 授業の様子をビデオでお見せします

下記の日程でベルク研究会を行います。

今回、私個人は、学生をアクティブに学習に取り組ませる試みとして、昨年から始めている、歌「のみ」をメイン教材とした100人超のクラスでのグルグル授業の様子を紹介いたします。

現在、ビデオ編集中ですが、グルグルに関しては、やりながら手持ちで自分で撮影しましたので、私と学生の間の 50 cmの距離で何が、どういうふうに起こっているのかの空気感を、臨場感をもって体験していただけます。

また大学の大教室で100人超のクラスをどうやって動かして活発な空気を維持しているのか、どういう空気感でひとりひとりマイクを持って皆の前で歌わせて音声指導を行っているのか、などもよくわかるビデオになっています。

どうぞいらしてください。

http://www.velctest.org/misc/160806_lecture/

英語能力測定・評価研究会[VELC研究会]

第5回研究会 8月6日(土) 13:30 ~ 16:30


1. 基調講演「VELC Testの概要と妥当性について」
水本 篤(VELC 研究会・関西大学准教授)
熊澤 孝昭(VELC研究会・関東学院大学准教授)
2. 基調講演「VELC Testの導入とその活用法: 大阪工業大学知的財産学部」
井村 誠(大阪工業大学教授)
3. シンポジウム
テーマ「私の考える アクティブ・ラーニング 大学生をやる気にさせる英語授業の提案」
シンポジスト:
 淡路 佳昌(大東文化大学准教授)
 望月 正道(VELC 研究会副会長・麗澤大学教授)
 靜 哲人(VELC 研究会会長・大東文化大学教授)
コーディネーター:水本 篤