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6/04/2016

父と息子のシートノックにみた英語授業の原点にして理想形

先日、ジョギングに行った公園で、父親が小学生低学年くらいの息子にシートノック練習をしていのるのを見た。父がノックした打球を息子がキャッチし、それを球出し役の母親に投げ返し、それをまた父がノックする、という微笑ましい3人家族の風景だった。

印象に残ったのは息子のプレーに対して、逐一、かならず逐一、父親が声をかけていたことである。

うまくキャッチできたときは、「そうそう!」

もうすこしでキャッチできそうだができなかったときは、「そこそこ!」

この2種類である。

つまりうまく言った時は、いいよ、その調子だよ、と肯定的フィードバックをし、ダメだった時は、ほら、そこを頑張らねばだめだよ、と否定的(という用語は misleadingだと思うのだが)フィードバックをしているのである。

考えてみれば当たり前のことだ。別に野球のシートノックに限らずに、あらゆるスポーツ練習で、リアルタイムで、「そうそう!」という reinforcing なコメントと、「そこをもっと◯◯に!」という corrective なコメントはあたりまえに見られる。

そのプレーをもっとうまくしてやりたい時には、自然に、あたりまえに、リアルタイムに、その瞬間にでてくる言葉である。

英語授業でも同じはずなのだが、なぜか、現実には同じではなく、うまくできてもできなくても、リアルタイムには何もいわず、おわったあとに、「よくできました」という空虚なコメントをして終わり、生徒のプレーレベルはずっと足踏みのまま1年が過ぎる、というのが多いように思う。

当たり前のことをなぜ当たり前にしないのか理解できない。

結局は、根本的な問題として、目の前の子どもをもっとうまくしてやりたいとい思いがないのだろうか。

リアルタイムで、その時その時、短くてもいいから、評価を伝えよ。その調子でやればいいのか、直すべきところがあるのか、どの方向で努力すればいいのか、どの程度努力すればいいのか伝えよ。

それをしない教員は「教」員ではないし、その場にいる意味がない(だろ?)。