1 はじめに
大学入試センターの職員の方から訪問を受け、現行センター試験の後継となる新テストの実施済み試行版についての意見を求められた(このことは守秘義務を伴う業務ではないことは確認済みなのでここに書いている)。
その時尋ねられた一つのポイントが、現行のセンター試験にはある発音問題が、新テストの試行版にはないが、それについてどう思うか、ということであった。それについての私の考えは以前から変わっておらず、「現状のような紙と鉛筆による発音問題は、high-stakes テストにおいてはないほうがよい」というものであり、今回もそのようにお答えした。良い機会なので、なぜそう考えているのかをここでまとめておきたい。
2 現状の発音問題の本質
確認しておくと「現状のような紙と鉛筆による発音問題」とは、複数(通常4つないし5つ)の単語のそれぞれ一部分の文字に下線を付して、その下線部の発音の異同を問うものである。
つまり、「文字(列)は同じなのに、発音が違う」あるいは「文字(列)は違うのに、発音が同じ」という部分が出題対象になるわけである。
2018年度の第1問では、i の2種類の発音、edの有声・無声、ir, ar, our, orのうち中舌母音はどれか、が問題になっている。
逆に言うと、原理上、「この文字であれば必ずこう発音する」という部分は、出題されない。
3 現状の発音問題で問えない部分
すなわちもっとも重要な子音の発音はほとんど出題されない。たとえば lはいつでも/l/なので異同問題にはならない(明るいL、暗いLなどの異音の区別はもちろん出題範囲を超えるので)。rはいつでも /r/なので、異同問題にはならない。thはいつでも(有声・無声の違いはあれど)thなので異同問題にはならない。fもいつでも(有声のこともまれにあるが)/f/なので異同問題にはならない。vもいつでも /v/なので異同問題にはならない。
こうすると、日本人学習者にとっての最大の習得ポイントである L, R, TH, F, V は出題対象ではないのである。これらの音は、つづりを見ればその音だということがわかるからだ。
4 その問えない部分こそが発音スキルの肝
しかし英語発音に関して日本人学習者が最大のエネルギーと注意を注いで習得せねばならないのは、特定の子音字を見たら必ず、自動的に、その子音文字に相当する子音の調音のために発音器官を動かすようにする、そういう筋肉のスキル、習慣形成である。
Lを見たら(少なくとも明るいLの場合は)舌先をしっかりと歯ぐきに長めに接触させる、Rを見たら絶対に舌先をどこにも接触させない、THを見たら必ず舌先を前歯に当てる、VあるいはFをみたら必ず下唇を上前歯に当てる、そういう反射的な習慣である。
5 中高の英語授業の悲しい実態
しかし残念ながら、そういう習慣形成を促している授業は、今の中学・高校ではかなり例外的だと思わざるを得ない。ほとんどの場合は、LもRもTHもFもVも、生徒は日本語の音素を代用して発音し、教師はそれをスルーしているはずだ。
6 「発音問題」の免罪符化
つまり、中高英語教師が、(1)一方で実態として、発音スキル習得のもっとも大切な部分は(ほぼ)まったく無視した授業を行いながら、(2)その一方で「発音問題」と称した「問題」を受験対策のなかで扱うことで、「自分は発音を指導している」という大きな誤解・錯覚・勘違い・自分に対するごまかし、を生むことになっている、または、「自分は発音を指導していない」という罪の意識(があるかも疑わしいが)を取り除く一種の免罪符(=実際の発音スキルは一切指導しないという大きな罪を、曲がりなりにも「発音問題」を扱っているということで免れるための口実)を得てしまっている、と私には見えるのである。
7 免罪符を与えてはならない
そんな発音問題ならないほうがよい。あんなもので免罪の錯覚を与えるくらいない、まったく廃止してしまい、自分たちが実は発音(という筋肉スキル)をまった指導していないのだ、という嘆かわし事実を直視してもらったたほうがよい、というのが私の回答の理由である。
8 生徒にも悪影響
もうひとつの弊害は、「綴りが違っているのに発音が同じ、綴りが同じなのに発音が違う」という部分のみにフォーカスする問題を解かさせる学習者の中に、「英語の発音は綴りからはわからないのだ、ひとつひとつ丸暗記しなくてはならないのだ」というイメージばかりを刷り込んでしまうことである。
たしかに英語は他のヨーロッパ諸語とくらべると文字と音の対応関係が複雑にはなっている。なってはいるがご存知のように、慣れてくれば未知語ではあっても文字を見れば発音が推測がつく程度には、規則性が高いのである。
ところがそういう視点を中高英語教育で培われることが稀であるせいで、大学生になっても、英単語の発音は教師に教えられるまで、辞書で発音記号を見るまで、辞書で発音してもらうまで、わからない、という誤った感覚を持ち、英単語の文字をひとつひとつ発音することで全体の発音に至る、という発想がない学習者が多い。
これも「発音問題」の無視できない弊害である、と私は考えている。
9「発音問題」の対象を広げる可能性は?
以上の議論はあくまで「現状の発音問題」に限定して話であった。現状の問題が測定する構成概念は「つづりと発音が1対1対応していない場合に関する知識」だけである。実際の「スキル」はペーパーテストで測定することは不可能だとして、「知識」に関しては、測定する構成概念の範囲を広げることは、理屈の上では可能である。
現在の高校生は上で上げた最重要の6つの子音音素の調音方法についての知識すら、全員が獲得しているとは言えない。よって、それぞれの調音方法を言葉で記述して、または図で提示することで問う、ことは可能は可能である。
それではすぐに対策されて、全員が正解するようになり、識別力がなくなる、という議論もあるだろう。しかしそれはそれで良いのである。それはプラスの波及効果だ。現状では主要子音の調音方法の「知識」さえない受験者が、全員まずは知識だけは獲得するのである。
そしてそこで獲得される「知識」は、現状の問題で問われている言わば重箱のスミをつつくようなレベルの知識に比べると、重箱の真ん中のごちそうなのである。
さらに、より高度な知識を問う問題も可能だ。上で触れた明るいLと暗いLの区別、同じTでも帯気音になるばあいと、叩き音になる場合の区別、あいまい母音シュワの位置に関する知識、FとVの緊張度の差に関する知識、閉鎖音が開放する場合としない場合の区別に関する知識、北米発音では発音されるがイギリス発音では発音されないRに関する知識、あとに来る音が無声・有声の場合の直前の母音の長さに関する知識、フレーズのアクセントに関する知識、文ストレスに関する知識、などなど。
こう書くと、これらは今の中高のほとんどの先生の守備範囲を超えているはずだ。だからとりあえず現実的ではない。テストに出す前に、授業でしどうできるか考えるのが先だ、という話になる。
10 結論
だからまわりまわって結局のところ、ペーパーテストの発音問題など忘れたほうがいい、ということになる。ペーパーテストの些末な発音問題など解いているひまがあったら、そのまえに、主要な子音に関して、スキルとしての発音を「しつけ」て欲しい。
たとえば、英語のなかでもっともよく出てくると言われる子音の th 。theがいつでもどこでもtheと言う学習者が、自分のクラスに何割くらいいるのか、いないのか、をもっと気にして欲しい。rが言える生徒がどのくらいいるのか、いないのか、をもっともっと気にしてほしい。vで上唇を使っていないかどうか、もっともっと気にして目を凝らして見てほしい。いつでもどこでも注意を喚起し、筋肉習慣としての発音が本当にみにつくまで、何度も何度も指導しつづけてほしい。
その指導ができてきたならば、パフォーマンステストとしての、スキルとしての発音を評価するテストをやってほしい。まずは自分で自分の生徒をテストして欲しい。それを大規模 high-stakesテストでやるのが現実的か、コストパフォーマンスに見合った効果があるかは別問題である。