英語の免許とか、数学の免許とか、国語の免許とか、なんの免許かなんて、どれだけ意味があるのか?なんの免許だろうが、どの教科を教えても関係ないだろう。どうせ大した専門性なんかないんだし。
と言われたらどうだろうか。何を馬鹿な、ふざけるなよ、ということになるはずである。〇〇の免許を取得したということは、所定の科目群を履修して修得し、〇〇に関して専門的に教える知識・技能がある、と認定されたということである。その〇〇が関係ないなどと言われたら、教職課程の根底が崩れてしまう。
そう。しかし、ではなぜ免許と関係ない部活動を顧問として指導することが許されるのだろう。許されるというよりも、強制されるのだろう。その種目の知識も技能もまったくないのに、顧問になったその日から、その種目を指導する、すくなくとも練習の監督をすることが要求される。それがOKなら、英語の教員が、数学を見よう見まねで担当することもOKなのではないか?
4月から部活動の顧問も指導者として正式にみとめられ、大会の付き添いなどが教員なしでもできることになるという。大変によい改革である。ゆくゆくは、課内活動たる授業や担任業務と課外活動たる部活動を分業制にするのがあるべき姿であろう。部活動の指導にはそのための資格や免許を設定し、そのような有資格者があたるべきだ。授業の担当は有資格者がするのと同じように。
教科指導も担任も部活もすべてがセットで、週休1日もしくは週休なし、というのがノームだ、という職種では、それを受け入れるという人材しか集まらない。