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4/28/2018

スタバで起きたおもしろい出来事、3連発

今日はジャパンライムの撮影の帰りにスタバに寄ったのだが、そこでちょっとおもしろい出来事が3つ立て続けにおきた。

出来事1

まず、ラテを注文すると、女性店員が、マグでいいかと聞いたあとに

「素敵な帽子が似合ってますね。」

と注文と無関係なコメントを作り笑いとともに。

一瞬とまどったが、「あ、ああ、どうも。」と軽く返すとさらに

「あまり似合っている人がいないので、似合ってるなぁって。」

とまで言ってくる。

「ああ、それはありがとう」

と言って受取カウンターに移動したが、なんとなく釈然としない。



出来事2

マグカップでホットラテを受取り、若葉の風の心地よい店の外の席に陣取る。



二三人用の丸テーブルが4つほどと、10人がけくらいの長方形の大テーブルがひとつ。その大テーブルの一番はしに腰掛けた。スペース全体に、客は私以外には、丸テーブルに女性がひとりいるだけで、大テーブルは私だけ。

しばらくすると、通りを歩いてきた中国人とおぼしき若い男女のうちの男性が、英語で話しかけてきた。

男性: Excuse me. Where is トキワ ユニワ City?

私: Where are you going?

男性: Tokyo ユニワ City.

私:(なんかの地名だな。。) What city?

男性: Tokyo Yuniwa City.

私:  ユニワ・スィティ..  Is that a shop?

この時点で、男性はこまったように地図を見せてきた。どれどれ。。。と見ると、なんと

Tokyo University

だったのだ。

教訓:こちらが想定しているアクセントやリズムと異なると、これほど簡単な単語でも理解できない。uniVERsity が、univer SITy となり、vがwになって uniwa SITy となっただけで、university と思えなかった。

出来事3

というやり取りを私が立ち上がって行っている時に、目の端に、目の前の席に誰かが座るのが見えた。上のやり取りが終わって東大を目指して中国人風男女が去っていったあと、あらためてよくよく見ても、目の前の席、私の向い合せの席に彼、イケメンの若者が座っている。

先程の状況、10人がけくらいのテーブルで、他には誰も座っていない、というのは変わっていない。彼と私だけが向かい合わせに座っている。。。 なんか妙だな。。

しばらく逡巡したが話しかけてみた。

日本人ですか?

ーー はい。

(ふとみると、首からパスのようなものを下げている)

スタバの人ですかね?

-- はい。休憩時間なんです。

なるほど。この状況でなんでそこに座ったんですか?  

--え?

いや、こうやって他の席は全部空いているのに、そこに座るのは普通は日本人はしないかなって思ったので、外国の人かと。

--あ、不愉快でしたか?休憩時間はいつもこの席に座るんです。

ああ、なるほどね。

--他に行ったほうがいいなら。。。

いやいや。ちょっと、え?と思っただけで、大丈夫です。

(まあ、店員なら休憩時間といえど、他に空いているところがたくさんあるのに一人しかいない客の目の前に座るのはどうかとは、思うが、まあそういうやつもいるか。。)

(しばらく間があったが、たまたま店員ということなので、さっき気になったことを聞いてみようか)

じゃあついでにちょっと聞いて良いですか。

ーはい。

実はさっき、このラテを注文したら、店員の女の子が、「素敵な帽子ですね。」とか「似合う人が普通いないから。。。」と言ったんですよ。スタバのマニュアルには、「客が喜びそうなことを見つけて個人的な会話をすべし」というような条項があるの?

ーいや、それはないですね。お客さんが3人以上ならんだら、もうひとつ窓口をあけるとかいうのは在るんですけど。。

じゃあさっきの女の子は自分の判断で、そういうコメントをしたんですかね。逆に男性店員が女性の客にそういうこと言ったら、気持ち悪がられることもあるんじゃないかな。おじさんはそういうこと言うと嬉しいと思ったのかな。

(以下、会話は略。彼とは3〜4分は話した。)

以上が今日の3つのスタバ・インシデントだった。

個人的には出来事1の営業トークは好きじゃないな。あきらかに営業トークだし。

ちなみに帽子はこれ。




4/22/2018

なぜ私は、発音問題などないほうがよい、と考えるのか

1 はじめに

大学入試センターの職員の方から訪問を受け、現行センター試験の後継となる新テストの実施済み試行版についての意見を求められた(このことは守秘義務を伴う業務ではないことは確認済みなのでここに書いている)。

その時尋ねられた一つのポイントが、現行のセンター試験にはある発音問題が、新テストの試行版にはないが、それについてどう思うか、ということであった。それについての私の考えは以前から変わっておらず、「現状のような紙と鉛筆による発音問題は、high-stakes テストにおいてはないほうがよい」というものであり、今回もそのようにお答えした。良い機会なので、なぜそう考えているのかをここでまとめておきたい。

2 現状の発音問題の本質

確認しておくと「現状のような紙と鉛筆による発音問題」とは、複数(通常4つないし5つ)の単語のそれぞれ一部分の文字に下線を付して、その下線部の発音の異同を問うものである。

つまり、「文字(列)は同じなのに、発音が違う」あるいは「文字(列)は違うのに、発音が同じ」という部分が出題対象になるわけである。

2018年度の第1問では、i の2種類の発音、edの有声・無声、ir, ar, our, orのうち中舌母音はどれか、が問題になっている。

逆に言うと、原理上、「この文字であれば必ずこう発音する」という部分は、出題されない。

3 現状の発音問題で問えない部分

すなわちもっとも重要な子音の発音はほとんど出題されない。たとえば lはいつでも/l/なので異同問題にはならない(明るいL、暗いLなどの異音の区別はもちろん出題範囲を超えるので)。rはいつでも /r/なので、異同問題にはならない。thはいつでも(有声・無声の違いはあれど)thなので異同問題にはならない。fもいつでも(有声のこともまれにあるが)/f/なので異同問題にはならない。vもいつでも /v/なので異同問題にはならない。

こうすると、日本人学習者にとっての最大の習得ポイントである L, R, TH, F, V は出題対象ではないのである。これらの音は、つづりを見ればその音だということがわかるからだ。

4 その問えない部分こそが発音スキルの肝

しかし英語発音に関して日本人学習者が最大のエネルギーと注意を注いで習得せねばならないのは、特定の子音字を見たら必ず、自動的に、その子音文字に相当する子音の調音のために発音器官を動かすようにする、そういう筋肉のスキル、習慣形成である。

Lを見たら(少なくとも明るいLの場合は)舌先をしっかりと歯ぐきに長めに接触させる、Rを見たら絶対に舌先をどこにも接触させない、THを見たら必ず舌先を前歯に当てる、VあるいはFをみたら必ず下唇を上前歯に当てる、そういう反射的な習慣である。

5 中高の英語授業の悲しい実態

しかし残念ながら、そういう習慣形成を促している授業は、今の中学・高校ではかなり例外的だと思わざるを得ない。ほとんどの場合は、LもRもTHもFもVも、生徒は日本語の音素を代用して発音し、教師はそれをスルーしているはずだ。

6 「発音問題」の免罪符化

つまり、中高英語教師が、(1)一方で実態として、発音スキル習得のもっとも大切な部分は(ほぼ)まったく無視した授業を行いながら、(2)その一方で「発音問題」と称した「問題」を受験対策のなかで扱うことで、「自分は発音を指導している」という大きな誤解・錯覚・勘違い・自分に対するごまかし、を生むことになっている、または、「自分は発音を指導していない」という罪の意識(があるかも疑わしいが)を取り除く一種の免罪符(=実際の発音スキルは一切指導しないという大きな罪を、曲がりなりにも「発音問題」を扱っているということで免れるための口実)を得てしまっている、と私には見えるのである。
 
7 免罪符を与えてはならない

そんな発音問題ならないほうがよい。あんなもので免罪の錯覚を与えるくらいない、まったく廃止してしまい、自分たちが実は発音(という筋肉スキル)をまった指導していないのだ、という嘆かわし事実を直視してもらったたほうがよい、というのが私の回答の理由である。

8 生徒にも悪影響

もうひとつの弊害は、「綴りが違っているのに発音が同じ、綴りが同じなのに発音が違う」という部分のみにフォーカスする問題を解かさせる学習者の中に、「英語の発音は綴りからはわからないのだ、ひとつひとつ丸暗記しなくてはならないのだ」というイメージばかりを刷り込んでしまうことである。

たしかに英語は他のヨーロッパ諸語とくらべると文字と音の対応関係が複雑にはなっている。なってはいるがご存知のように、慣れてくれば未知語ではあっても文字を見れば発音が推測がつく程度には、規則性が高いのである。

ところがそういう視点を中高英語教育で培われることが稀であるせいで、大学生になっても、英単語の発音は教師に教えられるまで、辞書で発音記号を見るまで、辞書で発音してもらうまで、わからない、という誤った感覚を持ち、英単語の文字をひとつひとつ発音することで全体の発音に至る、という発想がない学習者が多い。

これも「発音問題」の無視できない弊害である、と私は考えている。

9「発音問題」の対象を広げる可能性は?

以上の議論はあくまで「現状の発音問題」に限定して話であった。現状の問題が測定する構成概念は「つづりと発音が1対1対応していない場合に関する知識」だけである。実際の「スキル」はペーパーテストで測定することは不可能だとして、「知識」に関しては、測定する構成概念の範囲を広げることは、理屈の上では可能である。

現在の高校生は上で上げた最重要の6つの子音音素の調音方法についての知識すら、全員が獲得しているとは言えない。よって、それぞれの調音方法を言葉で記述して、または図で提示することで問う、ことは可能は可能である。

それではすぐに対策されて、全員が正解するようになり、識別力がなくなる、という議論もあるだろう。しかしそれはそれで良いのである。それはプラスの波及効果だ。現状では主要子音の調音方法の「知識」さえない受験者が、全員まずは知識だけは獲得するのである。

そしてそこで獲得される「知識」は、現状の問題で問われている言わば重箱のスミをつつくようなレベルの知識に比べると、重箱の真ん中のごちそうなのである。

さらに、より高度な知識を問う問題も可能だ。上で触れた明るいLと暗いLの区別、同じTでも帯気音になるばあいと、叩き音になる場合の区別、あいまい母音シュワの位置に関する知識、FとVの緊張度の差に関する知識、閉鎖音が開放する場合としない場合の区別に関する知識、北米発音では発音されるがイギリス発音では発音されないRに関する知識、あとに来る音が無声・有声の場合の直前の母音の長さに関する知識、フレーズのアクセントに関する知識、文ストレスに関する知識、などなど。

こう書くと、これらは今の中高のほとんどの先生の守備範囲を超えているはずだ。だからとりあえず現実的ではない。テストに出す前に、授業でしどうできるか考えるのが先だ、という話になる。

10  結論

だからまわりまわって結局のところ、ペーパーテストの発音問題など忘れたほうがいい、ということになる。ペーパーテストの些末な発音問題など解いているひまがあったら、そのまえに、主要な子音に関して、スキルとしての発音を「しつけ」て欲しい。

たとえば、英語のなかでもっともよく出てくると言われる子音の th 。theがいつでもどこでもtheと言う学習者が、自分のクラスに何割くらいいるのか、いないのか、をもっと気にして欲しい。rが言える生徒がどのくらいいるのか、いないのか、をもっともっと気にしてほしい。vで上唇を使っていないかどうか、もっともっと気にして目を凝らして見てほしい。いつでもどこでも注意を喚起し、筋肉習慣としての発音が本当にみにつくまで、何度も何度も指導しつづけてほしい。

その指導ができてきたならば、パフォーマンステストとしての、スキルとしての発音を評価するテストをやってほしい。まずは自分で自分の生徒をテストして欲しい。それを大規模 high-stakesテストでやるのが現実的か、コストパフォーマンスに見合った効果があるかは別問題である。












4/17/2018

学生向け<お疲れ様、やめろ>

いつの日からか、口頭とかメールとかで、学生が教員に向かって、

「お疲れ様です」

と言ったり書いたりするようになった。

エラそうだな。何様だ?

別に「疲れて」ないよ。馬鹿にしてんの?

「おはようございます。」

「こんにちは。」

「こんばんは。」

「いつもお世話になっております。」

「お忙しいところすみません。」

とか普通の日本語書け。


学生向け<帽子とピアスとマスク>

教室に入る時に帽子はとれ。薄毛でもハゲでもなんでもとれ。どーしても特段の事情があって帽子をかぶっていたいなら事前に説明して許可を取れ。

ピアスとかしてくるな(主として男子)。オマエ、授業に何しに来てるんだ?

対処:(男子の肩に手をかけて)「ピアス取れるか?」(「はい、取れます」)

それから、教室でマスクとかしてるんじゃない。今現在アクティブに咳がでている以外のケースなら、授業を受けるのにマスクなんかしてるな。失礼だよ、だいたい。顔の一部を隠して、何なんだよ。銀行強盗か?サングラスで目を隠しているのと同じくらい失礼だぞ。

頭も顔もちゃんと見せろ。コミュニケーションなんだから。


4/14/2018

学生のメール改善さる

よしよし、学生から入ってくるメールが劇的にまともになってきた。以前はもぐらたたきみたいだったが、こうして一度まとめて書いておけば、これを読んでね、と一斉メールするだけでかなりの効果がある、と判明。

ご同業の方々もどうぞリンクしてご利用くださいませ。

学生向け<メールの作法講座> ver. 2

メールはLINEではありませんので、ごくごく親しい間柄以外は、次のことが(大人の)マナーです。

【マナーその1:本文中に必ず自分の名前を書く!】

これがないのが最大のミスです。メールはLINEと違って、たとえ登録していても、発信者のあなたの名前が受け取った相手の画面に表示されるとは限りません。画面に表示されるのが意味不明なメールアドレスだったり単なる学籍番号であることも多いのです。

そうすると受け取ったこちらは、「これ誰だっけ?」といちいち過去のメールを検索したりアドレス帳を確認したりして初めて「ああ、この学生だったか」とわかる、ということになります。

メールの本文中に必ず自分の名前を書く癖をつけましょう。書き方は大きくわけて2通りあります。

方法1:本文のかなり最初のほう(↓相手の名前、の直後)に、「◯◯太郎です。」と書く。

方法2:本文の一番最後に、「◯◯太郎」と書く。

どちらでもよいですが、メールが長い場合には、併用するのがベストです。

※学生から教員にあてる場合、その先生と関わっている授業名などを書くのが望ましいです。ゼミなどごく少人数でふだんからよく知っている場合は別として、教員の立場からすると何十人もの学生を、複数のクラスにわたって受け持っています。単に名前を書いてもすぐにはわからないことがあります。よって、

「(授業名)を履修している◯◯太郎です 」
「 (授業名)でお世話になっている◯◯太郎です」
「〜曜日〜時間目の、◯◯太郎です」

などと、わかりやすく書きましょう。

なお、自分の名前は

大東太郎

のようにフルネームで書くのがよいです。これを

大東

と姓だけ書くのは略式で、偉そうです。とくに先輩や先生など、目上の人にそれをしてはいけません。

相手が同輩、後輩、目下の場合には許容されますが、偉そうなので、避けるに越したことはないです。

g-mail などには署名機能があるので、フルネームが自動的に追加されるようにしておくのも良でしょう。

【マナーその2:本文の最初に相手の名前を書く】

次に多いマナー違反は、いきなり本文に入ってしまうことです。手紙と同じように、かならず最初に、

〜さん
〜様
〜先生

などと書きましょう。いきなり本文は、かなり自分勝手で子供っぽい印象を与えます。メール本文に相手の名前を書かないのは、実生活に例えるならば、ノックもせずにいきなりドアを開けて自分の要件を喋りだす幼稚園児のようなイメージです。

特に自分からメールを出すときの、一番最初のメールではこれが大切です。Aさんがメールを出してBさんが返信し、それにAさんが返信し。。。 のように、

A1 → B1 → A2 → B2 → 。。。。

と続く場合、A1のメールで相手の名前を書かないのは200% ありえません。そして、B1でも A2でも、相手が先生や先輩の場合は、面倒がらずに頑張って書きましょう。「大人同士の」仕事のメールの場合には、相手の名前を省略するのは、ほぼないです。

いつもやり取りをしていて、超親しい場合以外は、かならず相手の名前を書き、自分の名前を書くのが、「大人」の当たり前。私の場合も、本文だけでやり取りをしているのは、ひとりかふたりだけです。あとのすべての人には、B1やA2やB2でも、まず相手の名前を書いて呼びかけ、最後に 靜哲人 と、差出人の名前を書きます。大人なので。

【マナーその3:件名は、必ず適切につける】

件名とは、本文が何についてのものかをあらわすトピックです。あとから何百通のメールのなかから特定のメールを検索するのに使ったりする、とても大切な「見出し」です。

LINEのくせで、件名を空欄にしてだすのは下の下です。大人同士のメールでは絶対ありません。あとから一覧したときに探しにくいでしょう?

次にダメダメなのは、

「大東太郎です」

といった、自分の名前を件名にすることです。

件名とは、メールを開く前に何のことかを素早く知らせるためのものです。トピックの欄に自分の名前を書いてどうするつもりなのでしょう?

そして、やりとりを繰り返すうちに話題が変わったら、件名を新しくする、なども大切です

もはや本文内容とは関係ない昔の件名をそのまま用いたメールが来て、とまどうことがよくあります。

件名はあくまで、そのメールのテーマを表さねば意味がないのです。


【マナーその4: Ccを適切に使う】

Aさんにメールを出す時、そういうメールをAさんに出している、ということをBさんにも知らせておいたほうがよい、ときがあります。

その時に使うのがCcです。

To: のあとにAさんのアドレス

Cc: のあとにBさんのアドレス

を書いて出すと、同じメールがAさんとBさんに同時に配信されますが、宛先や本文をみると、直接の宛先はAさんだとわかり、Bさんとしては、黙って読んで一応承知しておけばよい、とわかるのです。

そういうときにも、本文の最初に、

A様

と書くのが絶対必要だ、ということはわかりますね?それがないと、Aさん宛の文面か、Bさんあてか、あるいは両名あてか、わからないので反応にとても困ります。

アドレスをそうするのに加えて、本文にも、

A様
Cc: B様

と書くのが、もっとも親切で望ましいことです。

【マナーその5:Cc つきのメールには、原則してCcも含めて全員に返信する】

To: A様
Cc: B様

というメールを出す人は、メールの内容をBさんにも承知しておいて欲しいからCc:にBさんを入れているわけです。

そのメールに返信するさいは、原則として、Cc:B様 を残して全員に返信し、Bさんにもその返信が見えるようにすべきです。Bさんにも間接的に関係することがらだからです。

これを、送り主だけに返信すると、返信をBさんからあえて隠している、という印象をあたえます。

Cc:B様

なのだから、自分と相手のやりとりを、すべてBさんに公開した状態で続けるべきです。

逆に、直接の相手だけに返せばいいのに、全員に返信して失敗することもあるので、場合場合で、よく考えることが大切です。

いずれにしても、意味なく、Cc で来たのに個人だけに返信したり、個人だけに返信すればよい内容を全員に返信して迷惑をかけないことが大切です。

大人のメール作法を身に着けて、大人の階段をひとつ登りましょう!

以上

4/11/2018

「ブラジル食堂」の衝撃

東武練馬駅と大東文化大学の間の学バスルートのちょうど真ん中あたりにある、「ブラジル食堂」。

いったいブラジル食堂ってなんだ? ブラジル料理かな? きっとそうだ。ブラジル人、あるいはブラジル系の日本人がブラジル料理を広めるためにやっているに違いない。でもブラジルの家庭料理で、こういう食堂に出てくるのはどんなものだろう?

という疑問をいだきつつ6年間。学バスから途中で降りることもないし、疑問を解消することもできずにいたが、先日、大学から自転車で帰宅する機会があり、ちょうどいいので入ってみた。


。。。。これは予想していなかった。。。

衝撃である。

是非、どうぞ。

ひさびさの1年生の「普通の」授業の「快感」

やっぱり英語の教員は「英語」の授業を持たなければウソだろう。考えてみれば、大東で1年生の英語の授業をもったのは赴任した2012年度だけで、以来5年。。

ついにまた今年1年生のゼミナールという名の普通の授業をもつこととなり、今日、最初の授業だった。う〜ん、実にかわいい! 目が輝いていることといったら。。。たまりません。

手塩にかけて育てますよ〜

英語上手くしますよ〜

英語力つけますよ〜

楽しいクラスにしようね〜





4/07/2018

学生向け<「私情により欠席?!>

どういうわけだか、「私情」という単語を、「私的な事情」という意味で使う学生が増えています。

メールなどで、「申し訳ありませんが、私情により欠席します」などと書いてくるのです。

「私情」には、本来「私的な事情」という意味はありません。ネットではなく、ちゃんとした辞書で調べてみてください。「私情」とは、「私的な感情」「本当は抑えねばならぬ個人的な気持ち」「利己的な心 」という意味です。

「私情により欠席。。。」というのは、感情のを、事情の、と誤解したための誤用ですね。

「私情により欠席します」=「利己的な気持ちが原因で欠席します」

という意味なので、爆笑したくなります。

ネットを検索してみると、この誤用「私情により欠席。。。」という用法も広まりつつあるようですが、そういう表現を見ると私のように「こいつ馬鹿か ...」と思ってしまう大人も多いので、君たちは決して使わないように。

就職活動などでも注意!

「私事(わたくしごと)により」
「個人的な事情により」

と書くこと。

ちなみに「私情」のほうは、

「あの先生は、学生への接し方に、私情をはさんでいると思います。好きな学生はやたらにちやほやするくせに、嫌いな学生にはなにかとあたりが強いんです。ざっくりいうと、イケメンには優しくて、女子にはきついんですよ。」

のように使います。


4/06/2018

学校における部活顧問の押しつけはパワハラであり人権侵害だ

「部活顧問になるのをお断りします」九州の中学教諭が職員会議で宣言、長時間労働に一石

という記事を読んだ。素晴らしい動きである。こうやって徐々に声を上げ始める教師が増えればシステムも変わっていかざるを得ないはずだ。

あらためて「部活顧問 拒否」でググってみると、結構いろいろな方が挑戦を始めてシステムの切り崩しを図っていることが分かった。

部活動顧問は職務ではないので、仮に拒否しても処分されない、という事実も確認できた。

しかし全員が顧問を拒否してしまうと、一気に部活動がまわらなくなる(それで構わないという立場もあるが)ので、若年スポーツを公教育が担っているという今の日本のシステムを前提とした現実的な目標としては、


  • 土日は完全オフ
  • ウィークデーも1日はオフを設ける

程度がよいようである。

現実に、教員になって半年間で休みが数日しかない、という教え子の悲惨な声を聞いているので、他人事ではない。

こちとら、部活をやらせるために教科教育法を教えているわけじゃない!

4/04/2018

学生向け<名前の認識におけるトップダウン処理の影響>

「しずか」という姓は珍しいので、昔から苦労してきた。

電話で姓を名乗って、一発で聞き取ってもらえることはほぼ皆無である。どんなに滑舌良く、明瞭に「しずかです」と発音しても、十中八九、「いしずかさんですか?」と来る。

では、とばかり、「し」に力をこめて強調して「ずかです」と言うと、「しいずかさんですか?」と。どうすりゃいいんだよ?

これはもちろん聞き手のスキーマとして、日本人の姓として「しずか」というのが登録されていないために、ボトムアップ的にいくら「しずか」という音が聞こえてきても、「いやいや、そんな名字はないから、きっと石塚に違いない」というトップダウン処理が行われ、結果的に「石塚さん」という誤りに到達する、というトップダウン処理が結果的に悪影響を及ぼしている例といえる。

で、音だけではない。

大学の隣にうどん屋があり、待っている客がいる昼時には名前をウェイティングリストに書かされることが多い。今日は大学のそばのラーメン屋も大変混んでいたのでやはり同じように名前を書いた。で、うどん屋でもラーメン屋でもまったく同じ現象が起こった。

もし「靜」などと書けば、おそらく「しずさん」「せいさん」と言われるので、もちろん漢字など使わない。カタカナで書いてください、と書いてあったっけ?それは覚えていないが、うどん屋でもラーメン屋でも、同じように、カタカナで「シズカ」と書いた。読みやすいように、丁寧な楷書で、ちゃんと「シズカ」と書いた。

しかし私の番になって店員の人が言うには、うどん屋でもラーメン屋でも、まったく同じく、

「お一人でお待ちの、ツズカ様?」

ツズカじゃないよ。これ「シ」って字でしょ?いい歳して「ツ」と「シ」の違いもわからないの?とは言わないが、心で思いつつ、「あ、これですね。これ私です。」

気をつけていないと順番を飛ばされそうだ。

これもリスニング時と同じように、「シズカ」と書いてあるから、店員さんの視覚からは明瞭な「シ」という文字情報が入ってくるのだが、彼女の長期記憶の中のスキーマには「シズカ」なんて名字がないので、

「この名前は一見シズカに見える。いやいや、しかしシズカなんて名前はこの世にないはずだから、このシに見えるのは私の目の錯覚であって、ツに違いない。だから、このひとは「ツヅカさん(津塚?)だ」

という要らぬトップダウン処理が働いて、結果的にリーディングでもやっぱり私の名字は相手に伝わらないのである。

次回はひらがなで「しずか」と書いてみよう。もう読み間違えないよね?

4/03/2018

オリエンテーション:民衆の歌

学科の新入生オリエンテーションでした。昨年までは学科主任という縛りがあって、あまり勝手なことは言えないと感じていましたが(つっこみ:あれで縛りがあったんですか?! 去年はブルゾンちえみやってたけど。。)、ことしは一兵卒にもどったので、自分の授業の紹介だけを気楽にやりました。学科主任挨拶がないのはなんと楽なことか!


(ステージに上ると、やにわに歌い出す)
Do you hear the people sing,
Singing a song of angry men
It is the music of the people 
Who will not be slaves again
When the beating of your heart 
Echoes the beating of the drums
There is a life about to start 
When tomorrow comes.

(で同じAメロの替え歌で、授業の説明を始める)
英語の歌の
授業やってるよ
それにはちゃんとした
理屈があるよ
歌詞の音節
メロディーにあえば
発音が上手になるから

(同じくBメロ)
水曜の4限
誰でも取れる
英語教育学入門A/B
毎年100人取る授業さ〜

(再びAメロにもどり、英語に戻るが、替え歌)
Do you hear the students sing
Singing a song of Taylor Swift
It is the music of the students 
Who are trying to speak better
When the beating of the words 
Echoes the beating of the notes
You can be excellent speakers 
When tomorrow comes!!!

(ステージを降りながら)
エド・シーランのShape of You やりま〜す。取ってくださ〜い!!


4/02/2018

学生向け<了解しました、はエラそう>

つい書いてしまう

「了解しました」

ですが、意識しておかないといけないのが、これは

「了解する(=承認する・認める)、了解しない(=承認しない・認めない)の選択肢のなかで、了解する、ほうを選択しました」

というニュアンスがある、やや上から目線、あるいは対等目線の言葉だということです。自分に了解する/しないを決める権利がある、という前提を背景としていることばだからです。

たとえば、AさんがBさんに、結構負担になるお願いをして、「悪いけど、了解してもらえるでしょうか?」とAさんが言うのに対して、Bさんが「いいでしょう。了解しました」などというときにも使われる表現です。

なので、基本的に目上の相手に対する応答としては避けた方が良い、ということになっています。後輩と同輩にだけ使います。(ビジネスマナーとしてです。ネットで調べてみて。)

ではどうするか。

「承知しました。」

ですね。これは下から目線の言葉です。「うけたまわりました」ということですから。「かしこまりました」になると、さらに下から目線になります(が、学生が普段使うには、過度にへりくだりすぎ/過度にフォーマルな印象があるかもしれません。)

また、ビジネスではなく日常のシチュエーションであれば、

「わかりました。」

もOKです。これはニュートラル目線です。

就職活動を始める人もいると思いますので、上記、頭に入れておきましょう。

面接されているときに、「了解しました」なんて言ったら印象悪いよ。

4/01/2018

教職を夢見る学生を一人でも多く導きたい

あれから4年。英語学科主任の2期目が終わりまして、このたび教職課程センターのほうにより深く関わることとなりました。(もちろん英語学科に籍があるのは変わりません。)高校の先生方、教員志望の学生がいましたら、是非、本学をお勧め下さい。高校生のみなさん、先生になりたければ、是非、うちにどうぞ。万全のバックアップ体制で、夢の実現のお手伝いをいたします。とくに英語の教員になりたいなら、率直に言ってどこの大学よりもうち(大東の英語学科)に来るのが正解です。どこにもない実践的かつ理論的かつアットホームな教員養成、題して「グルグルからスノボまで」をおこなっていますから。

以下は、教職課程センターHPにご挨拶として掲載する予定の、教職というものに対する私の想いです。よろしければお読み下さい。





教職を夢見る学生を一人でも多く導きたい

大東文化大学教職課程センター所長 靜 哲人


大東文化大学教職課程センターは、「教職を夢見る学生を一人でも多く導きたい」を合言葉に、2016年4月に設立されました。その名の通り、教員免許の取得を目指す学生、さらに教員採用試験に合格して教壇に立つことを夢見る学生の後押しをすることを第一の任務とした組織です。教員免許以外にも、図書館司書、司書教諭、学芸員など、本学で取得できるさまざまな資格の取得のサポートも行っています。

教員は特殊な仕事です。自分の仕事がどのくらいうまくいっているのかを、売り上げ高などの明確な数的な基準で示すことができません。例えば模擬試験の平均点がアップすることが必ずしもよいことであるとは限りません。テストに合わせた授業をすることを英語でteaching to the test と言いますが、その結果本当に大切な学力がつかないこともあります。本当に大切なことがらはテストで測れないことがあるからです。

また児童・生徒の問題行動の件数が減ることだって、必ずしもよい兆候であるという保証はありません。問題の根っこはそのままで、納得を伴わない力による指導で単に抑えつけているために減っているように見えているだけであることもあるからです。さらに仕事の成果が、子どもが卒業するまでには現れないこともあります。在学中はわからなかった、先生に指導されたことの価値が、卒業して5年、10年たってから、じわりとわかってくることもあるのです。

そして教員は特別な仕事です。毎年、基本的には同じような年齢層の子どもたちを担当し、同じような内容を教えます。しかし同じような内容を同じように教えても、同じような反応が返ってくるとは限りません。だから毎年勉強を続け、教えるプロとしての引き出しの数を増やし、子どもとともに成長してゆきます。そして年度の終わる3月には、今まで精一杯愛情を注ぎ手塩にかけた子どもたちと涙で別れ、つぎはどんな出会いがあるだろうと心待ちにする素敵な時がやってきます。

結果を数値で測れません。短期では結果がでないこともあります。それでも、いつの日か、「先生、ありがとうございました!先生のおかげで私、こんなに成長できました!」と教え子に言ってもらえることは、何ものにも代えがたい歓びを与えてくれます。そんな日が来ると良いなと密かに願いながら、毎日、「泥臭く」生徒のために努力する、それが教員という特殊で、特別な仕事です。

ほかの職業ではちょっと経験できないそんなワクワク感を味わいたい人、そんな特別な営みを自らのキャリアにしたいと思う人は、まずは教職課程センターを訪ねてみてください。教職に関する専門知識、教科の専門知識、豊富な教育現場経験、教育行政経験をもつ「教えたがり屋」のスタッフが、教員採用試験へのサポートはもちろん、さらにそのもっとずっと後までを見越したお手伝いをしたくてうずうずしながら待っています。