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6/22/2018

明日、戦争体験を伺う講演会を行います

「語り継ぐ戦争体験

教育の立場から考える人権と平和―」

主催:大東文化大学教職課程センター
講師:小島民子さん(埼玉県在住)

戦争を直接知っている人が少なくなっている現在、次の世代に戦争体験を引き継ぐことは重要です。そのために大切なのは、戦争体験の学習を組織する教師の教養と経験です。大東文化大学教職課程センターでは、戦争のおろかさと生命の尊さ-人権の大切さについての理解を深め、次の世代の平和学習に活かすための学びの場を持ちたいと思います。
講師の小島さんは現在89歳。埼玉県立久喜高等女学校(現・久喜高校)時代にさきの戦争を体験した方です。その時に学校がどのようになっていったか等リアルな話を伺います。聴くだけではなく、後半には本学生とのトークセッションも行います。本イベントは公開いたしますので、学生をはじめ、多くの教職員の方、市民の参加を呼びかけます。

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」
(R.v.ワイツゼッカー・元ドイツ大統領)

2018/6/23()  大東文化会館ホール(東武練馬駅前)

★参加費無料/事前申し込み不要★

   13:00- 開場
13:30-14:40 講演
       休憩
   14:50-トークセッション
                                16:00-終了

6/17/2018

阿部公彦さんの本、良い本でした。

めずらしく一気に読んでしまいました。100%の同意はできませんが、良い本です。


「4技能主義」を批判する本だという噂だったので、実際に読む前はどうなんだろうと思っていましたが、「ネオ4技能主義」(=エセ・ペラペラスピーキング礼賛)を批判しているのであって、ライティングが最も高度で、スピーキングができるようになるには文法も大事だ、という当たり前のことを打ち出しているのである意味安心しました。

しかし単行本で、これだけ安河内哲也さんとか、松本茂さんとかの実名を挙げて批判するような著者には初めてお目にかかった感があり、軽い衝撃がありました。こういう先生がもっともっと増えると風通しもよくなるでしょう。

(私ももっともっと実名挙げて批判しようかな。。。(笑))

ただ私は、「ネオ4技能主義」者ではないですが、旧来の英文和訳させる個別大学の入試と、業者テストのどちらかを選べ、と言われたら、後者を選びます。

英文和訳大学入試が高校英語授業に与えている弊害と誤解と負のbackwashと、4技能業者入試が高校英語授業に与えるであろう弊害と負のbackwash を比較すれば、明らかに後者が小さい、と思うからです。

授業である程度以上のレベルの英文をきちんと読ませるとき、きちんと意味を取らせる時に、和訳(日本語による解説)を利用しながら行うのは不可欠の場合が多いですが、それはあくまで英語に迫るための手段のはず。

意味がわかった後はすぐにその文(の一部)を音読したり read and look up したり、より平易な英語にパラフレーズしたり、という作業は不可欠です。

ところが多くの(many)高校の先生がたが、和訳への到達が自目的化しているような授業を行っていて、音読さえもゼロみたいな場合(→ゴキブリは死なず)も決してめずらしくない、という実態を知っているので、ハイステークステストへのスピーキングの導入が、その歪んだ英語授業の振り子を多少なりとも正常な方向にもどすることを期待するのです。

しかし、本来は民間業者に丸投げするようなみっともないことはせず、大学入試センターで、「このテストに的を絞って対策することがすなわち本質的な英語力を上げることになる」ようなテストを開発するのが、国家のあるべき姿だと思います。やる気になれば十分できるはず。

大学入試の改革のための有識者会議に民間テスト業者関係者が入っていてその民間テストが大学入試を受注した、などはとても現代日本のこととは信じたくない、発展途上の三流汚職国家のできごとのようです。いや、ふと見渡してみれば日本はすでに三流汚職国家か。



6/16/2018

どうしてモデル録音としてネイティブじゃなくて自分の英語を使ったのですか?

本日、LET関東支部大会で、メールグルグルの実践を発表したのだが、終わった後にもらった質問が標記。

だって、普段の授業は自分がやっているのであり、こう発音しろ、というのも自分が指導しているのだから、自分をモデルにするのが当然でしょ?

ネイティブの録音をモデルで提示して、学生にそれを目標にやってみろ、というなら、まず自分で実践して、自分がそのモデルと同じになれなければ説得力ないでしょ?

(そうすると、英語教員は誰でもモデルになれる自信がなければダメですか?)

そりゃ、そうでしょ。

(わかりました。がんばります。)


6/03/2018

録音CDは教師の練習用である

実習生各位

これは淡路先生から教えていただいているかとも思いますが、私からも念のため。

我々の恩師の若林俊輔先生はいつも「教科書カセットテープなど教室に持っていくな」とおっしゃっていました。もちろん今の時代ならCDと読み替えることになります。

その理由は、若林先生によれば「教科書テープというものは、生徒に聞かせるためのものではない。教員が練習するためのものである。授業に行く前に、教師自身が何度も何度も聴き込んで練習し、カセットとまったく同じ発音で、まったく同じリズムで、まったく同じイントネーションで肉声で言えるなってから、ずっと前からそうであったような顔で生徒の前に立って、肉声で授業する、そのための教師の自己研鑽用のものだ」からです。

私個人はCDを教室で聞かせるのは、それなりに活用法があるとは思っていますが、事前にネイティブ録音を教師が聴き込んで、「肉声でもまったく同じ(と言えるくらいの)質で言えるようになっていかねばならない」という部分は、若林先生の教えをそのまま君たちに伝えたいと、強く思っています。

いい加減なリズムやイントネーションを発する状態で、生徒の前に立つことが決してないように。

モデルCDの音声を聞きこまないのは10年早い

自分の未熟な英語音声を過信せず、徹底的にモデルCDを聴き込め。とくに文ストレス、イントネーションに注意せよ。CDを徹底的に確認せずに教壇に立つなど10年早い。不適切なイントネーションを生徒にリピートさせることの罪を考えろ。

生徒同士のペアワークに安易に突入するな。学習者同士でやらせて、ある程度の以上のレベルの英語で活動させるためには、その前に、徹底的に一斉指導があってこそである。下手な状態でペアワークやって意味があるのか。


安易に立たせて発表させるな。立たせて発表させるのは、かなりの程度うまくなってからにせよ。下手な段階で立たせて発表させてもダメ出しがしにくいし、ダメなのにダメ出ししないのもダメである。だからみんなが座っている時に十分ダメ出しをして底上げをしてき、個人に発表させるのは「褒める」に値するレベルにしてからが望ましい。

まずは、教科書「を」教えよ

教育実習生各位

一つ感じることがあるので、メールしておきます。

とくに今の中学校の教科書は、英語のプロと授業のプロ、英語教師としてプロ中のプロ(大学教員と中学教員)が20人以上集まって、作っています。教科書本文の自然さや、活動・タスクの自然さについても、検討に検討を重ね、考え抜いて作ってあります。

だから、そこに指示してあるとおりに活動すれば、かならず水準以上の授業ができるように作ってあるのです。

ところが、今まで見せてもらった中学授業では、なぜか、教科書のタスクを忠実にこなそうというものが少ないように思います。

自分でゼロから考えようという姿勢は立派ですが、自分で考えた結果、力不足のため、不自然な英文を作らせたり、不自然な設定のタスクになったり、ということのほうが多いように思います。

もちろん教員として経験を積んでくれば、眼の前の生徒にもっとふさわしい、教科書に指定してある以上のタスクを、自分で作り出すことができますし、そのほうが望ましいです。

しかし実習生のレベルでそれは多くの場合難しいでしょう。

下手な考え休むに似たり。まずは教科書のタスクを読み込んで、その意図をきちんと理解するところから始めることを強く勧めます。

それが自分の力を過信しない、謙虚な姿勢でもある、と思います。

6/02/2018

教育実習訪問キャラバン2018:北へ南へ

今回たまたま同時に、私は青森に、淡路先生は鹿児島に。

折悪しく数日前に来た年中行事のギックリ腰。今回はそんなに重くないと高をくくっていたが、新幹線で新青森まで座り続けたのがまた悪かったらしく、五能線に乗っているときは直立歩行も困難で、いったん座ると立ち上がれず、列車から降りられないのではないかと不安になるレベル。7年前腕を折って大阪から東京まで新幹線で帰ってきたあのときの辛さが蘇る。

せっかくここまで来たが実習校訪問は無理か、とかなり本気で心配したが、今朝になると温泉パワーでなんとか歩けるまでには持ち直し、予定通り訪問を敢行。

諸般の事情で非常識にも8時前に学校についてしまい、その後、実習生の授業を2つ見た。たっぷり2時間以上は講評したので、6時間以上は滞在したことになる。しかも講評のためにずっと校長室を使わせていただいた。

周囲にコンビニも食堂もなく、14:50まで列車もないので帰れない状況を察してくださった校長先生が、思いがけず給食(美味しかったです)まで供してくださり、その上、挙句の果ては、歩くのがしんどいだろうからと、なんと自ら車で駅まで送ってくださった。本当に恐縮した。

肝心の実習生の授業も、青森まで来た甲斐が十分にあったと思えるもので、将来が大いに期待できそうである。


なんとか任務を終えてほっとしていたころ、鹿児島からも、なかなか工夫した授業で頑張っていた、という嬉しい情報が入った。こうして1900キロ離れた日本列島南北同時キャラバンは、どちらもまずまずの成功、というおめでたいトーンで終了することとなり、安堵とともに帰途についた。(でもやっぱり座っているとイテテテ。。。)