日本の教育学部に在籍している時に、「教えて諭す」という名前の職業が嫌だったので海外の大学院に行き (靜注:私は、ついついこれを「逃げ」と読み替えたくなる)、そこで「SLA研究の素晴らしさ」に感動したので、是非、日本の「教えて諭す」職業についている人たちを養成するための教育課程にも、必修科目としてSLA研究を取り入れて欲しい、
という意見が載っている。
教えて諭すのが嫌だ、などという考えの持ち主だったことを(行間から読み取るにおそらくは)誇らしげに、すくなくとも恥ずかしいとは思わずに世の中に開陳するような大学教員/研究者に、一生懸命あるいは一所懸命、授業で、学級で、部活動で、学校行事で、子どもたちを「教えて」「諭す」という substantial な仕事を行っている中高教員に何が足らないか、などを言って欲しくはないし、またそのようにいう資格があるとは思わない。
教諭は教授にはなれるが、教授は教諭にはなれない、とは高校教員時代の教え子が大学に進学してまもなく私に言ってきた名言だ。
冒頭の意見はおごりだと私は思う。