90年代に某シンポジウムで、現在の英語教育に望むことのひとつとして、
「コミュニケーション騒ぎをやめること」
と発言したことがある。当時は、「実践的コミュニケーション」というのが学習指導要領のキーワードで、猫も杓子も「コミュニケーション」の大合唱だったので、いいかげんにうんざりしていたのだ。
あれから20年。バズワードの栄枯盛衰は激しく、いまのファドは悪恥部裸亜忍具である。
どうしてこうもコロコロコロコロ、あたらしい用語に飛びついては騒ぎ、飛びついては騒ぎ、をせずにはいられないのだろうか。いい大人が恥ずかしく無いか。
もうちょっとどっしり構えて、一本筋の通った(英語)教育行政はできないのかね。
どうかんがえてもスキル科目の英語と、アクティブ・ラーニングは相性が悪い。
そういう fancy なことに惑わされずに、もっと泥臭く、暗記し、反復しろ。
何をするにせよ、単語を知らなければ、文が組み立てられなければ、アクティブになりようもない。
「アクティブ・ラーニング騒ぎをやめること」
どうせすぐまた消えるが、それまで振り回される現場の若い先生方が気の毒である。