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7/20/2016

部活はアウトソーシングしたほうがよい

一つの流れとして、中学校、高校の部活動の指導をアウトソーシングしようというものがある。

ほとんどのスポーツのベースが学校の部活動にあるという日本の特徴的なパターンを所与のものとしての話だが、それならば、その学校の部活動の指導・監督に当たる担当者を、学校教員でなく、外部から導入した専門家にする、というものだ。

いつ全国的に実現するのかは予想がつかないが、大賛成である。この動きを私は大いに歓迎したい。

学校の教員が部活指導に当たることの意義はある。うまくいっているケースもたくさんある。教師が部活を指導するなかで生徒の人間的な成長を保証し、また授業だけでは得られない関わりを形成ているケースはたくさんあると思うし、個人的に見聞きもしてきた。その意味で、現在の形の部活は一定の成果を上げているのは間違いない。

それを好む人がやっている場合には問題は少ない。

しかし好むと好まざるとにかかわらず、部活顧問に割り振られてしまい、土曜も日曜もなくなってしまう。それはシステムとしてアウトだと思う。

「プライベート」がゼロで、何もできない。そういうブラックな職種である。

そういう認識が広まる結果、「生徒に英語は教えたい。教えたいけれど、プライベートがゼロになるような仕事はちょっと。。。 」ときっと優秀な英語教師になるにちがいない人材が、この業界に入らない選択をしてしまうケースが現実にある。

そして、業界に入った人間も、忙しくて十分に授業の準備もできない。

それでは本末転倒を絵に描いたようなものである。

自分は、◯◯部の顧問になりたいので、(教科としては成り行き上)英語の教師を目指しています、そういう人種も一定数、かならずいる。

そういう人種は、システムとして(特に運動部)部活顧問のアウトソーシングが定着すれば、片手間とはいわないまでも第二次的な希望である英語教員免許などとる必要がなくなるのである。

授業は授業のスペシャリスト、心のケアは心のケアのスペシャリスト、スポーツ指導はスポート指導のエクスパート、そのそれぞれが自分の本業に磨きをかけて、ちゃんと土日は休み、リフレッシュし、それなりの収入も得て、充実した人生を送る。それがあるべき姿であるし、それが、生徒に対して質の高い授業、質の高いスポーツ指導を保証することにつながる。

教育実習から帰ってくると、きまって「教師は授業だけではないのだ、と実感しました」という感想が出てくる。それは今の現実だが、それを肯定してはいけないのだと思う。

部活「も」命の英語教師を(まともな授業をやっているという条件において)否定はしないが、そうではなく、本業である授業に時間とエネルギーを注ぎたい、という種類の若い教師を否定するような、あるいはそういう教師が生きる余地がないようなシステムは、ダメなシステムなのだと思う。

若林俊輔先生は生前、よく「君たちの免許は英語科教諭の免許であって、その他の免許ではないのだ!」と力説されていた。ようやく時代が追いついてきたのかもしれない。