その意味で、本日の大学生10名のスピーチは最高のクオリティでした。我々は、基本的に日本国内で英語を学習し、日本国内でトレーニングを積んで、「きちんとした」英語を喋れるようになった(なろうとしている)学生を応援したいと思っています。
5年も10年も英語圏で過ごしてきた人はもちろん英語は達者ですが、英語が達者でない聴衆にわかろうがわかるまいが構わない、といった調子でまくしたてることも多く、個人的には???と感じます。
聞いている人間(の多くに)わからない英語スピーチでは意味がない、と私は思います。ノンネイティブの聴衆が多いなら、その人達に自分のメッセージが伝わるように話すのが筋なのではないか、と考えます。その意味をこめて、今回のスピコンの審査基準に、 audience awareness を新たに加えました。
その観点から言うと、今日のスピコンで、大学生のスピーチと高校生のスピーチの間には明らかなレベルの差がありました。それは高校生も痛感したはずです。それは大学生のほうが高級な英語を使っているとか、レベルの高い表現を使っているとか、そういうことではありません。大学生のほうが聞いていて圧倒的に「わかりやすかった」ということです。
高校生のスピーチも内容的には素晴らしいものでした。diversityのテーマにふさわしく様々な観点からアプローチしており、聞いていて思わず胸が熱くなるものもありました。しかし残念ながら、多くの場合発音の不明瞭さが原因で、せっかくのその内容の素晴らしさが十分には伝わりきらないものでした。絶対におさえねばならない、L/Rも怪しい場合、絶対にやめさせねばならない不要な母音挿入 epenthesisがある場合、日本人が絶対に意識せねばならない arと er の違いも押さえていない場合、などがありました。
それに対して大学生のスピーチは、10人が10人とも素晴らしいものでした。全員が、わかりやすくきちんとした英語を心がけ、きょうの本番でのパフォーマンスが今までで最高のできでした。大学生のスピーチがあそこまで良くなったのは、彼らが本学に入学し、淡路先生と私が担当する授業を履修し、淡路先生と私の事前トレーニングを受け、ダメ出しを受け、それを踏まえて自分で何度も何度も努力したからです。
彼らのパフォーマンスを心から誇らしく思います。
全員スピーチを終え、結果発表の前に、はい!ポーズ!
と思ったら、リキト君がいない。。。
と思ったら、リキト君がいない。。。
高校生のみなさん、英語がうまくなりたいなら、どうぞ本学に来てください。