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11/20/2018

学生に対する「特別解説」の責任

研究大会に参加し、公開授業を見る教員は、peerの立場で参加しているのであり、その場で意見があればそれを表明することができ、他のpeerの意見を聞き、場合によっては意見を戦わせ、議論することができる。

しかし学生用の別室での「特別解説」を聴く学生は全く異なる。「解説者」に対して気分的に対等な立場にあるとは言い難い。目上の方から「解説」していただく、というone down な立場にある。解説者の側から言うならば「解説」とは、one up な位置からの上から目線の行為である。上から目線であるからには、その内容は概ね議論の余地なく「正しい」とされる、certifiedな autheticated なものである必要がある。その「解説」を聞くために学生が何がしかの料金を支払っているのであればなおさら、である。

先日の語研大会の「特別解説」を聴講したうちの学生の多くが強い違和感を抱いたのは、「このようなジャパニーズイングリッシュでもこんな素晴らしい授業ができる」という趣旨の「解説」だった。(しかも質問の時間は設けられなかったという。)これは「概ね議論の余地なく「正しい」とされる、certifiedな autheticated な」見解か?すくなくとも、それが語研のendorseする見解か?

そういう残念な個人的見解もあるのだろう。しかし私は全く同意しないし、もしそれが語研の公式見解なのだとすれば元・研究員、現・評議員として大変に遺憾である。少なくとも、参加料金を払って聞きに来ている学生にする「解説」の中で言ってよいことではない。

教科教育法の担当者は、語研を信じ、語研大会ならば学ぶことがたくさんあると信じているから、自分の授業を履修している学生に対して参加を指示したり、推奨したりしているのである。もし上の一言が語研の見解であるのならば、自分の教え子に語研大会への参加を呼びかけるのはやめる。