職業病に端を発する「両唇/唇歯 代替発音現象」に関する言語学的・社会文化学的一考察
Considerations Triggered by an Occupational Disease on Bilabial/Labiodental Substitution Phenomenon from Linguistic and Sociocultural Perspectives
靜 哲人
SHIZUKA TetsuhitoAbstract
Informal observation of "nico-nico" L1-Japanese speakers indicates that they are significantly more likely to pronounce supposedly bilabial consonants using their upper teeth and lower lips than their non-"nico-nico" counterparts. Evidence is presented that this substitution is unproportionately common among L1-Japanese speakers when compared with speakers of European languages. Possible reasons for this tendency are discussed from linguistic and sociocultural perspectives.
1. はじめに
電車がある程度混んでくると、当然、自分の周囲1メートルから2メートルくらいにも人が立つことがある。そのくらいの距離でその人がこちらを向いて話していると、話の内容も聞きたくなくてもよく聞こえてしまう。
告白するが、そういう時、話している人が、ニコニコパースン(=定義:ほぼデフォルトでニコニコしており、かつ、口のつくりで、笑うと上の歯、場合によっては歯ぐきまでかなりの程度露出する人。例: テニスの錦織圭選手、フィギュアスケートのアシュリー・ワグナー選手など)だと、どうしてもその人の口の動きを目を追ってしまうのだ。
ほとんど病気、職業病であるが、I cannot help it. というやつである。
2. 調査の方法
正確には何を目で追うのかというと、その人の下唇と上前歯の動きと、発話する単語の連動を追ってしまい、次の仮説を検証してしまうのである。
仮説:ニコニコパースンは、ニコニコした状態で「ま・み・む・め・も、ぱ・ぴ・ぷ・ぺ・ぽ、バ・ビ・ブ・ベ・ボ」、つまり /m/ /p/ /b/ を発音する時、両唇音でなく 唇歯音を使う確率が、そうでない人よりも有意に、かつ効果量大である程度に、高い。
(学生向け解説: 両唇音 bilabial バイレイビオゥ sounds 上下の唇を合わせて調音する音、 唇歯音 labio-dental レイビオデントゥ sounds 下唇と上前歯を接触させて調音する音、 [f] [v]など)
すなわち、いわば「両唇/唇歯代替発音現象」、の見られる率である。
これは口の動きだけ見えても確かめられず、その動きで発話している語も聞き取れなければ検証できないので、周囲1~2メートルの観察することになってしまうのである。
3. 結果
観察の結果はほぼ100%仮説が支持される。
4. あらたな疑問
しかし、ここで疑問がわく。これは日本人に特徴的な現象なのだろうか。
医学的?形態学的?顔学的?に、日本人が、たとえば Caucasian よりも、ニコニコパースンの比率が多いかどうかは私にはわからない。
だが、Caucasian にもニコニコパースンは確かにいると思う(例えば上の、ワグナー選手や、最近はあまり見ないが、カロリーナ・コストナー選手も、まちがいなくニコニコパースンである)。だから、ニコニコパースンの比率は彼我の違いはない、とも思える。
にもかかわらず、Caucasian のニコニコパースンが話すのを観察していて「両唇/唇歯代替発音現象」を認めた記憶はほとんどない。
これはなぜだろうか。
5. 考察
もしかすると、言語の違いによるのではないだろうか。英語をはじめとするヨーロッパ諸語では /b/ vs. /v/が音素対立になっているために、形態的にニコニコパーソンに生まれついた人でも、bet と vet を区別するために、両唇音と唇歯音をきちんとそれなりに発音しわける癖が、無意識につく(=社会的に強制される)と思われる。
一方、/b//v/の音素対立が存在しない日本語を母語とする話者はそのような社会的・言語的無意識強制・矯正は働かない。そのために、ニコニコパースンは、みずからの口の形状に適した、一種のものぐさ発音(=発音するためにエネルギーを節約する発音法)として、「両唇/唇歯で代替発音法」を習得し、それが自動化されている、と考えられる。
もうひとつはひょっとすると、社会文化的要因もある可能性も考えられる。伝統的に「男は度胸、女は愛嬌」といった価値観が根強い日本社会では、とにかくニコニコ笑っている女性、女子がそうでない女性、女子よりも、他の条件を等しくした場合には、「望ましい」と認識される程度が、他の文化においてよりも、高かった(ひょっとすると、いまでも高い?)のかもしれない。そのような社会文化的背景においては、ニコニコしながら、口を閉じずに子音を発音できることは、有利である、と考えられる。そのほうがより「望ましい」交際パートナーを獲得できる可能性が高くなるからである。
以上の2つの要因が相まって、日本語母語話者には、ヨーロッパ諸語母語話者よりも、「両唇/唇歯代替発音現象」が多く見られる、のではないだろうか。
6. おわりに
この解釈が的を射ているかどうかはともかく、英語教師である私の仕事の一つは、自分の生徒のなかに、(英語を話す時に)そのような「両唇/唇歯で代替発音法」を見つけたら、根気よく直してゆく、ことである。
そこ~! b はちゃんと口閉じろ! ほら! mで、歯が見えてるぞ!