テレビコマーシャルを見ている限り、「狩り」をテーマにしたゲームが世の中には溢れているようだ。
狩りと言っても、狩った獲物を食物にして生き延びるための狩りではなく、ストレス発散のためのゲームとしての狩りである。
狩る相手は、なるべく良心の呵責を感じさせないような、醜い、あるいは恐ろしい、あるいは獰猛な、あるいは攻撃的な、モンスターである。
そして狩とは、取りも直さず、そのモンスターを残虐な方法で素手でもしくは武器を用いて派手に殺すことだ。
つまり、醜い、あるいは恐ろしい、あるいは獰猛な、あるいは攻撃的なモンスターであれば、殺すために殺してもまったく構わない、むしろ楽しいことである、痛快なことである、という前提の上にたっているのが、あの手のゲームのように思われる。
しかしモンスターとは、動物の一種である。ストレスを発散する人間の標的になるために生きているのではない。そういう存在としてゲームクリエイターがクリエイトしたからということはここでは無関係である。
ああいうゲームがここまで一般的になり、多くの老若男女が(?)、そういう行為を当たり前のように楽しんでいると思うと、いつも暗澹たる気持ちになる。
世の中おかしくないだろうか。